20201125_50years

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 今日11月25日は、三島由紀夫没後50年の日。

 三島といえば、壮年と中年の端境(はざかい)である「45歳」で死ぬことを、ずっと前から決めていて、楯の会メンバーと“その日”を周到に計画し訓練も重ね、そしてあの昭和45年11月25日に、(演説はマトモに聞き入れられなかったものの)その変態性を「国士」という大義に昇華させ、自らのナルシシズムの究極としての自死を、まんまと遂げてみせたわけだ(森田必勝の介錯が一発で決まらなかったのも誤算だったろうけど)。

 ところで、郊外のしがない精神科看護師の僕はといえば、もう47歳で、三島がハラキリした歳から、すでに2年も経ってしまった。
 若い頃は、キラ星のようなロックスター達が揃って夭折した「27歳」はやっぱり気になったけど、当たり前のようにあっという間に過ぎ去っっていった。
「27歳の次は、三島の45歳が気になるだんろうな」という意識は当然あったし、2年前に45歳で迎えた11月25日は、実際に背筋がシャンとなったし、「俺はこの先どうするんだろう」という思いを、数日間は抱えてみたりした。でも数日間でいつの間にかそんな意識は忘れ去り、今回もあっという間に過ぎ去っていった。

 結局、三島みたいな、数十年に一人レベルの大秀才であり大変態であるような人物と、自分自身の人生を重ね合わせて何かを考えてみたところで、何かが変わるわけでもなく、自分自身で切り開いていくしかない等身大の人生が、いついつまでも当たり前に続くだけなのだ。
 そう気づいたらラクになったし、いついつまでも続く当たり前の等身大の人生が、前よりもだいぶ楽しくなってきた。

 もう僕はたぶん、今さら「あぁ、○○が死んだ歳に並んでしまった」と頭を抱えることはこの先ないだろう。
 誰かがお腹を切っちゃった今日のニュースよりも、いついつまでも続く等身大の人生にとっては、今日のカレーライスの方が大事なんだから。

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