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「マッハー」化せざるを得ないNPO経営者は、ソーシャルキャピタリストになりえるのか?

さて、前回記事で、

【ソーシャルキャピタルを高める「マッハー」と「シュムーザー」とは?】

を書きました。

ざっくり、
・マッハー(コミュニティ事業などに直接的に貢献していく人)
・シュムーザー(飲み会とかそういうのを企画して人と人が交流することを促進する人)
とした時に、
シュムーザーがのびのびと活動できる環境を作ろうと組織で準備をすると、
マッハー的な行動に全てなってしまうというパラドクスをどう解消するか?
ということです。

これ、タイトルにあるようにNPO経営者でも起こりうることだなぁと思っています。

僕自身の実体験をかくと、

立ち上げた当初は、みんなボランティアだし、来てくれる事、いてくれることがありがたかったんです。

なので必然的にその人にとって価値ある時間にしたい!という想いも強いし、もっと仲良くなりたい!っていうのも強く、
「事業推進」だけではなく、「共に時間を過ごし、お互いを知り合うこと」にとても多くの時間を割いていたなぁと思います。

その具体的な行動の表れとして、飲み会をたくさんしたり、休日に一緒に遊びに行ったりということをしていたなぁと。
で、そこで話すことは、「事業に関すること」は少なく、「それぞれのこれまでの話やこれからの話」をすることが多かったなと。

それが時間が流れ、雇用が生まれてきて、事業が大きくなってくると、
NPO代表者も経営者としての役割が求められます。

一人一人に向き合う時間は少なくなり、
数値に向き合う時間が増えていきます。

ボランティアも含めて多くの方々が関わってくれるようになると、
今までのように誰でも彼でも「共に過ごす時間をたくさんとる」ということができなくなります。(僕は、「この人は半年で辞めるかもしれない。。。ならあまり話さなくてもいいか・・・」という思考が働いてしまいました)

そうすると今まではただの飲み会で満足していたのですが、なんかイベントっぽくして、きてくれたメンバーたちに対して団体の理念や歴史を語ったりするようになりました。

お分かりの通りで、これではシュムージングではなく、マッハー的な行動でしかありません。「その人自身の話」よりも「団体や事業の話」が増えます。当然、「人と人」としての関係性は育まれにくくなってしまったと感じています。

これ、どうやって解決できるでしょうか?

・ボランティアを含めた団体に関わる人の数を制限する。
→関わる人全員と同じように付き合いをする。

・団体に関わる人を区分けし、長く関わることをコミットしてくれている人だけをコミュニティ内とし、単発のボランティアの人たちと施策を分ける。
→コミュニティの範囲を明確に定め、そこの人の流動性を下げることで、共に過ごす時間、語り合う時間を増やしていく。

・NPO代表者は経営に注力するのであれば、ナンバーツーにシュムーザーを置く、もしくはナンバーツーに経営や数字をぎっちり見てもらい、代表者はシュムージングに重きを置き、コミュニティ内で共に過ごす時間を大切にする。
→これはやりたい想いもありつつ、結構現実的に難しさも感じる部分。(よくメンバーと飲むのだがw)

実はこれは非常に大きな問題で、
日本のNPOは自助、共助、公助で言うと、公助で足りない部分を補っていくことが多いのだが、実は共助の部分が非常に重要で。
その共助を促すということがソーシャルキャピタルの向上にも非常に必要なのだが、日本のNPOは関わってくれるボランティアの人たちとの共助を育むことでソーシャルキャピタル製造機としての役割を果たしていたと思うんです。(事業としては公助を行わないと収益にならないから。ここら辺はまた議論が分かれるところ。)

でもNPO代表者がマッハー化することで、団体のソーシャルキャピタル製造機能が薄れてしまうのではないかと思うわけです。

そうするとNPOの数自体は増えていても、
日本全体のソーシャルキャピタルは下がり続けてしまうのかなと思っています。

ここら辺は市民活動とかとも密接に関わってくるのでまたかいていきます。

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