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向き合う


2015年10月25日、アメフト部の主将だった私はただの受験生になった。

受験に備えて引退したわけではなく、はちゃめちゃに初戦敗退したからだ。

試合に勝つために飯を食いまくり、血反吐を吐いて筋トレをしてでかい体を作る必要はもう無くなってしまった。

試合に出るための規定部員数を満たすために、必死で同級生や後輩を勧誘することも、アメフトの勉強のために海外のサイトまで飛んでNFLの試合を見る必要ももうないのだ。


私は受験勉強をしなくてはならなかった。



なぜならただの受験生になってしまったから。



もう言い訳ができない。


受験勉強をするために早めに部活を引退する者は各体育会系の部活に一定数いた。

自称進学校だったため、勉強することは結構推奨されていた。
まあ、どの高校でもそうなのだろうけど。
部活をやり切らずに途中で引退したとしても、難関大学を目指しているのだからしょうがないと受け入れる雰囲気があった。

その雰囲気のせいで、アメフト部にいた三年生も1人辞めた。このおかげで何となく辞められる雰囲気ができ、まだ受験に関係ない二年生も1人やめた。


元々部員は全員合わせても10人しかおらず、大会に出場するためには規定で最低でも15人必要だった。

そんな中で2人も辞めてしまったため、
2015年の春の時点で入ってきた一年生を含め部員が8人しかいなかったのだ。

アメフトは最低11人でやるスポーツだ。

ギリ野球もできない。

5月の初め、顧問を含め部員全員で今後のことを話し合った。

顧問は、「俺も大会に出場したいが試合の10月25日ギリギリに勧誘した何の経験もない人間を試合に出したところで怪我をさせてしまうだけだ」と言った。


私もそうだと思った。

部員の皆んなも悔しい顔をしていた。

でも、私は絶対に大会に出たいと思った。
主将であることの使命感だったのだろうか。

今まで一生懸命やってきた事が何も報われないのが嫌すぎて、どんなに汚い花でも咲かせたいと思ったのだ。

しかし今思えば、私はただ受験勉強から逃げたかっただけなのかもしれない。

今アメフト部が解散してしまえば、勉強をしない言い訳がなくなってしまう。

僕は死ぬほど勉強が嫌いだった。

勉強というか、本当にやらなくてはならない事をやるのが嫌いだった。無駄なことだけを一生し続けたい。
義務が生じると全力で逃げ出したくなってしまうのだ。


だから私は小学生の頃宿題を出したことがない。

顧問に対して、「私はこのチームで本気で大会に出て勝ちたいんです」という自分でも気づかなかった虚栄を張り続けた。

ただ受験勉強を遠ざけるためだったのに。


すると顧問は、「7月中に部員を15人にできなかったら終わりにしよう。」と言った。

7月中も試合ギリギリなんじゃないかと一瞬思ったが、ホッとした。

まだ受験勉強をしなくて済む。皆んなとアメフト部で活動できる。

こうして我々の鬼の勧誘活動が始まった。
一年生に田中(仮名)というまだ何部でもない体のでかいやつがいるという噂を聞きつけた。

すぐに一年生のフロアに駆けつけて、ヒョロヒョロのバドミントン部の男子に、「田中ってやつどこいるか知ってる?」と聞いた。

すると彼は「田中もう帰っちゃいましたよ」と答えた。

「じゃあお前田中な」と言って


「いや、僕バドミントン部行かないとダメなんですって!!」と騒ぐ彼をアメフト部の更衣室に連れ込んでそのまま入部させた。

彼は我々が卒業したあとも辞めることなく3年間立派にアメフトをやり続けたらしいが、当時の我々はそれくらい横暴だった。

そんな勧誘の仕方をしているのだから、アメフト部の悪評が広がり、なかなか部員数が増えなかった。

この状況を見て、どうせ人も集まらないしもう無駄だと考えた1人の三年生が辞めると言い出した。

ブルータス、お前もか。

元々三年生は6人だったが1人は春の時点で受験を理由に辞めている。

残りの三年生の5人中3人はエスカレーター進学をする者達で受験勉強をする必要がなかった。

私と、辞めると言った男は受験組だった。

春の時点で彼も一緒に辞めるつもりだったが、みんなの熱意を見ていてやっぱり続けようと思った。
でも今の状況的に大会に出るのは難しそうだし、実るかどうかも分からない努力をしてるくらいなら勉強をしなさいと親にも言われている。みたいな事を言い出した。


私はふざけるなと思った。

あの時、皆んなで約束したじゃないか。

頑張って部員を集めて大会に出ようって。

こんな時に部員が減ったら、大会出場が遠のくだろ。


このままじゃ、俺が今すぐ受験勉強を始めなきゃいけなくなるだろ!!!俺たち皆んなの努力や夢が台無しになっちゃうだろ!!!


