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お酒を飲みつつつらつらと

お休みということもあって、いつもよりも多めにアルコールが入っている。

私は比較的強い方なのだが、アルコールが入るとかなり饒舌になるタイプである。アルコールに頼るなんてことは心底嫌っているのだが、お酒自体は好きだし、お酒が入ることで得られるポジティブな効果は十分に実感している。物を書く時に、多少良い気持ちでいる時の方が言葉が出てきやすいのは事実だ。

そこで思い出したのが、『アル中ワンダーランド』というマンガ。マンガを描くことへのプレッシャーから、いつしか酒に溺れていった実録エッセイなのだが、最初の方のエピソードがすごい。ネタが出ないことへの苦悩から酒を飲んだら、気がついたときにはネタが上がっていて、オマケに部屋の掃除までしていて、ついでに料理まで作っていたというのだ。

のっけから衝撃的だが、個人的には考えさせられるものがあった。どれだけ社会性を失おうと、結果としておもしろいものになれば漫画家としては成功なのだ。創造という行為の神秘というか、創造物に対する畏れのようなものすら感じる。真面目に努力して、真面目に勉強して、真面目にやることをやっていたら、良いものが作れる…わけではない世界。あまりの理不尽さに、私だったら発狂するかもしれない。そんなあべこべな世界に住んでいると、作る側が多少狂っていた方が良いものになるのでは、と考えるのも無理はないのだ。

ネタがないという話題でもうひとつ。少し前の『あさイチ』に作家の林真理子さんが出ていたのだが、稀代のエッセイストである彼女をしても、今のコロナ禍ではネタを出すのが大変だという話をしていた。人と人の接触がなければ、たいしたエピソードも生まれまい。過去の出来事から引っ張ってくることが増えたという。とはいえ、表情や話しぶりからはまだまだ余裕そうな様子がうかがえた。積み上げてきた実績とプロとしての誇りがあるのだろう。「ネタがなくて困っているんです」なんて今さら言っている作家が、『あさイチ』ほどの全国番組に出てくるはずがない。

私がよく参考にする文学講義本(丸谷才一『文学のレッスン』)があるのだが、その本の「エッセイ」の章で非常に納得した内容がある。すなわち、エッセイとは冗談か雑学かゴシップのどれかだと。私流に解釈すると、冗談は落語のような話、雑学は聞いてためになるような話、ゴシップは最近話題になっている話だろう。となると、自分自身の文章がどれに分類されるのか考えてみたくもなる。落語ほど軽妙な話はしていないし、ゴシップネタも個人的に避けているので違うだろう。消去法で雑学だろうが、誰かの役に立っているとは思えない。

こうして書いているとだんだんと酔いも覚め、内容的にも自信がなくなってきた。毎度思うことだが、創造するとはなんと難しいことなのだろうか。今の私に足りないものは何だろう。冗談の要素か、ゴシップにも向き合う柔軟さか。ああ!

酒だ。

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