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体罰が教育的に有効だと勘違いされてきた理由


コンチは。

ぬっひーです。


最近、体罰がメディアで大々的に取り上げられ、今では厳しい監視の下で教育が行われるようになりました。これにより、体罰はほとんど撲滅されたように感じます。


では、なぜ今までそのような体罰が当たり前のように教育の現場で行われていたのでしょうか。

それは、体罰が教育に良いと信じられてきたからでしょう。


もちろん、命の関わる現場などでは、自分だけでなく仲間まで危険にさらしてしまう恐れがあるため、厳しい教育が必要な場合もあります。

しかし、部活動などの場合はどうでしょう。

今日のような情報化社会では、罰がパフォーマンスの向上に無関係であることはよく知られています。

つまり体罰が行われていた時代では、教員が、自分の経験に基づいて教育を行なっていたわけです。

この経験こそ、罰が教育に有効だと勘違いされてきた原因なのです。

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上のグラフは、ある方が未経験の音ゲーを毎日した時のスコアを示しています。

初めてやった時よりも、回数を重ねていくごとにスコアは右肩上がりに増加しているように見えます。

毎日の部活動も、目には見えませんがこのように上達していると仮定しましょう。

グラフから見てわかるように、人間のパフォーマンスには波があります

健康状態や天気、その日の気分…気になるあの子と楽しく話せたから今日は体が軽いとか…昼食が消化の悪いものだったとか…

そういった複雑な要因のもと、若干ではあるが日毎に差が現れます。これは、その日の運も関係するでしょう。(たまたま前にいいボールが転がって点を決められたとか、当たった相手と相性がいいとか。)

それを踏まえて、パフォーマンスが平均より悪かった日を考えます

教員はいつもより動きが悪いその生徒を怒るでしょう。

次の日、パフォーマンスの質はある範囲でランダムですが、前の日より低い確率はかなり低いです。

この現象により、

教員は生徒に罰を与えたことにより生徒のパフォーマンスの質が上がったと錯覚します


逆に、調子がよかった日に生徒を褒めると、次の日は前の日よりパフォーマンスの質が低い可能性が高いです。

教員は、生徒を褒めた時パフォーマンスの質が下がったと錯覚します。

これが何年と積み重なった結果、「揺るぎない経験」として、罰が有効なものであるという間違いを信じて疑わなくなるのです。

これが、不確かな状況下における直感のエラーです。


このように、日常に潜む直感の誤解は、これ以外にも数多く存在します。

それについてはまた、別の記事で書こうと思います。

ではでは。



※今回の内容は、体罰や不必要な怒鳴りに対する評価です。部活動などのパフォーマンス向上においてミスや問題点の改善は必須です。勘違いしないようお願いします。


参考:レナード・ムロディナウ著 たまたま



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