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山下しゅんやが絵描きになるまで2

前回のつづきです。
丁度独立した頃、バンダイの雑誌Bクラブ誌上でイラストコンテストがあり、思い切ってプライベートで描いた絵を出品してみました。
運良く佳作をもらい、編集の方から「絵の仕事しませんか?」と声をかけてもらいました。
その仕事は、戦闘機や戦艦などの実在するメカのイラストでした。
当時は架空戦記がブームで、メカの描き手が不足していたようです。
コンテストに応募した絵はファンタジーの人物画でしたが同じリアル系なので描けるだろうという判断だったようです。

自分が進みたかったのはファンタジーイラストだったのですが、
当時はとにかく仕事が必要だったし、本に載るという実績も欲しかった。
断る理由などありません。
そのメカの仕事がきっかけになり、少しずつ他の仕事も増えていきました。
不思議なもので、一つ実績が出来ると、以前営業した出版社からも仕事が来るようになりました。

独立してしばらくは架空戦記ものやメカの絵で生計を立てていました。
でも当時はネットを導入していなかったから、資料を集めるだけでもすごく時間がかかります。資料の探し方すらよくわかっていなかった。
本来自分が描きたいものとかけ離れていたこともあり
何のために独立したんだろう、とストレスを溜め込むことが多くなりました。当時はそれなりに充実していたし、今思えば貴重な経験になったと振り返ることができるけど、でも、こんな状態が長く続くのはさすがに辛いな〜と考え始めたのも事実です。
そこで、自分の本来描きたかったものに立ち戻ることにしました。

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話が脱線するけど、コンピューターで絵を描くようになったのはこの頃(97年)です。
はじめは「下絵に使えればいいかな」くらいの軽い気持ちで導入しました。
Power Macの4400/200という機種で、HD2GB、メモリ160MB、ペインター4と小さなペンタブレットがおまけでついていました。
軽い気持ちで購入したものの、コンピューターの操作に慣れていくにしたがって絵の具で描くことは少なくなっていきました。
絵の具の絵は「タッチが重くて使いづらい」と言われることが多かったのと、コンピューターで描けば、下絵の軽さを残したまま完成まで持っていけるのではないかと考えたからです。

話を元に戻すと、ファンタジーイラストの仕事をもらうにはどうすればいいか?と当時、真剣に考えました。自分の描くメカに比べてキャラクターに魅力がないのかな、と思いました。
そこで、ゲーム会社に入ってキャラクターの絵を描く現場に触れてみようと思いました。
さんざん迷って、当時アルバイトでも雇ってもらえるスクウェア(現スクウェアエニックス)に絵を送ってみました。
なぜアルバイトにこだわったかというと、絵の仕事と両立したかったからです。でもこれは、今思うと相当甘い考えでした。
当時のスクウェアはファイナルファンタジー10の開発の真っ最中で、
僕はそのプロジェクトの武器デザインとNPCデザインに配属されました。
PS2最初のFFということで、開発の人が神経質になっているように僕には見えました。
徐々に残業も増え、当然、絵の仕事と掛け持ちなど不可能になっていきます。そもそも掛け持ちでゲームの仕事に携わること自体無茶であり、無知な自分を心底恥じました。その直後、体調を崩してしまったこともあり、スクウェアは半年程で退社しました。

またまたつづく




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