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【喜びに満ちる】運勢を転換させる偉大な魔法の力

我が国において、桓武天皇が平安に都を定めまして約三年半が経ちました。
とにかく当時は人口を増やそうということで、貴族も力のある豪族と盛んに縁談を進めておりました。

京都は宇陀の流れをくむ血筋に生まれたあなたは、父親の強い勧めもあり、近江の王族に嫁ぐように父親に勧められます。

彼らは琵琶湖の北岸一帯を支配し、越前越後と、難波の都をつなぐ販路を持っておりましたので、この分であれば子々孫々まで繁栄すること間違いなし。父親はそうにらんでおりました。

しかしあなたはどうしても当の相手を好きになれません。
しかし当然その時代は父親に逆らうことはできませんでした。

あなたはとにかく笛を吹いて月を見るのが大好きでございました。
ある晩、小高い山に登り月を見ながら笛を吹いておりますと、どうしようもなく涙が溢れてまいりました。

女子(おなご)というものは、やむおえない歴史の流れに乗りかかるしかないのだろうか。普通に喜んだり悲しんだりするときは果たして来るのでしょうか。

笛を吹きながら、自分の感性の深さをしみじみと感じておりました。
かといって感性が研ぎ澄まされたところで、運命にはまったく響かないものだとすれば、感受性の強い人間に生まれた自分がかえって不憫に感じられたのであります。

幼い頃より、感受性が豊かだとほめ言葉で言われたけれど、そのように感じたところで運命に抗えないものだとしたら、それはより一層不幸感を増すものにすぎないのではあるまいか。

にわかに月に雲がかかり、あたりが闇に包まれました。

いけない、こんな時間になってしまった。1週間後には嫁がねばならない。家路を急ごうとしたとき、自分の後ろの方で木の葉が激しく揺れる音がしました。

振り返りますと、身の丈二メートルもあろうかと思われる真っ黒い衣装を着たものが立っておりました。

武道の心得もありましたので驚きはしませんでしたが、はて、これは人か?あるいは物の怪かと思いました。

そなたは人か?あるいはこの世のものでないものか?

返事はいたしませんでした。それでまた踵を返して帰ろうといたしますと、

待て

腹の底にズンと響くような声で話しかけてまいります。

もう一度振り返りますと、頭巾のようなものを被り、全身は黒ずくめの衣装。

名を名乗られよ。そなたは人か?魔物か?

するとこの声の主はこう言います。

いずれにもあらず

何?いずれにもあらぬものが、どうして姿を現せる?

簡単だ、私はお前の鏡だ。お前の本当の姿を映している。

私はそのように、黒づくめの衣装は着ておらぬ。

そうではない、お前の心の本当の姿を表しているのだ。

ほう、ならば証拠を挙げてみよ。

そう言うと、

お前はあと1週間もすれば、嫌いな御仁のところに嫁ぐ予定じゃ。だがお前はそれが嫌で嫌で仕方がない。お前がこの山に日参しておったのを知っているぞ。

無礼な!名を名乗りたまえ!

名はない。あえて言えばお前自身だ。

最初は怖かったが、二言三言言葉を交わすうちに、もう少し喋ってみようと思う気になりました。岩場に腰をかけますと、向こうも腰をかけました。

そなたは先ほど、わらわの影じゃと申したな。

その通りだ。

ならば其方の目には、わらわの人生はどのように見える?不甲斐ないか?それともきらびやかか?

そのいずれでもない。いずれでもないが、そなたは泣いておる。

確かに、顔では泣かぬが、心が泣いておる。されど泣いたところで、この世の人生いかようにもならぬ。なあ、答えておくれ。わらわは耐えるべきか耐える心が足りないのであろうか。嘆くことがおかしいのか。

そんなことはない。そなたは正直なだけだ。

その影は言います。

正直と幸福となんの関係があろう。自分で自分を騙すことができたらどれだけ幸せであろうか。わらわは自分の定めに納得がいかぬ。

納得がいくような性格であれば、何不自由なく生活ができよう。きらびやかな衣装を着て、お金もたんまりとある。そんな暮らしにもし納得できるなら、こんなにも悩むことはない。

その通りだ。

影が言います。

反論しないのか?

