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サラダ記念日と現代短歌:俵万智を含む10首の紹介

ちょっと時期は過ぎてしまったが、先日7月6日はサラダ記念日だった。

知らない方のために一応掲げておこう。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

作者は俵万智。歌集のタイトルにもなっているから良く知られる。なんでもない日が特別になったという意味で、特に何の日でもない「7月6日」が効いている。

『サラダ記念日』は280万部売り上げているというから、お化けコンテンツである。私も短歌といえば俵万智くらいしか知らなかったし、作品のひとつもわからないレベルだったが、そんな人でも『サラダ記念日』という歌集があるのを知っていたということ自体がすごいのだ。

もちろん今は『サラダ記念日』も読んだし、俵万智のほかにもたくさん優れた歌人がいることを知っている。そこで、私が知っている限りで好きな短歌をいくつか紹介してみよう。

とはいえ、せっかくなのでもうひとつ俵万智。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ/俵万智

金子みすゞの『こだまでしょうか』に通じるような優しい世界。

俵短歌の特徴は口語の軽やかさであるが、もうひとつは、二人称の存在だ。従来の短歌は基本的に一人称で完結している。要は「私」がどう思ったか、に特化しているのだ。仮に相手の存在があったとしても、あなたがいなくて私はさみしいなどと、「私」がどう感じているかがお決まりの切り口であった。俵万智の作品には、「私」とは別の「あなた」のセリフが入っている。単に「私」の気持ちを表すのではなく、もう一段上の視点から描き出されている短歌は今なお新鮮な視点だろう。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい/笹井宏之

永遠が本当に永遠であるかのようなひらがな表記と、「えーえん」と泣いているかのような二重の意味が込められている。作者は難病を患い、若くして夭折してしまった。自身が囚われている運命を、歌として鮮やかに昇華したようである。

人はみな馴れぬ齢を生きているゆりかもめ飛ぶまるき曇天/永田紅

人生というものを格言と詩情で表してしまったような作品。前半は理屈で納得、後半は感性で共鳴できる。作者20歳のときの作品。「ゆりかもめ飛ぶ」は、当時作者が暮らしていた京都の風景だとか。

作者は歌人・永田和宏と歌人・河野裕子の娘。まさに歌人のサラブレッドではあるが、とはいえハタチでこれを作ってしまうのは人生一周目とは思えない。

終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて/穂村弘

作者は俵万智と同世代で、エッセイストとしても名高い。この作品を知ったとき、凄く「シャフト」の世界観を感じた。アニメ『化物語』の一シーンのような、怪しげで幻惑的な光景。もちろんこの短歌の方が先なのだが。アニメ的な世界も短歌で表現できるのである。

「お客さん」「いえ、渡辺です」「渡辺さん、お箸とスプーンおつけしますか」/斉藤斎藤

これはコントなのか、それとも本気なのか。冗談のような作品。

事務的に言葉を発する店員に対して、何を思ったか名前で切り返す渡辺さん。すかさず、とってつけたような名前呼びで再度事務的に対応する店員。謎の攻防戦である。短歌の枠組みでこれだけの物語が組み立てられるのがすごい。現代短歌の醍醐味である。

観覧車回れよ回れ思ひ出は君には一日ひとひ我には一生ひとよ/栗木京子

あまりにも切ない。作品全体が時間表現に繋がっているのだろう。観覧車の回る様に永遠の願いが込められるが、君の目にはそうは映っていない。とあるデートの一コマをこれだけ見事に捉えた歌を他に知らない。

まるがほしい。ちょっとあかるくなるような。タヒるをタピるにかえるかんじの。/西淳子

短歌投稿サイト『うたらば』に掲載されていた作品。

端的に巧い。「まるがほしい」との言葉通り、作品中に句点が散りばめられているのがおもしろい。「タヒる」(=死ぬ)を丸ひとつで「タピる」(=タピオカを飲む)に変えてしまうユーモアが見事。短歌に慣れてくると、この作品のような技巧的な作品は逆に避けられる傾向にある気もしているが、個人的にはこういうのが好き。

喉仏もたぬおんなの言の葉はやけに艶めくフェイクグリーンに/天道なお

「女性が放つ言葉」の比喩として非常に秀逸だ。喉に仏が宿っていないこと、観賞用・つくりものであるフェイクグリーンのような艶やかさであるということ。この歌の解釈で気をつけたいのは、「だから~」という部分の言及を作者自身が避けているということだ。これは皮肉か自虐か諦観か啓発か。すべては読み手に委ねられている。

寝た者から順に明日を配るから各自わくわくしておくように/佐伯紺

「~を配るから各自…しておくように」の構文で、これだけ予想外なものがあるものだろうか。いかにも宿題、課題を出されそうな状況で、これだけすがすがしい気分になれるものはない。しかもよくよく見ると、明日は早く寝なくたって来るもの。それなのに、この言い方一つで早く寝たくなるし、わくわくしてくるから不思議。言葉は魔法である。

あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ/小野茂樹

夏といえば、夏休み・青春・ノスタルジーである。永遠に続くと信じたあの日々の、無限に感じられた日常と、二度と戻らない一瞬一瞬が同時に過ぎ去っていく。そんな日本人の心が凝縮された一首。『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンドレスエイトや、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』などを思い起こさせる。

以上10首。完全に私の独断と偏見だし、書いた私自身がまだまだ物足りない。でも、きっかけは何だって良い。それこそ『サラダ記念日』から短歌に入っていくのもよし、別のコンテンツから短歌を知ることだってある。

たとえば、これ。

マンガ好きなら是非読んでみて欲しい。先ほどちらっと挙げた歌人・河野裕子の短歌が、作品の重要なキーになっている。文学的な薫りのするマンガだ。

短歌をどう感じ、どう読んでいいかわからない人のために私なりの感じ方を書いたが、これは正解でも何でもなくて、あくまでも一意見。興味をもったら是非自分でも短歌に触れてみて、自分なりにまとめてみてはいかがだろうか。もちろん、自分で作るのもいいかも。

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