ノアの箱舟の再来をみなに教えともに祈れ!
ノアの箱舟の再来
あなたは、いま、心を動かさない修行をしています。
いろいろな人の噂話、いろいろな人の言うことに心を動かさない、揺れ動かない修行です。
本当の知識とは、本を読んだり、人から学ぶものではなく、心を鏡のように穏やかにすれば、自ずと受信するものです。何となくわかるものです。
これからの人類は、学問や、名誉等は必要ありません。素直で、単純で、素朴な直感が、大切なのです。
五千年前、ノアの一族がいた(旧約聖書)。
その当時は、貴族社会中心の悪政治が行われていた。
ノアは、神からの予言を気が狂ったように伝えた。
ノアは人から、あざけり、ののしり、笑われるなか、箱舟を作った。
その箱舟に乗ったものだけが助かった。その船に乗ったのが、あなた方二人です。
ノアの大洪水
ノアの大洪水のときも、村人はノアの言うことは誰一人聞かなかった。
ノアは、毎日毎日、みんなに神の予言を説いて回った。
でもほとんどの人の心は、頑なであったため聞かなかった。(旧約聖書)
そして、小さな彗星の破片が地球に激突し、彼方此方で地震が起きて、気象条件が大きく変動し、昼でも太陽を見ることができなかった。
そのとき初めて、人々はノアの話が本当であったと気がついたが、もう遅かった。
ノアに学問があったのかというと、なかった。
ノアの時代の人々に学問があったのかというと、なかった。
しかし彼は、正直で、嘘をつかない、素朴で、単純であった。
だから、農作物の収穫が極度に減ったときは「何かあるな?」と思った。
そしてその年は、夏になっても、東からの風が吹かず、凪の様な状態が何日も続いた。
いよいよ今年だな、と判断した。
決して、夢で教えられたわけでもない。
はっきりと何月何日と教えられたのでもない。
そして、秋になり、冬を迎え、年が明けて人々が新年を祝っているとき、ノアは、まもなく洪水がくる! と言った。
ノアは村人から危うく殺されそうになった。
仕方なくノアは、家族と何人かの友人で箱船に乗った。
そして、恐れていたことが起こった。
今まで、見たこともないほどの大きなひょうが降り、耳をつんざくような音が至るところで起こった。
地球を目がけて飛んできた彗星の破片が、あらゆるところに衝突し、小型の原子爆弾なみの爆発が彼方此方で起き、人々は逃げ惑うが、もともと神様を信じない人たちばかり。
どこに逃げてよいのかわからない。
しかしノアは、神さまに言われた通り、山の頂きに船を置いた。
これもまた、人々から嘲られ、馬鹿にされた。
村人は誰一人信じなかった。
ノアは言った。
しかし誰も信じなかった。
祝いも終わり、旧暦の2月、大洪水がやってきた。
この彗星は、平均すると一万と七十九年の周期で地球にやってくる。
残念ながら、天文学者は直前の三年前からしか、今はまだ分からない。
まだ渡り鳥のほうが、本は読めなくても、自分が何処から来て、何処に飛んでいくのかを知っている。
人間だけがどこから来て、どこに飛んでいくのか知らない。
人間は、どこから来て、どこに飛んでいくのか?
学問はそのことを学ぶためにあるのに、出世や金儲けの道具にしか使っていない。
多くの人が、死に、そして何のために生まれるのか?
生きている間の人間は、自分以外の人をなかなか愛することができません。
それは肉体を持っているからです。
しかしそれでは、遅いのです。
人間は、自分以外の人をどれだけ大切にできたか?
それしかないのです。
成功しようが、成功しまいが、すべてそれ以外は付属品なのです。
神はその人の魂に自信をつけさせるために、金持ちに生まれさせ、どんどん金が貯まるようにする。
それは魂が偉大だからではない。
自信をつけさせるためです。
神はその人の魂に精神的な忍耐をつけさせるため、お金がなかなか貯まらない運勢にします。
いくら願ってもお金は貯まりません。
しかしそれによって忍耐がつくのです。
どっちも大切なのです。
いま、どこのステージにあるか?
それだけなのです。
それで、運とか不運を計ることはできません。
人はいつになったら、その瞬間の姿だけ、見かけだけの判断をやめて、真っ直ぐの、己の魂に基づいた生き方をするのか。
誰もが心の底でうすうす感じていることを否定してしまう生き方。
こうして心に曇りを作ったがため、明日晴れるか雨になるか、野の鳥ですら知っているのに、人間はわからない。
いまあなたは、持って生まれた直感に従って生きる、と言うことです。
貴方の体が勝手に動いていたのは、長い間にこびりついた常識や、規制観念や捕らわれを、守護霊が振りほどこうとして、あがいていた姿なのです。
既成観念が取れるに従って、あなたの動きは静かになります。
新たなる能力や知識は、必要ありません。
むしろ何を捨てるか、が重要なのです。
捨て去ることができないところに、地震や天変地異が襲ってきます。
人々は、阪神淡路大震災の教訓を忘れ、しこたま、また物を貯める生活になっています。
捨てて、捨てて、捨てていったとき、何が残るかが、いま日本人が学ばなければならないことなのです。
喉元過ぎれば暑さ忘れる、人の噂も75日。ほんの少数の人だけが、あの地震の意味を知っています。
執着を捨てること
名誉欲を捨てること
物を持ち過ぎない様にすること
このままの調子で行くと、来年度は太平洋沖で発生する地殻変動のエネルギーが、日本列島を通過して中国大陸に大地震が発生し、大洪水を起こします。
そのとき60%の確率で、この大阪を通過します。
心が綺麗というのは、とらわれを捨てるということです。
人の言葉に振り回されないこと。
傷つかないということです。
大阪にそのような人が十人いれば、大阪を避けて通ります。
人の想念は莫大なエネルギーです。
一人の人間の生命体のエネルギーは、地球を十個消滅させたり、またゼロから作る、それほどのエネルギーを持っています。
人間はこの魂の偉大さを忘れ、物質生活に明け暮れている。
アトランティスや、ムー大陸の時代の人々は、想念の力で空間から自由に農作物を取り出すことができました。
とらわれが無くなっていくと、怒りが無くなる。
心の中で怒りがあれば、まだ執着があるということ。
21世紀は、20世紀のようなやり方では、生きていけません。
心の力というものが、表に出てくるからです。
おごり高ぶる心を捨て、幼な子のようになりましょう。
心の執着がスッーと取れてゆきます。
そうすると、体がポカポカしてきて、だんだんと綿菓子のように、軽く感じられるようになります。
執着がなくなると、綿菓子のように体が、ふわーっと軽く感じられるようになります。
さあ! しっかり感じて!
これは、あなたの肉体が、真空に戻っていくからです。
空間とひとつになると、体はフワーと軽く感じます。
フワー、フワーとしてきます。
自分の体が光に包まれると想像してください。
この光に包まれさえすれば、この世のいろいろな悪しき想念の影響を受けることはありません。
フワーとしてきたら真空に任せます。
体がフワーっと軽くなります。
2007 END
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