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昼食に毒が入ってて死ぬ話

 苦しくはなかった。ただ、死んだだけ。

 会社で頼んでいた仕立て屋さんのお弁当に毒が入ってたみたい。あのミートボール、なんか不味いなって思ってたんだ。そのときは毒だとは思わなかったけど。
 定時で帰宅して、家に帰ってきたときから、世界がおかしかった。床の感覚が無い。浮いてる。壁が離れていく。世界が遠くなっていく。あれ…?
 現実感の喪失とともに死んだからか、死ぬ前に見ると言われる走馬灯を見ることはなかった。見たい映画を逃したような感覚。
 振り返ってみれば走馬灯を見られるような人生じゃなかった。享年21歳、中学校以降はほぼゲームしかしてなかった。ずっと現実から逃げてきた。なんのために現実逃避し続けたんだろう?それは多分、死にたくなかったから。

 死について考えると、考えが止まらなくなる。やめたいとやめられないの間で不安定になって、ネットサーフィンに逃げる。
 そのうち考えないようになって、忘れようとして、忘れてしまった。けどいつも隣りにいる。常に視界の外だけど、そこにいる感覚。意識しないほど、悪い方に強くなっていく。
 まあもう死んでるんだけど。つまり、一体化。生まれたときからずっとそばにいる、そんな人とついに一緒になれたって考えればちょっと可愛げがある。
 そういえば、俺が死んで世界はどうなるんだろう。同期のあいつ、悲しんでるかな?会社のみんなはどう思うだろう?友達や家族は?
 俺の葬式ってあるのかな?あったら小学校と中学校の友達には特に出席してほしいなあ。青春をともに過ごした仲間たち。友達代表みたいな感じで親友が出てきてくれると嬉しいなあ。
 まあ一緒にゲームした思い出しか語ること無いんだけどね。

 ホントさ、仕事も始まったばっかで、そろそろ社会に貢献して、今までの怠けた分返済しようかなーとか思ってたのにな。
 人生こんなもんか。死ぬときってほんと突然だよな。変な時代に生まれて、拷問がきつすぎて死ぬとかじゃなくて良かった。嗚呼、死も意外とあったかい。
 本当はもっと生きたかった。できることなら子供も欲しかったし、俺と人生をともにしたいと思うおかしな人にも逢いたかった。
 本当はもっと生きたかった。まだ知らないこといっぱいあったし、新作のゲームも友達とやりたかった。これから創られる新しい音楽も聞きたかったし、息を呑んで思わず黙ってしまうような素晴らしい絵画も見たかった。これからもっとエッチな絵がよりエッチになっていくと思うと悔しい。
 ここまで文化が安全に楽しめる時代は今までに無かったと思う。これからもっと良い時代になっていく。そんな世界を見られない、一員として作っていけないのが悲しい。
 だからさ、あとは頼んだよ。死の川が流れてる。俺もその一員になっただけだ。
 生きてくれ。死ぬまで。死んだらまた会おう。じゃ。
 





 
 

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