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ソーシャルキャピタルを高める「マッハー」と「シュムーザー」とは?

具体的にソーシャルキャピタルを高める人の種類っていうのはどういう人たちがいるのかというと、「孤独なボーリング」では二つの種類の人物像が書かれています。

それは、
・マッハー(コミュニティ事業などに直接的に貢献していく人)
・シュムーザー(飲み会とかそういうのを企画して人と人が交流することを促進する人)です。

以下引用すると、
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.フォーマルな組織に多くの時間を費やす男女は、しばしばマッハーと呼ばれる。すなわちコミュニティにおいて何かを起こす人ということである。
・対照的にインフォーマルな会話や親交に多くの時間を使うものはシュムーザーと呼ばれる。
・マッハーは現在の出来事をおい、教会やクラブの会合にいき、ボランティアを行い、事前寄付をし、コミュニティ事業のために働き、献血をし、新聞を読み、スピーチを行い、政治に関心を持ち、頻繁に地域集会に出席する。マッハーはコミュニティにおける万能のよき市民である。
・シュムーザーはディナーパーティーをし、友人と出かけ、トランプで遊び、しばしばバーやナイトスポットに行き、バーベキューをし、親戚を訪ね、季節の挨拶状を行う。
メジャーリーグ級のマッハーは、世界レベルのシュムーザーであり、逆もまた然りである。
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これって結構示唆深くないですか?

合理性、効率化、を求める社会で、「シュムーザー」って育ちづらくないですか?
なんかいつも遊んでいる人みたいにみられてしまう。
でも一見無駄に見えること(効率性や合理性ではない判断軸で動く)を行ってくれる人がいるから、コミュニティは育まれ、社会全体のソーシャルキャピタルは向上すると考えると、この「シュムーザー」を許容していくことや、シュムージング(シュムーザーが行う遊びのようなもの一般)を推奨していくことが大切になります。

一方で、これをコミュニティの代表者とかが決めて、コミュニティ活動のために飲み会をしよう、みんなで遊ぼうとすると、「コミュニティ活動のために遊ぶ」=マッハー的な行動になってしまい、シュムージングの本来の機能を果たせないことが想像されます。

忙しい現代社会の中で、目的を持たずにただただ共に時間を過ごすを大切にできるといいなと思います!

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