こちらあみ子 今村夏子 ちくま文庫
息子に次の本を貸せと言うと、「これはどうだろうか」と書棚から取り出してきたのが「こちらあみ子」。
ここ3冊、学者先生の本が続いたから、「一般人」の本であることにほっとする。「この人、別の本で芥川賞を取ってるし、この本は映画化作業中らしい」と息子。でも、私、この人のことはまったく知らなかった。で、ウィキペディア。
『広島県内の高校を経て大阪市内の大学を卒業。その後は清掃のアルバイトなどを転転とした。29歳の時、職場で「あした休んでください」といわれ、帰宅途中に突然、小説を書こうと思いついたという。そうして書き上げた「あたらしい娘」が2010年、太宰治賞を受賞した。同作を改題した「こちらあみ子」と新作中篇「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』(筑摩書房)で、2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。』
小説を書こうと思ったきっかけが面白い。そういう人の書いた本は面白いだろうと思う。
この本は、表紙も普通じゃない。何と言えばよいのか、角が2本あるユニコーンとしか言いようがない動物彫刻の写真なのだ。どうみてもユニコーン。何度数えても角は2本。なんだこれ。不可思議な像である。私は好きだけど。彫刻者は土屋仁応。
2021年7月27日付NEWSポストセブンの記事を少し長いが途中までそのまま引用する。
(引用はじめ)
泣ける曲No.1『会いたい』の沢田知可子「涙活コンサート」を各地で開催
CDが売れない今の時代では想像もできないほどに、CDバブルだった1990年代。ミリオンヒットが次々と生まれ、カラオケブームも到来した。そんな1990年初頭、1990年にリリースされたのが沢田知可子の『会いたい』だ。多くの人が涙したこの名曲について、沢田が語る。
* * *
『会いたい』は、当初は私の4枚目のアルバム『I miss you』の収録曲。そこから小さな奇跡が次々重なって、シングルでヒットした曲です。
アルバムタイトルに合わせて沢ちひろさんに歌詞を依頼。沢さんは何十回も書き直ししてくださり、詞が上がってきたのはレコーディング当日深夜。
そのとき初めて歌詞を拝見したのですが、内容が私自身の経験と重なることに驚きました。
この歌は急死してしまった恋人を思い、在りし日を回想し、会いたい気持ちを募らせる歌です。なかでも、詞に出てくる「バスケット」と「死んでしまったの」という言葉が刺さり、ドキッとしました。
私も学生時代にバスケットボールをやっていて、しかも歌手になる夢を応援してくれた憧れの先輩が交通事故で急死していたんです。だから、その先輩から時空を超え叱咤激励されているような“運命”を感じました。
その頃、『ゴースト/ニューヨークの幻』という映画が大人気だったんですが、そのストーリーとリンクするとおっしゃるかたもいましたね。『会いたい』を聴くと、『ゴースト~』の映像が浮かんで、まるで5分間の映画を見ているようだって。
レコーディングでは、ディレクターから「感情は入れずに、まずは無心で歌ってほしい」と言われ、淡々と3回歌いました。そうしたら、それで終了。
実は、練習のつもりで歌った歌が収録されていたんです。感情を込めずに歌ったことが、逆に、聴く人それぞれの思いを浮き立たせてくれたんでしょうね。
たぶん、私は語り部。いまでも『会いたい』を歌うときは、物語を淡々と置いていくように、気をつけて歌っています。
(引用終わり)
歌を歌うとき、あるいは楽曲を演奏するときに、コーチ役の人あるいはアドバイス好きな人から「もっと感情をこめて」って言われた経験は、多分、誰でもあるだろう。私のような素人がこれを言われるとどうなるか。一言で言えば力むのである。精神と筋肉に力を入れてリキむ。
この記事を読むとプロであっても感情を入れすぎないことを心掛けることがよく分かる。石川さゆりが「天城越え」を歌うとき、数分後には血糊でべったりになる出刃包丁を構えているかのような歌い方はしないのである。
もっと感情を込めてって、詰まるところは自分と他の世界とが接する面積を広げて、ということだと思う。それが、リキむことで面積はどんどん狭まり、点になり、そして消失に至る。自分だけの世界になってしまう。
★こちらあみ子
物語はあみ子が小学生だったときから始まる。周囲の人たちとのやりとりは、なぜか実写版ちびまる子であるかのような気持ちにさせた。ただし、姉ではなくて兄である。
その後、母親(義母)は死産(最初の実子となるはずだった子)をしてすべてのやる気を失い、兄は不良になった。因果関係は書いてないが、とにかくそうなった。そしてあみ子は中学生になった。
中学の時から、そして今も、あみ子には前歯が3本ない。前歯はどうしてなくなったのか。そしてなぜ治してないのか。それを描いたのが「こちらあみ子」だと言っていい。もちろん、ミステリーではない。
私は思う。もしも今村夏子が歌手だったら、沢田知可子のような歌を人に届けていただろう。そして、聞いた人は泣くのだ。
★ピクニック / チズさん
今村夏子が小説を書くときには、何を書くかではなくて何を書かないかを最初に決めてから書き始めるのではあるまいか。きっとそうに違いない。
たとえば、ここに長方形と正三角形が斜めに重なっている図形があるとする。説明が添えられている。この辺の長さはxセンチです。ここの長さはyセンチです。ここの角度はz度です。
今村夏子が書くのはここまでだ。これだけで小説が終わる。「それでは、こっちのここの角度は何度でしょう」という問いかけはしない。そういう問いかけであることさえ隠されている。そして、この角度こそが小説のスイートスポットだ。
こういう小説を書く今村夏子ってどういう顔をしているんだろう。ネットで調べた。ひと目見て衝撃を受けた。「コップのフチ子さんじゃないか!!」。ネットの今村夏子はどれも浅く微笑んでいる。フチ子さんには無表情以外の表情はない。容貌が似ているというわけでもない。それにもかかわらず、今村夏子はフチ子さんだ。フチ子さんってこういう人だったのか。
今井夏子を読むと思う。私ってなんて素直な人間なんだろう。根は明るいなあ。別にいつも笑っているという意味ではないが。まあ、見方によっては単純バカである。そうかもしれないが、私は、なにしろ、会津武士の生き方に憧れている人間なのである。
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