人を癒すは神の業なり【火の輪の奇跡】
はい
それでは心を落ち着けるために
一度深呼吸をしましょう
深く息を吸って
深く息を吸って
ゆっくり吐く
そしてもう一度深く息を吸って
ゆっくり吐く
あなたは今、呼吸を通して、自分の肉体をコントロールしたのです。
すべての臓器の中で、あなたの自由意志によって動く臓器は、この肺だけであります。
普段無意識に、習慣の力によって呼吸していた自分を、自覚的に動かすことによって、眠っていた潜在意識に働きかけることができます。
盲目的に、私たちの人生をある一定の方向へと導く習慣の力を超えて、魂の中に宿っている、秩序正しい力を呼び覚ましましょう。
魂の世界、そこは静寂で、平穏で、完全平和の世界。
恐れることなく、悩むことなく、苦しむこともない、絶対平安の世界。
人は死後の世界、即ち魂の世界を、恐るべきものとして恐怖しますが、実態はその真反対であります。
すべてが満ち足り、すべてが穏やかで、すべてが透明で、自己と他人との境なく、過去と未来との境なく、今とあそこと境なく、今ここにいることがすべてに満ちることであり、今を生きることが過去を生き、未来をも変えることである。
この美しき絶対平安の境地を何に例えようか。
釈尊はそれを、大いなる蓮の花に例えられました。
それゆえに釈尊は蓮の花を見て、
然らば人は、この絶対平安の境地にありながら、なにゆえこの地上界に肉の身を借りて化成していくのか。
それは、先ほどあなたが呼吸を自覚されたように、自分は永遠絶対平安の魂そのものであることを、自覚するためであります。
与えられた平安から、自ら自覚して作り出す平安。
受動的な存在から、能動的な存在へ魂は移行します。
大いなるマクロコスモスとしての神が、自己という人格を備えたミクロコスモスに化成せんがため、我らは幾転生重ね、肉の身を借りてこの地上から、輪廻転生の時を重ねます。
この魂ヒーリングにおいては、今自分の魂が、どちらへ向かっているのか。
今世において何を果たさなければならないか。
あなたの魂に刻まれた志に、光を当てます。
大いなる平安の御魂よ、この者の御魂を守り給え。
そして我らを無明へと導くことなく、静けき絶対の平安の光の御手によって、我らをニルバナの境地へとお導き下さい。
かつてそなた、いと高き霊界において、指導霊の導きのもと、人の魂がいかに進化向上していくかのドラマを見せられたことがある。
絶対平安の境地を悟るために、多くの御魂が火の輪を潜らなければならなかった。
その場に直面した時、そなたはワナワナと震えた。
指導霊は言った。
そうは言われても、頭で悟ることと、全身全霊を通して悟ることとの間には、雲泥の開きがある。
ほとんどの御魂が、その火の輪の前で恐れおののいて失敗するのであった。
何度挑戦してもそれは同じことであった。
その火の輪を潜り抜けることは出来ないのだった。
しかしそれを見て、そなたは涙を流し、あのように恐るべき火の輪を潜り抜ける人間が、はたして何人いるのだろうと思った。
そして同時に、このような魂の訓練を経て、地上に生まれ変わるとは、この地上に生まれ変わるということは、一体全体、いかに大いなる意義を持っているか。
それを改めて感じるのであった。
そうだ。人は全身全霊を懸けて魂の世界において、訓練をした挙句、この地上界に人間として化生する。
どれほど待ち望み、どれほど訓練期間をおいて、この地上に生まれ変わったことであろう。
それほど尊い一回一回の人生であるにも拘らず、この地上に生まれし魂は、その重大な意義を忘れ、毎日の生活に現を抜かし、己が天地と約束した魂の志を眠らせたまま、無為のままに人生八十年の生涯を過ごしてしまう。
次に生まれ変わるのは、五百年ないし千年という途方もない年月がかかる。
人間の魂とは、如何に哀れなものでしょうか。
ふと、そなたは涙ぐんだ。
しかし指導霊は厳粛な声で言った。
ほとんどの人間が、その火の輪を潜り抜ける前に、おずおずと引き返していった。
こうして、次々とその火の輪に向かって挑んでいくのだが、ほとんどの人間が、行く直前まで意気揚々としながら、その恐ろしい火の輪の前で立ちすくむのであった。
ある者は神を呪い、神仏への信仰を放棄するといった。
そなたは指導霊を振り返って尋ねた。
指導霊は、
とおっしゃった。
あなたはじっと見守った。
すると見るからに普通そうな容貌をしたひとりのご婦人が前に進み出た。
指導霊は言った。
あなたは、到底このご婦人では、あの火の輪を潜り抜けることは出来まいと思った。
そうだ。ほとんど多くの霊界の魂も同様の思いを抱いて、その行く末を見守った。
しかしこのとき、驚くべきことが起きたのだ。
まったくどこから見てもその普通そうに見えるご婦人。
そのままいきなり火の輪を向こう側へと潜り抜けてしまった。
火傷ひとつしていない様子である。
あなたは驚いて、そのご婦人へ近寄った。
不思議に思ったあなたは、次々とその火の輪を潜り抜けることに失敗した人々に聞いてみた。
あなたと呼ばれた魂は、前世でライプチヒ大学の教授をしていた男であった。
まったく不思議なことであった。
あなたにもその謎は解くことは出来なかった。
不思議に思って、あなたは先ほどのご婦人のところへと行った。
すると、生まれ変わりの準備に忙しかったそのご婦人は、くるりと向きを変えて、親切そうにそなたにこう言ったのだ。
すると指導霊は近づいてきて、そなたにこう教えた。
これがそなたが霊界で見た一部始終だ。
私が心の目で見た、そなたが霊界で体験した、一部始終である。
私の言霊を通して、人生の真実とは何であるか。
人間の魂というものが、如何に偉大なものであるか。
くよくよと悲観的な思いにとらわれる人に、身をもって希望の星となりなさい。
このような言霊を聞ける者は、地上においてもごく僅かだ。
神は人間を苦しめるために運命を与えたのではない。
自分の意志と力によって、どのようにでも運転させるために創ったのだ。
目に見えない霊界も、広大無辺なこの大宇宙も、すべてそのような神の御心によって創られてある。
さあ。広大無辺なおまえの魂の旅路を行くがよい。
明るい希望を己の人生のコンパスとせよ。
オーマミパドミフー
オーム シャンティ シャンティ
あなたの御魂に、神の永遠の平安をとどめる。
どこにあっても神の愛の中にある。
よき旅の始まりである。
希望なき時代であるがゆえに、希望の光とならねばならぬ。
暗き世であればこそ、光輝かなければならぬ。
汝に与えられし、業をもって人を愛せよ。
業を通して人を愛することを知り。
人を癒すは神の業なり。
日々を積み重ねるは人の業なり。
神天地を創り給いしは、日々の小さき営みだけは歩むことが出来なかった。
ゆえに神、人を通して、その小さな歩を、日々実践し給う。
人ありてこそ天。
人ありてこそ神なり。
ゆえに神、人を愛す。
いかに天に偉大な星座があり、精神があろうと、日々の小さな歩なくして、天また成り立たず。
暗さを嘆く世であるがこそ、希望の光となりなさい。
それは御身の御心より生ずるものだ。
日は昇らねばならぬ。
日はまた昇らねばならぬ。
そして人々が神を信じられる、世の光とならねばならぬ。
それでこそ、世の明かり。
魂ヒーリング Dr.Shu 五島秀一(2010年3月8日)
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