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【父と娘♡2】

私の両親は早々に肉体を離れて行ったので、姿は無い。でも、姿がなくなってから、不思議と二人の存在をより身近に感じている。そう、見守ってもらっている感覚だ。何かの折にふと感じる安心感で、その存在に氣づくことがある。

母とは根っこの繋がりを感じることが多く、自分が年を重ねる程、母親との共通点が増えてくる。あんなに反発して、母親のようにはなりたくないと思っていても、似てくるのだから仕方ない。(苦笑)

父との関係は、母のようにピッタリとしたものではなく、もう少し距離感がある。が、いつも見守ってくれているのは父の方だ。
とは言え、父が生きていた頃は、大嫌いで、嫌悪感さえ抱いていた。なぜなら、昔の男性特有の男尊女卑的な発言が多く、そこにすごく反発していたからだ。あまりの仲の悪さに、母は心配して、亡くなる直前に「お願いだからパパと仲良くやって欲しい。」と言われていた。母に懇願されたとて、長年の年月を掛けてよじれた父との関係が修復することはなく、母が亡くなってから、ますます父と会話をすることが無くなってしまった。

父にとって、母を失った喪失感は相当堪えたようで、母が亡くなってから3ヶ月も経たない内に、進行の速いスキルス性のガンが発症する。即入院、手術となり、それでも、ガンの進行を止めることは出来ず、体重はどんどん落ちていき、若い頃から運動神経が良くて、すらっと溌剌としていた姿は見る影もなく、げっそりと痩せていってしまった。私は、娘としての最低限の義務だけを果たして、どこからか湧いてくる罪悪感を拭い去ることしかできなかった。

いよいよ入院していた父の具合が悪くなり、親戚の伯父の計らいで、個室の病室へと移された。夜、薄暗い病室で、半分意識が朦朧としている父と二人っきりになる。父のスースーという呼吸の音を聴きながら、私は何なく吉田美和さんの歌「beauty and harmony 」が歌いたくなり、ひとり口ずさんだ。

ホースの中 水が暴れる 青い夏の庭のヘビ
下弦の月 目の高さで 光るオリオン座

鶏頭の赤
ひまわりの黄色
海に洗われた小石

この世界の美しさを
ずっと あなたと 見られますように

2、3回歌を口ずさんだ後のことはあまり記憶に残っていない。が、何か、父から頼まれていた知人への伝言を「ちゃんと伝えましたよ。」と父の耳元でささやいた時に、私の言葉を理解していたかどうかわからなかったが、目を瞑ったまま、「うんうん」とうなずきながら、途切れ途切れに「あり、が、とう」と2回繰り返して言ってくれた。

これが、父と交わした最後の言葉だった。
その夜、父は息を引き取った。

父の死後、最後に言ってくれた父の「ありがとう」の言葉にとても救われた思いはあったが、結局、最期まで父と和解が出来ずに終わってしまって、以来、「親不孝者」のレッテルを自分に貼り、鉛のように重たい罪悪感に苦しめられることになる。

(つづく)

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