私はお前の影だ。反論はしない。

これ以上問答しても進展はあるまいと思って帰ろうとしましたその矢先、

そうだ、そなたはもう帰るであろう。一言だけ言っておく。
生きる。

なんだと?

生きるのだ。

生きておる。

生きてはおらぬ、死んでおる。

なぜだ?息をしているし、こうしてそちと喋っておる。

それは動いているだけだ。生きるというのは、喜びを持って生きることじゃ。
そなたは今まで恵まれすぎておった。何もかも与えられてきた。お金も時間もゆとりもあった。よいか、いかなるときも喜びの気持ちが大事だ。そなたは生きるために生まれてきた。生きるということは、一生どんなことがあっても、ニコニコ笑って生きようと決意することをいうのだ。自分の人生に良いことばかり起きるように願うのは、生きることではないぞ。

そなたは私の影だと言ったが、一体何もの?

よろしい、氏素性を明らかにしよう。私はそなたの菩提寺の当主であった。だが、生まれつき与えられた運勢に納得がいかず、寺を出奔した。

出奔して全国を歩いているうちに、結局自分の心から逃れられぬと知ったのじゃ。わしは自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。自分のことを嫌いであるから、きっといつか人も俺のことを嫌いになる。そう思うと人と言葉を交わすのすら嫌になった。

結局人は自分が嫌いなのだ、その嫌いという思いが不幸をつくる。それで最後に気がついたことがある。自分で自分を好きになるしかない。さすれば人も俺を好きになる。

気がついたのだが、如何せん肉体の寿命が迫っておる。わしはちょうど1週間したら死ぬだろう。そんなとき誰に残したらいいか。

そんなときそなたを見出した。私は心の悟りの力で、お前は1週間後に嫁ぐ人間だと見抜いた。

いいか、1週間だぞ!

わしにとっての1週間とお主にとっての1週間は同じように価値がある。わしにとっての1週間は最後の命のきらめき。この残された1週間の中に、どれだけ喜びの感情を刻めるか。

そなたはこの課題をクリアすれば新たな人生が待っておる。今のお前では耐えられなくても、喜び満ちたお前なら耐えられる。

どんな環境にでも喜びを見出し、笑っていられる人間になるには訓練が必要だ。その訓練が済むまでは、運命は自由をお前に与えない。だがもしお前が自分の心に喜びをつくることができたら、運命はお前を自由にするだろう。

それから毎日、本当に毎日山に登ってはこ、の謎の人物と会話をしました。
そして、翌日が嫁ぎ先というその日、

明日の朝、陽が昇ったらわしはもう息絶えておる。いいか、わしの気づきをお前に宿す。わしは死ぬ。お雨の中に生まれ変わる。新しい人生を生きるのじゃ。

今日は宇治川のほとり、不思議な井戸水が湧いておりました。
この井戸水を汲んで飲むと、たちまち若返り人相まで若くなる。
この井戸水は、その謎の人物が掘り当てた井戸でありました。

翌朝、赤金色の太陽が東の地平線から昇ってきました。
運命が私の思い通りになるまでは、何が起きても常に笑っていよう。

溶鉱炉を連想させるような真っ赤な真っ赤な朝陽が昇ったとき、その老人は息絶え、あなたに喜びの感情が湧きあがります。

その後無事結婚し、8人ばかりの子どもを産みました。
当代当主の後継はできましたが、あなたは夫に頼んで晩年は出家して、その山に庵を組み、朝陽とともに起き夕陽とともに寝て、山川草木すべてのものと一体となって生活をいたしました。

どんなときも心に太陽を、それがすべての運勢を転換させる偉大な魔法の力であることを心にとめて、生きたのであります。

そして晩年は阿弥陀経を唱えました。

阿弥陀如来の真言
オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン
オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン
と申します。

おお、偉大なる仁慈慈愛の
御光の塊でありたもう
オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン
阿弥陀如来よ

このものに喜びの光を再び
幾歳月の年月を超えて
再び燃えあがらしたまえ

そして今後の闘志と喜びの歌を歓びの舞を
成さしめたまえ

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン

END


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