彼が部活に来なくなってからも、我々は毎日部活後に彼を新札幌のマクドナルドに呼び続けた。


そして安いハンバーガーを奢って、
いかに君が俺の受験勉強を遠ざけるためにこのチームに必要な存在なのかを説きつづけた。

勉強をしたくないという俺の強い気持ちにチームメイト思いの我々の熱い気持ちに押されて、彼はアメフト部に戻ってくれることになった。



7月中旬のある日、我々は緊張していた。


7月になった時点で、部員数は三年生6人と一年生5人の系11人だった。

一年生はもうほとんど別の部活に入っていたので残された道は運動部を引退した三年生を誘うことだけだった。

三年生が1人増えたのも、早めに最後の試合が終わったテニス部のキャプテンが入ってきてくれたからだ。


うちの高校の野球部はそれなりに強かった。
人数も100人を超えており、スポーツ推薦で入ってきた奴らもいて、試合もできないような弱小アメフト部とは対局の存在にいた。


強いということはハードなトレーニングを積んでいるということで、アメフトの知識と筋肉を増やせば即戦力になる人材が揃っていた。


野球部を何人も勧誘したが、
ほぼ全員に「俺たちも甲子園に向けて頑張っているのにお前は頭おかしいのか」という意味の言葉を投げられた。

それでもしつこく勧誘していると、
「わかった。今は無理だけど最後の試合が終わった後だったら考えてやるよ。」という輩がちらほらと出てきた。


どんな状況でも諦めずに受験勉強から逃げ続けたいという俺の気持ち大会出場に向けて奔走する我々アメフト部全員の熱い気持ちが、野球部の心を動かしたのだ。


ただ問題があった。

もし野球部が一回でも勝ち進んでしまうと、デッドラインの7月中に間に合わないのだ。


絶対に負けてもらわなければならなかった。


アメフト部の命運は全て野球部にかかっているのだ。


野球部の地区予選の日、朝のホームルームの時間から300人以上いる学年全員が浮き足立っていた。

男女関係なく野球部を応援していた。

アメフト部6人を除いては。

チア部の女子が、「一回戦から応援させてほしいよねー。授業サボれるし。まあ2回戦からはウチらも行けそうだからいいけど笑」とのたまう。

行かせねぇよ?

このまま君たちはサボることなく授業を受け続けてもらう。


(((負けてくれぇぇ)))

行かせねぇよと言いつつも、もちろんこんなことを口にできるわけがなく、我々は祈るだけだった。

喪中の時期にあけましておめでとうと言うよりも不謹慎なことをしていたと思う。


スマホを使っちゃいけない授業中も、みんな野球部の速報をチェックしていた。

誰かが、「え、今負けてんだけど。」

と言った時私は嬉しくてたまらなかった。

俺受験勉強まだしなくていいんだ皆んなで大会に出られる。


結局野球部はその日試合に負けた。

そして以前から声をかけていた数名に加えて、野球部のキャプテンまで入部してくれた。

裏で私が最低なこと思っていたのにも関わらず皆んなアメフト部のことを思って入部してくれた。本当にいい奴らだと思う。

心から私は感謝した。
まだ受験勉強しなくていい期間をアメフト部全員の夢を繋ぐチャンスをくれてありがとう。


そこから約3ヶ月、皆んな鬼のようなトレーニングを積んだ。誰1人妥協することなく四六時中アメフトのことだけを考え、体をデカくするために牛のように飯を食ってくれた。


そして10月25日、初戦で負けた。

泥門デビルバッツにはなれなかった。

どれだけ一生懸命やってもさすがに部員数も経験数も段違いで多い関東の強豪校には敵わなかった。


私は涙を流した。


あぁ。


もう受験勉強やらなきゃいけないんだ。
もう皆んなとの楽しい日々は終わるんだ。



部活を引退した私は、受験勉強から逃げる方法だけを考えていた。

自分に言い訳ができない状態でやらなくちゃいけない事をやっていないと、自分がどんどん嫌いになっていく。

しかしこのグーダラな私がすぐに受験勉強に取り組めるはずもなく、無駄にデカくなった胃にカロリーを流し込むだけの生活が1ヶ月続いた。

筋トレもしないで飯だけを食っていると、鏡に映る人物がどんどん醜くなっていき、そいつのことが嫌いになっていった。


11月27日の深夜、私はポテチとカップ焼きそばをコーラで流し込みながらYoutubeを見ていた。

海外のカップルがお互いにイタズラを仕掛け合うというものだった。

めちゃくちゃ美男美女のカップルで、特に男性の方は筋肉ムキムキの男なら誰もが憧れる体型をしていた。

夢のような生活。

夢が叶いきっている生活。

この人たちは幸せなんだろうな。


それに比べて私は受験勉強もせず、生き甲斐も何もなくダラダラと時間を消費している。


(夢から遠ざかっているではないか。)

(俺は今はこんな事をしてる場合なのか?)

(この人たちは努力をしてこの生活を手に入れてるんじゃないか?)

(俺は今芸人になるという夢に対して全く努力してないじゃないか。)

(芸人になるためにそこの大学にいくんじゃないのか???)


動画を眺めている途中で今の自分に対する怒りがピークに達し、決意した。


痩せよう!!!!



SDGsガン無視だった当時の私は食べかけのカップ焼きそばとポテチをゴミ箱に放り投げ、コーラを流しに捨てた。


そのまま外に飛び出しひたすらに走った。

街を走っていると、一歩着地するたびに心の中の雲が少しずつ晴れていった。


目標ができたのだ。痩せるという目標が。

これで受験勉強まだしなくていいじゃん!!!


このあと私は3ヶ月間毎日走った。
気温が−10℃を下回ろうが、どれだけ吹雪いていようが半袖短パンで走った。


そして20kg痩せたときには、もう受験当日の一週間前だった。


2023年の10月、サンタモニカはM-1を二回戦で敗退した。

1年間がむしゃらにやってきたことが実らず、自分に言い訳することができない状況はあの頃のようだなと思った。

私はyoutubeを初めようと思った。

発信しなければならないと考えた。


だから曲を作って発表したり、今までやりたかった事を動画にして発表しようと思った。

そして今はもう、2024年の1月11日。

私はyoutubeを初めようと決意してから読書にハマった。今まで大して読んでもないくせに月に20冊のペースで読んだ。

軽くダイエットも初めた。

  8年前と全く同じじゃねえか。



このノートも当時のランニングです。


向き合います。



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