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パソコンで書く文章とスマホで書く文章の違い

パソコンで書く文章とスマホで書く文章の違いを感じている。

何がどう違うのか一言で表すのは難しいが、パソコンで書いているときのほうがより客観的な文章が書けている気がする。反対にスマホで書いているときは、本当に思いついたままの言葉というか、いわゆる「素の声」に近い。下手をすると「文章」でもなんでもなく、ただの愚痴になっていることすらある。

スマホで書くときは、本当に「今ここ」で考えていることしか話題にできない。せいぜい、今日あったこととか、最近やっていること、最近思っていることくらいしか書く気が起きないのだ。たとえば「文学」について語ってみようとか、「自分の学生時代」の話をしてみようとか、どうもモチベーションが湧いてこない。

これがパソコンだと、「趣味」について書いてみようとか、「詩歌」について書いてみようとかなるわけである。要するに、今ここから離れた抽象的なテーマを選び、自分ではなく物事主体で話を展開できるようになるのだ。

なにもスマホが悪いわけでもない。おそらくこれは文章を書くことに対する心構えの問題だ。パソコンを立ち上げて「さあ書くぞ」となっているか、スマホを開いて画面上をゴシゴシしながら文字を羅列するのとでは、向き合い方も変わるというものだ。

私は普段スマホで文章を書いているのだが、たまにはちゃんとした文章というものを書こうと思い立って、家に積んであったこの本を参考にしようとパラパラめくってみた。

すると、これがおもしろい。個人的には永田紅さんのエッセイにふるえた。こんな文章が書きたい。

エッセイというのはなかなか厄介なジャンルで、あらゆるジャンルからこぼれたものこそがエッセイだなんて言われ方もするほど、定義が難しい。私はかねてから、良いエッセイが書けたらあとはなんでも書けるくらいに思っている。それだけ原初にして究極の文章形態がエッセイではないか。

一応理想とするところを宣言しておくと、読んでおもしろいけど、後になにも残らないもの。たとえていうなら、良質な落語を聞いたかのような文章が私の理想だ。とかく、今の世の文章は意味が有り過ぎる。もっともっと無意味な文章が読まれるべきだ。感情的な気分を引き起こすエモい文章、読む人を魅了するほどロジカルな文章、役に立ち為になる文章、全部クソくらえである。それらの文章はエモかったり役に立ったりするに決まっている。だってそういう風に書かれているのだから。読者は作者に操られているだけなのだ。

この点、無意味な文章は良い。誰も操ろうとしないし、操られもしない。もしそんな文章からおもしろさを引き出すことができるのならば、良き読者による成果である。文章に込められたおもしろさや魅力、真理や効用は自ら引き出すべきものだ。

書き出したところから、やや話が遠くなってきた。意外にも筆が乗ってしまったが最後に暴露すると、この文章はスマホで書いている。果たしてこの文章が私の素の声なのか、客観的な内容なのかは読者の判断にお任せしたい。

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