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【いまここにある仏国土】ペルシャの地にて
これは、紀元前五世紀頃。
中国と、中央アジア、ヨーロッパを繋ぐ、シルクロードの物語。
中国の長安を出発し、やがて、国境近くにまいりますと、砂塵が舞い散る、シルクロードの旅の始まりとなります。
もちろん、地図などありませんから、星を頼りに、夜の間に方位を定め、日中は太陽の光を頼りとして、旅を続けなければなりません。
中国の、不思議な香炉や、香りの物を積んで、これからペルシャに向かって、遠い遠い旅を続けます。
まだ見ぬ、異国の地を目指して、とぼとぼと、歩んでまいります。
ある日のことでした。
西に向かってどんどん歩いて行きますと、周辺に遮るものが何もありません。
今で言う、敦煌という場所のあたりを、旅に出かけておりました。
自分の影が、東側に伸びて、それがどこまで伸びているのか、面白いぐらい、自分の体が大きく大きく、影を作っております。
自分は、西へ西へ旅をしているのに、影の方は逆に、東へ東へと旅をしているように思いました。
昼の間は、何も感じませんでしたが、夜、焚火をして、食べ物を食べながら、考え込んでしまいました。
自分は果たして、一生この交易で、費やしていいものだろうか?
自分の体が、西へ向かっているのに、まるでもう一人の自分がいるかのように、反対側に伸びていた自分の影を見た時、昼の間はその意味が解りませんでしたが、
夜になってよく考えると、もしかしたら、自分が本来求めているものとは違う生き方をしているのではないか、そんな、どこか自分探しの旅と申しますか、本当の自分が、全く違うところにあるのではないか、そんな風に思えてきました。
あなたは、歌が好きでした。
そんな自分は、寂しく頼りなげな、状態に思えましたので、歌を歌って、その場をしのごうと致しました。
不意にその時でした。
自分が今から向かう方向の、マチの姿が、はっきりと浮かんできたのです。
不思議なこともあるものだ。
今日は何か特別な夜であるに違いない。
もう一人の自分のことを考えていたら、自分がやがて、たどり着くであろうペルシャの都が観えるなんて。
もちろん、初めての旅でしたから、観えるはずがありませんでした。
想像というものは、かつて自分が訪ねた街が、形を変えて現れますから、自分の想像だとはっきりわかりますが、その時観えたビジョンはまるで違っていました。
まさに自分が、そのペルシャの都に、現にいるかのように、はっきりと、生き生きと観えたのです。
おかしくなってしまったんだろうか? 旅の疲れだろうか?
そんなことを考えました。
すると、もっと不思議なことが起きました。
焚火の火がパチンと弾けると、それは下に落ちることなくグルグル渦を巻いて、しかもだんだん大きな炎になっていくではありませんか。
おや、今日の私はどうかしている。
そんなことを思うと、大きくなった炎の中から、仏像のような形が現れました。
お前は、本当の自分を生きているのか?
仏像はあなたに問いかけました。
もはや、幻覚でも何でもありませんでした。
あなたはその場にへたり込んで、ただただ仏像に手を合わせたのです。
申し訳ございません。本当の自分を生きているとは思っておりません。
このまま商人として終わりたくはないのです。
ですが、生活の糧として、どうしても商売の道を志したんです。
それは考え方が違うよ。そんな事をやっているから、商いが、その売り上げが上がったり下がったりをくり返すんだ。
いつまで目に見えるものを追いかけるのだ。
どういう意味でしょうか?
