エッセイズムという批評的態度
この文章は映画美学校 言語表現コース『ことばの学校』第三期批評クラスにおける提出原稿です。課題は以下でした。
提出原稿は以下です。
エッセイズムという批評的態度
詩というのは、「書き方」ではなく「生き方」ではないか。詩人を志すものとして、いつからかそう思うようになった。生をまっとうしなければそれは詩になりえない。単純にいえばそのような感慨をもって、その詩に生があるかどうかを、ふるいにかけるような姿勢で読んでいた時期があった。
あるとき、こういった読み分けにバカらしくなって、詩よりもエッセイに傾倒するようになった。エッセイという文章形態が、それが高尚な内省であれ、日常茶飯を語ったことであれ、自身の周辺に生起した事柄と自身の内省をもって、文章にまとめていく在りようがとても詩的に映った。そのようなエッセイに心惹かれ、そして薫陶を受けてきた。このエッセイの詩性とそこに帯びる批評性について考えてみたい。
エッセイズムについて
私が当初エッセイに詩性をみたことと、本稿の課題である批評を考えるために、「エッセイズム」という思想を紹介したい。エッセイズムとはオーストリア人作家ロベルト・ムージルが提唱した思想だ。しかしその思想は「エッセイズム」という言葉から想起されるような「エッセイらしさ」というようなものではなく、社会という群れを考え、個人という個を考えるための哲学とも呼べる思想である。
とても難解であるその思想を、私が的確に説明することは手に余るが、私がその思想にふれて理解したこととその思索を粗描してみたい。
まずエッセイズムは、道徳の思想である。道徳とは「人はいかに生きるか」を説くものだと理解してほしい。この「人はいかに生きるか」の「人」は、「人間とは」といった「人類総称」を指すこともあれば、「私自身」といった「一個人」を指すこともある。この点で、道徳を考えることは、すなわち「群れ」を考えることと「個人」を考えることとが接合していることだとわかるだろう。
かつてエッセイの源流となった著書『エセー』もまた、当時モラリストと呼ばれる一派の一人だったフランスの思想家ミシェル・ド・モンテーニュが「人間とは何か」という根源的な問いを考え、それを道徳として応用するために書かれたものだった。『エセー』のなかにこのような有名な言葉がある。
モンテーニュは「人間を考えることとは、つまり私を考えることだ」と考える人だった。私自身が思想家や法律家などの肩書きのある私ではなく、「なんの特性のないただの人」として考えること。このような個人の思索で得た道徳こそが、人間全体に応用できる普遍性のある道徳だと信じた人だった。モンテーニュはその思索の実験と表明のため、自身の「つつましい輝きのない生活」をつまびらかに文章にしたため、それらの文章を著書『エセー』として公開した。これがエッセイのはじまりだと言われている。
エッセイの特徴は、ここに出てくる「私性(私を考えること)」と「道徳性」のふたつ。これらの特徴はエッセイという文章形態とともに、そのおよそ350年後に登場するムージルにも引き継がれた。そしてムージルは、このエッセイという文章形態とその特徴を、哲学とも呼べる思想にまで発展させたのだ。
ちなみに、私がこの「エッセイズム」にふれたきっかけは古井由吉の著書『ロベルト・ムージル』である。本稿の大事なキーパーソンである古井由吉にもふれておきたい。古井由吉こそが、ムージルのエッセイズムに魅せられ、生涯を通じてそのエッセイズムを模索した人だからだ。
古井はもともとドイツ文学の研究者だった。その文学者としてのキャリアのなかで、ムージルがエッセイズムの体現としてまとめた長編小説『特性のない男』の翻訳を手掛けている。なお、この『特性のない男』は、ジョイスの『ユリシーズ』や、プルーストの『失われたときを求めて』と並び称される20世紀文学を代表する作品だ。古井の小説家として第一作『先導獣の話』は、この翻訳作業のあいまに書いた「もともとエッセイのつもりで始めたのが思わぬ方向へ逸れて終」った小説であった。
