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永遠のTAO 


人の魂はいずれは太陽の次元
Solar Dimensionに到達する

Solar Dimensionとは何であろう
あの天空に輝く
雄大なる太陽とは何であろう

太陽は自らを燃やして光を与える
すべての生命の進化のドラマの背後に
すべての生命の繁栄の背後に

紛れもなくこの太陽の与え尽くす
優雅で 厳かで雄大な力が潜んでいる

では何のために我らの頭上に太陽は昇るのか
自分が太陽であることを思い起こすがよい

いま私はRising Sunとして昇る太陽だが
それはあなた自身のことだ

人生がいくつかの不可能の壁に取り囲まれているとする
不可能 すなわち人生の闇は私たちに向かってささやく

闇は過去の姿を見ている
それは未来の私ではない

なにゆえに過去の言葉に耳を傾けるのか
なぜ過去が私の将来に立ちはだかるのか
それは私の心がつくりだした幻影に過ぎないのではないか

打破せよ!
汝の努力は最初は止むに止まれぬ気持ちでするものである

それはどこから湧いてくるのか
それは汝の内から湧いてくるのである

矢になりきれ!
矢は流れていくことのみを意識する

私は虚空を飛んでいく一本の流れる矢である
的を忘れてただただ流れて飛ぶ
そのことにのみ意識を没入せよ

人間は自由を得るために
弓から放たれたのである

ああ この虚空の中を飛ぶ
この瞬間において我は知る

努力とは結果が目標ではなく
飛ぶことそのものが目標なのである

空中を飛ぶ矢は的に当たって輝くのではない
空中を飛ぶことそのもので光輝くのである

ここにおいて我は知る
我は虚空そのものなり
虚空とは何者無きにもあらず

すべてを讃えた深い命の泉なり
この虚空をアカーシャガルバという
アカーシャガルバは
自らが空であるがゆえにすべてを内包する

ゴールはどこぞ
ゴールはここなり

ゴールはいつぞ
ゴールはいまなり

我は永遠の自由なり
我は虚空を天翔るものなり
一筋の光なり

我は我の中に向かってまっしぐらに飛んでいく
虚空の中を喜びに溢れながら飛んでいく
ひとつの矢である

そのときに心臓に輝くアヨディアの光は
今や赤々と燃えているのである

我は自分の心臓の中にアヨディアなる
霊的太陽を見るのである

求める心を救う偉大な力は同時にやってくる
求める心がなければ偉大な救う力は発動しない

私たちは地上にいながらにして
天使が守る霊的な光の空間に
生のあらゆる局面において
私たちを手助けしていたという
宇宙の偉大な摂理を身を以て知ることになるのだ

人生には七度の試練がやってくる
私たちはこれを打ち負かすことができる
たった一つの恐怖を乗り越えることによって
たった小さな勇気を出すことによって

この目に見えない世界を志そうとしたとき
アモン 阿弥陀如来は私にこう言った

立て!
歩め!
そして偉大なれ!

お前の足で立ち上がったときに
我々はすべて協力する

この二本の足は屈服するためにあるのではない
立ち上がるためにあるのだ

ありのままに生きることで己に勝利する

私たちが存在しているこの三次元宇宙は、
宇宙ができて38万年後に初めて光が出てきました。
宇宙物理学の観点からすると光は闇から生まれます。
闇から離れた人生というものはありません。
苦しんだからこそ、それに打ち勝つことができます。

それが人間の本質ではないでしょうか。
闇というのは、あらゆる苦しみ、不幸のことです。
私たちは闇と戦うのではなく、愛するのです。
力は有限ですが、愛は無限です。

あるとき不動明王が現れてこう言いました。

汝、不可能を希望の剣で断ち切れ!

TAOというのは闇と切り離して考えることはできません。
月から太陽に向かって一筋の白い道が流れています。
私たちは月のごとく大地に生まれます。

月は自ら発光しません。
ただ、太陽からの光を浴びて満月になったり新月になったりを繰り返します。

でもいつか、すべての星は自ら光り輝くようになります。
つまり、人の一生ないしは輪廻転生の数々のドラマというのは月から太陽に至る道、それがTAOなのです。

道を志すときにゴールを設定します。
ゴールとは、私たちはいずれ人に与える存在になることです。

【気の舞】Dr.Shu 五島秀一
【悠久】作曲・演奏 林 煌純

2021年10月31日 代官山サロン·ドゥ·コロナ

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