シヴァに導かれし野に生きる音楽の神
今宵は、多くの同志がこの地に集まり、真理を学んだ。これを祝して、地球の守護神より、今を生きる全人類へのメッセージを授ける。
かつてそなた、霊界に在りしとき、この地上に生きる人間の様々な暮らしを見ていた。
あるとき、中世のドイツで、作曲の道に生きる若者をそなたは霊界で見ていた。彼はヘンデル(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル)とほぼ同じ時期に生き、見事な美しい曲を作っていた。
しかし家柄は貧しく、音楽界の権威には認められなかった。どれだけ美しい楽曲を作ったとしても、スポンサーがいなければ、それを演奏することはおろか、どの舞台でも発表することはできなかったのだ。
コネも無く、地位も無く、貧しいせいで。彼はどのようにして自分の音楽を作品として、世に問うことができるだろうかと悩んだ。あらゆる伝手を伝って、音楽界の権威という権威に作品を送ったが、ついに認められることはなかった。
三年という約束で楽曲という道に志したものの、一曲も弾かれることはなかった。親はとうとう堪りかね、その若者を勘当してしまった。
そなたは、その有り様の一部始終を霊界で見ておった。これほど音楽の才能があるのに、たまたまコネがないばかりに、世に出られぬとは何と哀れな若者だろうか。
彼はついに自暴自棄になって酒をあおり、そして十二月の寒い冬の晩、石畳の上に行き倒れになった。見よ、哀れにも彼のからだの上に次々と降り積もる粉雪。
通りすがりの人々は、誰も手を貸そうとしない。今にも彼は息を引き取ろうとしていた。そなたはそれを霊界より見て、必死でその若者に気を送ろうとして、霊界からエネルギーを送った。そして通りすがりの人々に、必死で声をかけた。
しかしそなたの霊体は、行き交う人々にはまったく通じなかった。刻一刻と時が過ぎてゆく。除夜の鐘が鳴り、そして新しい一年が始まろうとしているのに、この若者は哀れ短い三十一歳の生涯を終えんとしていた。
恋も知らず、ただただ一心不乱に楽曲の道を求めてきたこの若者の生き様の、どこに過ちがあっただろうか。この宇宙をお創りになった神は、この若者をどのような気持ちで眺めておられるのか。どうして神は、この、いま際の際に奇跡を起こし給わないのか。そなたは必死で祈った。
しかし、ついに彼の魂は天に召されていった。天に召されている若者の魂を追って、そなたは霊界へと急いだ。 そして、そなたは天上界において、神はどうしてこの若者をお救いにならなかったのかと聞いてみたい思いに駆られた。
その若者の美しい魂は、教会の鐘の音に乗って、高く高く舞い上がっていった。そして、その若者の美しい魂を追いかけて行ったとき、その若者の指導霊がそなたの前に立ち塞がった。
しかし、指導霊はきっぱりとこう言った。
だからこの地上に肉体を持ったそなたは、なかなか世に出られない若者を見ると、なんとか助けてやりたいと思うのは、そのためだったのだ。
しかしそなたは、そなたの前に立ち塞がった指導霊に言った。
しかしきっぱりと指導霊は言った。
そのときだった。天地に大轟音が轟いた。地球の中心が真っ二つに割れて、金色の魂が姿を現したのだ。この地球を、その進化向上を司り給う、シヴァの神である。
高貴な燦然と輝くシヴァの神
そうだ。今日はこのシヴァの神がそなたを通して、無数無名の多くの人々にメッセージを伝えたがっている。それを本日は明かすことにしよう。
かつて、霊界でそなたが答えを聞いたことを、ここに再現する。
よいか。その若者は浴びるほど酒を飲んだ。そして急性アルコール中毒によって、手足がしびれ、行き倒れの身となった。
さぞや激しい思いで酒を浴びるように飲んだことだろう。さぞや失敗だらけの己の人生を呪い、己の全身を叩きつけるように、地面に倒れたであろう。その姿をおまえは悲しいと思うか。
よいか。例えその人間が失敗だらけで、世に受け入れられず、一切認められなかったとしても、例え失敗続きの人生であったとしても、燃えるごとき情熱だけは、この地球に刻まれてある。
この地球に刻まれてあるということは、余の思いの中に刻まれてあるということだ。余は情熱の神なのだ。情熱の神こそが、この地球の神の意思なりと知れ。
成功したか失敗したかが問題ではない。余はその人間の魂の情熱の量だけを見ておるのだ。世の中に認められるか認められざるか。その人間の知ったことではない。
さらにまた余の知ったことではない。余はその人間の情熱だけを見る。情熱が深く豊かであれば、この地上の成功と失敗とにかかわらず、その人間の魂、その人間の生涯は成功なのだ。
翻って、今の世の中の人間はどうであろうか。○○○ばかりして、他人の顔色を見る。他人に気に入られようと焦る。他人の機嫌をとってばかりである。
どれだけの魂が己の情熱に、忠実に生きているであろうか。成功も失敗も己の問うところではなく、神の問うところでもない。
成功と失敗。世に受け入れられるか、受け入れざるか。その基準に振り回されてはならぬのだ。
ただただ己の魂が命ずる情熱に従って生きる。そして、汝の生きた証をこの地表に刻み込むがよい。この地球は情熱を刻み込む惑星なのだ。
これからあと、そなたが幾たび生まれ変わっても、多くの若者を指導する様態はひとつだ。