古井はその後、小説・エッセイともに多くの作品を発表し、そのキャリアの晩年には、小説とエッセイの境が融解していくような作品を書いていった。キャリアの中盤、50歳前後のころに、自身とムージルの関係、またムージルのエッセイズムに言及したものが著書『ロベルト・ムージル』である。
話をムージルのエッセイズムに戻そう。エッセイはもともと「私性」と「道徳性」が特徴だと言った。そしてムージルはそのエッセイを哲学とも呼べる思想にまで高めたと言った。その思想が「エッセイズム」である。この思想の在りようを話したい。
まずエッセイズムとは、「エッセイらしさ」ではなく、精神態度と方法論である。またその中心のテーマが「道徳」である。「人はいかに生きるか」といった道徳の問いにおいて、人間という「群れ」と、私自身という「個」は切り離せない話である。エッセイズムの精神態度もまた、群れと個、このふたつに分類され、そして根でつながるものである。この「群れ」と「個」は、「社会」と「芸術」が模索した分野だ。
エッセイズムの道徳もまた、「群れ」と「個」、「社会(群れを模索した分野)」と「芸術(個を模索した分野)」に分けて考えられる。これらを順に考えてみよう。そしてそのどちらにも通ずる道徳が「批評的精神」とも呼べることをあらかじめ伝えておく。
芸術的態度としてのエッセイズム
まず「個」の探求、すなわち芸術的態度としてのエッセイズムを確認したい。ムージルが語るエッセイズムには、当初私がエッセイにみた詩性とも呼べる香りが漂っている。古井が語るエッセイズムを断片的に引いてみよう。
仮に「人はいかに生きるか」という問いがある。この問いにはさまざまな角度・切り口から考えることができる。まずはその問いをひらいて見せること、すなわち「考えること」がエッセイズムの態度である。
そしてエッセイ(Essay)はその語に「試す」という意味を持つ。試す文章と書いて「試文」と言い表すこともある。エッセイイズムは、その意味のとおりまずさしあたりという姿勢で、問いをひらいて見せるということを試みる。そのときに注意したいのは、早急にその問いの意味全体をつかもうとしないこと。なぜならその問い(例|人はいかに生きるか)は、個人や状況によってその様相が変わるからである。だからこそ、その問いの答えを実体的に捉えようとせずに「ひとつの力の場にある関係、あるいは運動」と捉えることが重要なのだ。そして「何かがこのような組み合わせによって成り立っているとみれば、では、別様な組み合わせのとき、どのようになるか、それを見る」のだと。続きをみてみよう。
さしあたりに試すといっても、その物事(関係や運動)を曖昧な姿でみてはいけない。その点においていわゆる随筆随想とは異なる。むしろ何事にもなりきらないものを、そのつどの思考において、精神の強い形姿としてあらわすのがエッセイである。そして、このように続く。
やはりエッセイの中心テーマはモラル、道徳であるのだ。つまり「人はいかに生きるか」ということ。この道徳的問いに向けて魂すべてをあげて向き合わなければならない。そのときに必要なのは、論理的な認識、たとえば理性や知性といったものではなく、人の理性や知性が及ばない、神秘的な境地を想定して向き合うこと。そして「エッセイズムの態度をとる以上は、なんらかの未知の境地への運動が伴わなければいけない」と、未知の境地への運動の必要性を説いた。私はこの言説を詩論のようだと思った。
どういうことか。詩の様相を確認するために、中原中也の『詩論』という作品を引いてみたい。
ここに出てくる「芸術」を「エッセイズム」に置き換えてみてもほぼほぼ成立するだろう。また「誠実」という言葉は、「モラル」「道徳」とも呼べる精神態度である。中也は自分自身に誠実であることの重要さを、大量の感嘆符とともに説く。そして芸術とは自我を愛し、誠実であったことの褒賞だと。エッセイというものが私性を考え、そこに道徳・モラルが必要だと考える、モンテーニュ、ムージルとの主張に類似性をみることができるだろう。
