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【幸福と若返り♡】

本日は、武田邦彦先生のオンラインサロン「幸せ砂時計」のライブ配信の日だ。科学者でいらっしゃる武田先生から、サイエンス的観点で世の中の様々な物事を読み解くお話を拝聴する。
今日のテーマは、『幸福と若返りのサイエンス』だった。

武田先生のご趣味は、世界で発表されている夥しい量の論文を読むことと、計算をすることで、いつも様々なデータを元に、幅広い見地からお話をしてくださる。そして、私のような科学音痴の文系女子にも分かるように、簡単な言葉で、身近な例え話などを挟んで説明してくださるのだが…それでも、すぐに私の脳の許容範囲を超えてしまって、終わる頃には、毎回ほぼ放心状態だったりする。(苦笑)

先生曰く、「一度聴いただけでは、わかりません。15回位聴いてようやく自分のものになるものです。」とのこと。先生ご自身も、本を読む時は、最低でも15回は読むそうだ。頭の良い先生がそうなのだから、私だったら100回は聴かないと理解できない内容なのだと思う。

今回は、『若返り』という、とても興味深い、身近なテーマで、何かヒントを掴んで日常に活かせたらいいなと想い、かなり前のめり氣味に聴いていた。

お話の冒頭は、「私たちの10人中8人は、錯覚によってわざと不幸な道に入り込んでいる」という切り口で始まる。

なんと!!どういうことなのか?

私たちは、なるだけたくさんのお金を儲けて、幸せになりたいと思っている人が多いということで、お金がたくさんあれば、電車じゃなくて、タクシーに乗った方が楽になるし、タクシーに乗るより、運転手付きの車の乗った方が楽になる。お金があれば、人からたくさんのサービスを受けられて、自分が楽になる。

それは、どういうことかと言えば、人を押しのけて自分が楽になることで、幸せになると錯覚しているということだ。

ノーベル賞や、ショパンコンクールや、受験など、力で勝負して、序列を付け、力のあるものが幸せだと錯覚してしまっている。

それと比べて、昔の封建時代は、生まれながらに身分が決まっていたので、それぞれが分をわきまえて生活していて、他の人を圧迫して、他の身分になろうとはしなかった。「封建制は悪い。」とよく言われているが、果たしてそうだったのかと先生はたたみかける。

自分が正しいと、理屈で相手を押し倒すことも、この力づくの原理が働いているが、果たして幸せなのかと。

仮に、この「力づくの幸せ」が、人間の道として正しいものであれば、

長寿であるのも力づくで、
健康になるのも力づくで、
家族が仲良く平和になるのも力づくで、

成立するものだが、成立するだろうか?
答えは、否である。

「力づく」の原理で、自分の領地に無ければ、他の領地に押し入って戦争をし、相手を皆殺しにして掠奪する歴史が繰り返されてきたが、幸せだろうか?

つまり、力づくで他人を押しやり、自分が楽になる西洋的なやり方で、幸せになろうと錯覚して、不幸の道に入り込んでいる人が多いというのが、武田先生のご見解だ。

幸せであること、若々しく健康であること、長寿であることが、ほぼ同列だと考えると、『若返り』の効果的な方法とは、
『親切行動の総和』であるとのこと。

介護の世界で、他の人に親切行動をするようにすると、みんな若々しくなると言うデータがあるそうだ。人から感謝されることが、命を若返らせ、結果長寿に導かれるということらしい。

私たちは人のために生きた時に、命が輝き、幸せになるということなのかなぁと思いながら聴いていた。

また、親切行動には2つあって、

「能動的親切」と「受動的親切」があるとのこと。

「能動的親切」とは、よかれと思ってやってしまう大きなお世話に繋がってしまうもので、これは真の親切行動にはならない。

一方、「受動的親切」とは、相手の嫌がることはやらない親切で、武田先生は、この「受動的親切」であることを大切にしていると言う。

つまり、自分が正しいと思ったから、やりましたという行動は、相手に取っては単なる押し付けになり、相手の自由度や尊厳を奪う行為になるので、それは真の親切行動にはならないということだ。

なるほど、若い頃の私はよく正義感を振りかざして、余計なお節介や大きなお世話をやっていたなぁと苦々しく振り返る。

まぁ、そんなに長生きはしたいとは思わないが、若々しくしく健康で幸せではありたいので、「受動的親切行動」を意識してやってみようと思う。

まずは、ここまで。


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