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【父と娘3♡】

「パパ一人で生んだ子みたいね。」と母に言われる位、父と瓜ふたつの顔の私。子どもの頃に、よく近所のおばさんに「しゅりちゃんは、たとえ、橋の下に捨てられたとしても、必ず石田さん家に届けられるわね。」と冗談で言われる位だ。すると父はとても嬉しそうに笑って、「ははは、いやぁ〜しゅりはきっと将来美人になるぞ!」と上機嫌で私の頭を撫でて言った。私は頭を撫でられながら、子ども心に(あぁ〜、美人のママ似の方がよかったのに…)と心の中で言いながら、複雑な氣持ちになっていた。(笑)

そういえば、

私の「しゅり」と言う名前をつけてくれたのは父だった。父からもらったの最初のプレゼント。
「しゅり」は、トロイの遺跡を発掘したドイツ人考古学者の『シュリーマン』から音をもらって、漢字は、真珠の「珠」と、真理の「理」からとったそうだ。当時の女子の名前は、「◯◯子」と「子」がつく名前が流行っていたので、小さい頃は、他のお友だちと違うし、漢字は難しいし、人から初見で正しく読んでもらう事の少ない「珠理」という一風変わった名前が好きになれないでいた。
今は、この名前がとても好きだし、私にピッタリな名前でそれ以外は考えられない。

父は、真面目なサラリーマンで、スポーツが得意で、本が好きで、テレビも好きな、朗らかで涙もろい男だった。私がまだ本が読めない小ちゃな頃は、夜寝る前に日本昔話や世界の童話全集の読み聞かせをしてくれた。薄暗い部屋の中で、夢中で父の声に耳を傾けながら、物語の世界に浸って想像を巡らせていた。寝る前のこの時間が大好きで、毎回お話が終わってしまうのが残念でしょうがなかった記憶がある。

子煩悩な父はよく一緒に遊んでくれた。自転車に乗れるようになったのも父が特訓してくれたおかげだし、バトミントンやテニスも父が教えてくれた。「いいぞ!しゅりは俺に似て運動神経がいいから、プロの選手になれるぞ。」と褒めてくれるのが嬉しかったなぁ。スキーやソフトボールをやりたいと言えば、一緒に道具を買いに行って揃えてくれたっけ。

家の中でも、オセロやトランプやダイヤモンドゲームなどをしてよく遊んだ。負けず嫌いな父は、本氣で勝負をしかけてくるので、母に「もう、子どもと変わらないわね。」と半分呆れられていた。(笑)

何かとしつけに厳しい母とは違って、父は甘々だった。例えば、父と二人で外出している時は、「飲むと歯や骨が溶けるから」と言って母が決して買わないコーラやファンタをこっそり買って飲ませてくれたり、「何がいい?好きなものを選びなさい。」と言っては、好きなお菓子や本も買い与えてくれた。そんな優しくて、なんだかんだ褒めてくれる父が大好きで、休みの日はいつも父の後ろを着いて回っていた記憶がある。もちろん、お風呂も小学生位まで一緒に入っていたし、「大きくなったら、パパのお嫁さんになる!」と高らかに宣言していた。

ここまで書いてみて、子どもの頃、自分がこんなにもお父さん子だったことに驚いた。いつ位からだったのかなぁ…父との仲に亀裂が入ってしまったのは。

(つづく)

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