そしてフランス語の最終行、「生きるとは、自我を愛することである」という一文。自身に誠実であるということは自我を愛するということ、それこそが生きるということだと言う。芸術とは、そんな生きる過程の折にふれて歌いたくなって生まれた副産物なのだとも。この烈しい中也の言論こそが、ムージルが言うところの「精神の強いすがたかたちをあらわしたエッセイ」なのではないか。
ムージルが語るエッセイは私が普段読む日常茶飯を語ったエッセイとは大きく違うものの、私がそれらのエッセイに感じた詩性は、私性を「ひらいてみせ」、誠実に向き合ったという点で、エッセイの本質に自然と引き寄せられていったエッセイストたちの運動のなかに視たのかもしれない。
またもうひとつ、エッセイズム「可能性主義」という考えを紹介したい。前述した古井の言葉を借りてふたたび引いてみよう。
この文章は次のように続く。
この言説は、かつてのモンテーニュの「なんの特性のないただの人として考えること」を想起させる。またムージルの著書のタイトルが『特性のない人』であることにも言及しておきたい。可能性の話について古井はこのような例え話をする。
このような内実に対処するためにエッセイズムが要請されてきたのだ。古井作品を読んだことがある人はわかると思うが、古井はこのようなありえたかもしれない可能性、オルタナティブな可能性を、その小説作品のなかで多分に実験している。それらの実験が、試すという行為が、エッセイズムの体現であったことは想像も容易い。エッセイズムの方法論としての形姿をここにみることができる。
この可能性主義について、『特性のない男』の主人公はこんなことも考える。
エッセイズムの態度が、人に限らず、すべての存在に適用できる態度であることを示している。
詩や小説、これら芸術的態度としてのエッセイズム。そのエッセイズムは個に向き合うため、その虚実混交の世界に向き合うための批評的態度といえるものだろう。しかし同時に、現実そのものにも一種のエッセイズムと呼ぶようなものがある。ここにエッセイズムの社会的態度がある。
社会的態度としてのエッセイズム
エッセイズムの「個」については考えた。では次に「群れ」の側面、エッセイズムの社会的態度とは何か。批評の歴史からみれば、ムージルは、18世紀のカント、19世紀のヘーゲルののち、20世紀の時代を生きた。いずれも同じドイツ語圏である。ムージルが書いた小説『特性のない男』の主人公は、さまざまな時代を批判するが、その批判する時代には類似性があった。
ひとつは、19世紀から20世紀を想起させる時代。哲学や自然科学など、実証主義、実証主義的な精神が支配した時代。もうひとつは、感情や情念、神秘的なものや魂の救済など、反主知主義的な時代。ムージルは、このふたつのイズム(主義)が、どちらか一方に寄ってしまう様相を批判し、両者を併存させる思想としてエッセイズムの可能性を考えた。古井はこのように語る。
ふたつのイズムがせめぎ合わないでどちらか一方に偏ってしまう。そのような時代の様相に対する批判としてエッセイズムを考えた。これがエッセイズムの社会(群れ)に向けた批評態度である。
いっぽう、イタリア人作家のイタノ・カルヴィーノはこのようにも語る。
また、カルヴィーノはそれはプルーストも同様だと言い、「失われた時の探求という考えそのものが、始まりも終わりも全体の流れも、すべて一緒に生まれてくるものだから」「世界はついには把握し得なくなるほどまでに拡散してゆ」く、とその思想そのものの不可能性を指摘した。しかしカルヴィーノは不可能性ということで結論づけたかったのではなく、ムージルもプルーストも「費やされる生命の短さのなかで書き得ることの多様さを徹底して書きつくそうという渇望」があり、その渇望によってこそ文学が「生命を得る」とその精神態度を支持したのだ。
エッセイズムの形姿
