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山下しゅんやが絵描きになるまで1

子供の頃から絵を描くのが好きでしたが、
小学生から高校生まではノートにラクガキする程度で真剣に絵を描いていませんでした。
自分は目的がないと描けないタイプのようです。
本格的に描き始めたのは二十歳を過ぎて絵の専門学校に入学してからです。
それまで勤めていた会社(絵とは無関係)を辞め、貯金をすべて入学金にあてました。
特に絵の仕事がしたいという強い意志があったわけではなく
そういえば絵が好きだったよなぁくらいの軽い気持ちでした。

自分は、環境に大きく左右される人間なので、
入学してから、絵で食っていこうというメンタルに変わりました。
しかし、学校で教わったことは、のちの仕事ではあまり役に立ちませんでした。他の専門学校はわかりませんが、わりと精神論が多かったです。
こちらから学ぼうとする意志がないと何も教えてもらえませんでした。
だから自分はプライベートで描いた絵を積極的に先生に見せに行ってました。人間、自腹だと必死になりますね。

卒業して最初に入った会社は、スーパーリアルイラストを専門にしたイラスト制作会社でした。
主に建築パースや自動車のエンジンの図解などをエアーブラシで描く会社です。自分はエアーブラシが下手だったので、主に下描きを担当することが多かったです。
そこでは、いかに少ない手間でリアルに見せるかというテクニックと、時間内に完成させるペース配分を学びました。

会社なので当然ですが、自分の好きな絵は描けません。
そのストレスが原動力となり、プライベートでは元々好きだったSFやファンタジーをたくさん描きました。
帰宅して、すぐに取りかかれるように、毎朝机の上に画材を用意してから出勤するのが日課でした。
帰宅してから用意すると、疲れているので途中で寝てしまうのです。
そんな生活が一年半続きました。

描きたいものが描けないストレスと、毎日の残業で疲れ果てていたこともあり、思い切って独立することにしました。25歳のときです。
それでも、一大決心というほどの大げさなものではなく、やはり軽い気持ちでした。今思うと、単に苦しい現実から逃れたかっただけかもしれません。
行き当たりばったりの生き方は今も変わりません。

勢いで独立はしたものの、黙っていても仕事は来ないので
営業をしなくてはなりません。見せられる作品が少なかったこともあり、
一ヶ月間、部屋にこもり絵を描くことだけに没頭しました。
思えば、好きな絵を目的を持って描いたのはこれが初めてだったかもしれません。
そのときの絵と、勤めていた頃に描いた絵を携えて出版社などに営業にまわりました。いわゆる持ち込みというヤツです。
ところが、20社近く廻っても、ほとんど仕事はもらえませんでした。
「絵がリアルすぎて気持ち悪くて使えない」といわれたこともあります。
ゲーム会社に至っては、電話で持ち込みのお願いをしても「そういうのは受け付けていない」と断られました。
のんびり屋の自分も、こうなるとさすがに焦りの色を隠せなくなってきました。

つづく



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