お前はいつだって、この私の弟子である。
いつだって、心の安らぎを求めなさい。
人が求めているのは、物ではない、心の安らぎなのだ。
それが証拠に、同じものを持っていても、この人から買おうと思うし、また、この人からは絶対に買いたくないと、初対面ながら人はそう思ってしまう。
だから、商いの道を通して、仏の道を探ることも出来るのだ。
万事がこの調子だ。
商いで得た利益で、仏のような生活をしようなどと考える必要はない。
商いの、姿そのものが、仏の世界に至る道なのだよ。
そのためには常に、自分は今安らいでいるかと、問いかけることが重要だ。
あなたは驚いてしまいました。
商いというものは、仕入れがあって販売が成り立ち、その差し引きによって利益が成り立ち、それによって豊かな生活が保障されると思っておりました。
しかしそれは違うと、仏は言うのです。
仕入れの額も、売り上げの額も、すべて人の心が決めるのだと。
そして人の心というものは、己が仏とどれだけ対話したか
それによって、どれだけの安らぎを得たか
それによって、どれだけ心が豊かになったか
それを見て人々は、お金を払うかどうかを決めるのだと。
御仏はこうおっしゃったのです。
この世と離れたところに、仏国土ユートピアがあるのではい。
今、ここにあるのだ。
それが、お前が一番したかったことだ。
お前はいったいいつまで、この利潤を追いかける仕事をすればいいのかと悩み続けてきた。そのために疲れやすい体になってしまった。いやいややっているからだよ。
しかし、その行為そのものが仏への道だと、今こそはっきり悟った方がいいだろう。常に、安らいだ自分でいること。
ものが売れようと売れまいと、常に安らいだ気持ちを、保つことだ。
相手が示した額が、その仕入れの額が高かろうと低かろうと、この安らいだ気持ちを揺るがしてはならない。
売り上げた金額が多かろうと少なかろうと、それによって一喜一憂して心を、ぶらしてはいけないのだ。
生きるということは、常にニコニコ笑顔を絶やさず、なるべく心を揺るがさない、落ち着いて穏やかな心を、どこまで保てるかというところに、この世の人間の生きる道があるということを、お前は決して忘れてはなりませぬ。
そう言いますと、スーっと御仏が消えていきました。
それから約半年間かけて、インドの中央部に至り、さらにあと半年をかけて、やがてペルシャの都に入りました。
人々はみな、どこに立って商いをすればいいのか、誰に出会えばいいのかと、街の入り口で、いろいろと口をきいてもらう人を探し、その人に手数料を渡して、さらに目的の人物と出会って、さらにその人物にも手数料を渡してと、当時のシルクロードを使った交易は、紹介料というものが、莫大に嵩んだのです。
そのために、商売が成り立たなくなる者も沢山いた。
これは歴史には残っておりません。
しかしあなたは、昼の間、一生懸命自分の影を眺め、そして夜の間に御仏から啓示を受けておりましたので、一体どこに行けばいいのか、自ずとわかるようになっていたのです。
そして、自分が足を運んだペルシャの都は、まったくもって、自分が御仏から啓示された、その姿と、寸分たがわず一致しました。
それによって、無駄な人に会うことなく、ほんの2、3人を介しただけで、必要とする商品を持っている人物に出会い、そして、適正な利潤を得ながら、仕入れを成功させることができたのです。
御仏は、またこうもおっしゃいました。
この複雑な世の中で幸せをつかむというのは、海の真砂の中から、真珠をただひとつ見つけるほど難しい。
しかし難しいのは欲があるからで、あれやこれやと、心が欲で膨らんでいると、欲を持ちかける人間にすっかり騙されて混乱してしまうからだ。と
欲をなくし、心を穏やかにした結果、自分が進むべき道が、適時的確に読めるようになったために、それ以来、あなたの暮らしは全く一変してしまいました。
そしてその経験を通して、本当に心という世界があるのだ。
そして、穏やかな心を求めるということが、どれほどこの世的に見ても効率的なものであるかを、まざまざと体験したのであります。
このように、心の幸福、安定と、物事の経済の安定とは、完全に一致する、
貴い道であります。
まず、己の心の安らぎと豊かさと、喜びを求めましょう。
そして、次には人々の、心の安らぎと、豊かさと、安定を求めましょう。
それによって、必ず出会うべき人と出会い、出会うべきものと必ず出会う。
これが、この世に生まれた人間の、修行の大切な姿であると、いうことが言えます。
END
2023年10月11日 タマシイヒーリング by Dr.Shu
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