このパラドックスを抱えた「エッセイズム」が希求した形姿とは何か。すなわち、主知であり主情でもあるような、対極を両義的に相携える拮抗。そして可能性を探求するという不可能的な態度。エッセイズムが批判したのは、定義として固定化しようとすること自体にあり、世界全体を、または人間というものの存在を、「一時的な」「決定」として捉えよ、という無限の可能性に満ちた世界を提示したのではないか。移ろいゆくこの世界を批評し、そして移ろいゆく個人の在りようを考え続けるために。そしてまさに、その「一時的な決定」をするために、思考し、試行するためのエッセイ(試文)という文章形態があるのではないか。つまり、エッセイという文章形態は、このエッセイズムを思考し試行するためにあるのではないか。
『エセー』をまとめたモラリストのモンテーニュから、ムージルへ。その道徳律の系譜は、人や社会といったあらゆる組み合わせのなかで思考し試行することに、その道徳の幹をみることができる。この試行の顕れとして、ムージルや古井は、小説やエッセイという表現のあわいを漂った。その表現の奥底には、「エッセイズム」という大きな神秘が隠れていると信じて。
カルヴィーノの言葉を借りるならば、エッセイは「精神の秩序と正確さへの嗜みを心得ている文学、すなわち詩と同時にまた秩序と哲学を理解する力を備えた文学、という価値」をもっている。カルヴィーノもまた、エッセイに「詩」をみており、またひとつの文学だという。
詩を追い求めるものにとってはこの「エッセイズム」を「詩性(ポエジー)」と親しみを込めて呼びたくなる気持ちはさておき、われわれがこの生の歓びと謎を分かち合うために、エッセイは多分な可能性を提示してくれる。
あとがきに代えて
本稿を書くにあたって、「批評にとって批判が大事」という言葉に正直足が止まってしまっていた。対立させ、止揚させなければ、人も時代も前に進まないことはわかっている。これまでの知の進化に批評的/批判的精神が大きく寄与してきたこともわかっている。しかし、どう考えてみても、私には批判したいことなどなくて、むしろ対立するふたつの意見があったとしても、そのどちらをも尊重したいと思えてしまうのだ。そんな折にみつけた、この「エッセイズム」という考えはとても自分の肌に合っていることがわかった。対立するふたつの概念を、大きく包み込むような慈しみと、拮抗させようとする慎ましい意志。この思想に、大きくあたたかい陽光のような光をみたのだ。
ムージルのこのエッセイズムは、カルヴィーノの言うとおり「結論づけることの不可能性」という、なんとも身も蓋もない結論に落ち着きかねない。しかし、それでも「試行せよ」とムージルは言う。思考し、試行する。試行するというのは、実験するという意味もはらんでいるだろう。結果がわかることは実験ではない。結果がわからないことに思いを巡らせること。そして、その場限りの一時的なものでいいから、輪郭をとらえ、決定づけること。この教え、これこそが「批評」ではないか。
ムージルと古井はエッセイズムのなかで試行主義のほかに「可能性主義」という考えを提示している。この世はあらゆる組み合わせでできていて、つねに人間の周辺には可能性が広がっていることを説いている。「もしも、私がこうだったら」「もしも、あのときこうしていたら」――可能性への想像は、未来への期待も、過去の後悔をも包摂し、今の私を「一時的」に輪郭づける。この思考の表出に、「エッセイ」という文章フォーマットは適しているといえるだろう。
事実、エッセイはあらゆる文章を大きく包み込む。日記、紀行、随想など……高尚な内省であれ、日常茶飯を語ったことでさえ、エッセイは包みこんでくれる。ロラン・バルトは批評の断片をエッセイに記し、古井やムージルはオルタナティブな可能性を試行するために小説ともエッセイとも呼べるような文章を書いた。小説や評論、詩といった明確な形に落とし込めない思考の断片を、エッセイはやさしく掬う。なかば文芸ジャンルとしては慎ましい立ち位置にいるエッセイこそが、むしろ文芸の諸ジャンルの奥底に、底流として流れているのではないだろうか。
(8700字)