あなたの中にある情熱の炎を消してはならぬ。その情熱を力の限り刻み込みなさい。
結果にとらわれてはならないよ。あなたのやったことが世に受け入れられるか、受け入れられざるか、そのようなことに魂を売り渡してはならぬのだ。
神はあなたの情熱だけを見ているよ。恐れてはならぬ。
他人の顔色を見て、己の力を加減してはならぬ。己の力を出し惜しみしてはならぬ。己の信ずるところに従って、その道に己の魂を生涯捧げなさい。
生きるということは己の信ずる道に、全身全霊を捧げることなのです。世の中の人々に捧げるのではありません。ただただ己の内なる情熱に人生を捧げることです。
新しい時代を築くためには、もったいぶる人間も不必要。世の中の人から偉いと言われようと、外見ばかりを飾る人間も不必要。いかなる権威にもぺこぺこする必要はない。
何者にもすがらず、野に生きる人となりなさい。野に生きる勇気を持て。今までの世の中の生き方と違うからといって、自身を無くす必要はない。
あなたは和を乱す人だと言われても、自身を無くす必要はない。ただただ己が信ずる道を、一心に貫いてこそ魂の人。
あの若者はあの寒い冬の晩、石畳の上で己の情熱をどれだけ傾けただろうか。彼の作品は発表されなかったとしても、彼の生き様そのものが、ひとつのシンフォニー、交響曲である。
それを天使並びに、神々は心の耳でしかと聞いておった。作品が世に発表されるかされないか、一切問題ではない。その人の生き様そのものが、ひとつの作品であるからだ。
生きた証を刻み込みなさい
ゆえに私は、かの若者の魂を大いに賞賛する。おまえの作品は世に発表されなかったけれども、おまえの生き様は立派に交響楽である。
この世に作品を残しえなかった多くの作曲家の魂は、音楽の神となりて、この地上の作曲家を導いているのだ。
認められなかった人々ほど、魂の次元は気高く、天の世界においてひときわ美しい星となっておる。ゆえに、この世の成功不成功、認められたか認められないかという、地上的尺度でその人間の魂をとらえてはならぬ。
しかとそなた、次に地上に肉体を持ちしときは、魂に生きるとは何ぞやを若者に教えて給え。これこそがシバの願いだ。
そして今日以降の世界によって必要な魂は、己の信ずる道を堂々と歩む野人の魂である。
野を行く人となれ!
エリートは不要である!
道無き道を行け!
野の道を行け!
一歩踏み出せ!
そこが道となる!
すでにある道を歩いたとて、何の功徳やあらん。新しき道を開くものは、多くの人間より誤解されるであろう。
石礫も飛んでくる。それが一体何ぞ!
せっかくこの地球に生まれたからには、堂々と生きよ。己の魂の命ずるままに生き抜け。
かの吉田松陰を見るがよい。当時の幕藩体制には異を唱え、堂々と己の生きる道を全うしたではないか。その生き様こそが、あの幕末の日本の針路を大きく変える原動力となったのだ。
心にまことがあれば、ひとりの人間の偉大な生き様によって、世の進む方向を変えることができる。
かの吉田松陰こそ、野に生きた若者の代表である
堂々と野に生きよ。野の人であれ。“草莽崛起(そうもうくっき)” 吉田松陰が愛した言葉だ。彼もまたシバに導かれし男。草莽とは草むらぞ。名も無き無名の人々ぞ。
まことの大和敷島の道は草莽の集合によって変わるのだ!ここに吉田松陰も来ておる。まこと大和敷島の新しき道は、まこと武士(もののふ)は野に生きるものぞ!
よいか!この世に吉田松陰は萩の松下村塾において説きしものだ。高杉も、松蔭の志を継いだ。多くの若者がわずか三年の月日の中で、その師吉田松陰に付き従い、当時の幕藩体制とは異なる、魂に生きた!今の世の中に武士(もののふ)はいるのか!
よいか。そなたにいま、吉田松陰の母なるものの意識が宿っておる。吉田松陰の母なるものの魂とそなたは同魂なのじゃ。思い出すがよい!
吉田松陰が江戸伝馬町に送られる籠の中で、母を思うて読んだ歌じゃ。
“親思う心にまさる親心 けふのおとずれなんと聞くらん”
“親思う心にまさる親心 けふのおとずれなんと聞くらん”
この松蔭、此度は伝馬町の牢に斬首打ち首の刑を命じられども、わが御霊七度生まれ変わりてこの日の本に尽くさん!
そなたにこの松蔭の母の魂が復活を宣言する
己の身は伝馬町に送られて悲しい。母親に、このような生涯を送ったことを不憫に思う。しかし、私の心以上に母親は何と思うてござろうか。
よいか。今日のこの日はそなたの魂にとっては偉大な目覚めじゃ!
どうして三十の若さで世のため国のために一心を捧げられた。己が世に認められるか認められざるか、まったく眼中に無き男の生き様ぞ。
この松蔭の日の本を思う気持ちはそっくりそのまま、この気功協会に受け継がれておる。やがてこの集いの中から日本はおろか、世界中に燎原の火のごとく、教えが広まるだろう。
そうだ。純粋な赤心こそが、世を変えるのだ。日の本の夜明けじゃ。夜明けをもたらす若者を育てよ。松蔭の母ならば出来ようが。
渇!
今日はシヴァ神に導かれ、真の男なりし吉田松陰の言霊、しかと届けた。
偉大な良き日である。目を見開き、新しい世を作りなされ。
大筋において、そなたの生き様は間違っておらぬ。
2007 END
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