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山下しゅんやが絵描きになるまで3

前回の続きです。
スクウェアは、わずか半年で辞めてしまいました。
FF10はまだ開発中だったので、途中退場のようになり会社に迷惑をかけてしまいました(と思っていたけど、それは自分の思い込みかも。自分一人が辞めたところでほとんど影響はない)。
このときばかりは、自分の行き当たりばったりの行動を情けなく感じました。でも、その半年で得たものは独学で得た経験の何倍も重かった。
そこで得た経験が自信になったので、そんなに恐怖心を抱かずにフリーに戻ることができました。

当時、友人は、絵が吹っ切れたねといってくれました。
吹っ切れたの意味がよくわからなかったけど確かに絵が変わった気はしました(それまでの重苦しさがなくなったのかな)。
そのせいか、再度フリーになってみると、自分がやりたかったファンタジーの依頼が来るようになっていました。
その中の一つにディプスファンタジアというゲームのキャラクターデザインの仕事がありました。初のキャラデザ仕事ということと、好きにデザインしてよいという好条件もあって、自分をアピールするチャンスだと思いました。
当時は体力もあったし、今ほど忙しくなかったから、
採算とか考えずほとんどの時間をディプスファンタジアの絵に当てました。
ディプスファンタジアは雑誌で何度か記事にしてもらったり、ビジュアル本も出版されて、自分の絵を大きく取り上げてもらい、なんか希望が持てました。
ちなみにこの仕事は、以前勤めていたスーパーリアルイラストの会社から紹介されたものでした。

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ところが、ディプスファンタジアの仕事が終わった直後、仕事での失敗とプライベートでのトラブルが重なり、精神的にかなり落ち込んでしまいました。
それに追い討ちをかけるように、徐々に仕事の量も減っていきました。
今回は原因不明だったので、さすがに途方に暮れてしまいました。

貯金がそろそろ底をついて、就職活動を本気で考え始めた頃、なぜか、画集の企画がひょっこり浮上しました。
その数年前に一度頓挫した企画だったので、再浮上ということになります。
出版社を変えてリリース可能になった、とのことで、水面下で編集担当の方が頑張ってくれていたのです。
画集の話が来たことで、就職活動はなくなりました。
そのときの、絵の仕事が続けられるという安心感は、のちに、いい本にしようという意欲に変わっていました。

自分の画集が出版されたことで、仕事の量が飛躍的に増えました。
吉沢さんが作ってくれたセラちゃんが出たのもこの頃です。
セラちゃんはその約一年後、コトブキヤから完成品フィギュアとしてリリースされ結構売れました。
オリジナルフィギュアだったので印税がもらえてびっくりしました。
それに伴い、それまでやりたくても出来なかったタイプの依頼が多くなりました。

自分の過去を思い出しながら、順番に書きました。
長くなるので、絵以外のプラモやバンド活動などは省きました。
記憶が曖昧になっているところもあるので、正確ではないかもしれません。


おわり。




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