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なぜACROVEのミッションは「社会の果樹園を創造する」なのか

【22歳で創業、6つのM&A、100社以上のお客様】

株式会社ACROVE のミッション「社会の果樹園を創造する。」

GWも終わり、今日から新たな日常です。皆さん、帰省や旅行等で、楽しい毎日を過ごしましたか?
先日日本でも公開開始となった映画「スーパーマリオ」は、興行収入がGWの数日で国内20億円を突破する大ヒット。全世界での興行収入はとうとう約10億ドル(日本円で約1400億円)を突破。一つの映画で1000億円の売上!って考えると、日本が誇るコンテンツ力って本当に凄まじいものがありますね。
そんな日本を代表するコンテンツの生みの親である任天堂さんの本社・京都から新幹線で2時間と少し東京方面に向かうと「新横浜」という”新幹線駅”があります。そこからさらに15分下った横浜のベッドタウン「長津田」という場所で、私は生まれました。22歳で今の会社を立ち上げ、4年でおよそ100人の仲間に恵まれました。その後6つのM&A、100以上のECブランドの支援をし、最近では以下のようなことをしてきました。

  • 2019年 anomaプロテインを日本初のピープロテインとしてEC販売開始

  • 2020年 ECサービス事業(メーカー様向けSaaS事業)を開始

  • 2022年 ECロールアップ事業を開始し、5ブランドのM&A(買収)を実施

  • 2023年 日本郵政様/富山銀行様等、複数の企業と連携を強化

(参考) 沿革

よく「なぜそんなに早いスピードで事業を成長させることができたのか?」とご質問を受けますが、それは私達に「志」があるからだと考えています。
そこでこのnoteでは、私がどんな気持ちでACROVEを立ち上げ、なぜ私達の志(=ミッション)を一見変わった「社会の果樹園を創造する。」に設定したのか、というお話をしていきます。

【2018年11月 株式会社アノマ創業】

私がACROVEの前身となる株式会社アノマを創業したのは、2018年11月。
まだコロナ前の時期でした。スルガ銀行のシェアハウス向け融資と、カルロス・ゴーン氏の役員報酬過少申告のニュースが世間を賑わせ、今では世界の大スターとなったメジャーリーガーの大谷選手が、メジャー1年目で新人賞を受賞した頃でした。
当時22歳の私はといえば、2018年の9月までオーストラリアのゴールドコーストという場所に住んでいて、帰国して間も無く法人を立ち上げた頃でした。
ゴールドコーストは、鮮やかな青い海と、温暖でカラッとした過ごしやすい気候に恵まれ、フレンドリーで大らかなカルチャーに包まれた街です。米国でいうカリフォルニアのような街で、健康意識の高い人も多いのが特徴です。当時、オーストラリアではソイフリー(大豆不使用製品)やヴィーガン(菜食主義者)は一つのムーブメントとなっていて、そこで見つけた「えんどう豆のタンパク質」が、今後環境問題がより顕著になる中で流行る!と考え、帰国後にそれを日本で創ろうと思ったのが、今のanomaプロテインです。
というのも、えんどう豆を生育するにあたって水や土地といった環境資源の使用が、他の原材料に比べて少ないためです。
帰国して2か月後の2018年11月に、ACROVEの前身となる「株式会社アノマ」の法人名で登記し、早速プロテインの開発を進めていきました。元々アスリートだった私は、栄養の知識と輸出入の知識があったため、開発自体はスムーズに進むことになります。品質のいいえんどう豆を世界各国から試飲し、味、匂い、色、安全性、色んなものを考慮して今の形に仕上がりました。
貯金していた数百万円が文字通り全てプロテインという粉に変わった!瞬間はとても不安でしたが、自分が本当に良いと思えるモノを開発して販売して、それを気に入ってくれる人が増えていく日々は、それを上回る高揚感で気持ち良いものでした。
若さと元気と勢いで、毎日がワクワクしていました。こんな日々が、ずっと続くんだろうな、と。

【私の商売の基礎と、起業1年目。】

帰国してすぐ起業した! 
というと、とんでもなく突拍子もない人間なのかと思われがちですが、実は小さい頃から趣味の延長で沢山の商売をしてきました。中高生の時には、当時流行っていたブログサービスに片っ端から登録し、ゲームや映画ジャンルのアフィリエイトサイト等を作っていました。20歳の時には、電話回線の訪問販売からEC販売まで、多種多様なことをしていました。成功した事業も失敗した事業も沢山あったので、私の中である程度の勝ちパターンは見えていました。
anomaプロテインの販売は、今までの経験に基づいているので売る前から、これはいけるぞと思っていました。
帰国後、半年以上のプロテインの開発期間を経て、2019年の夏から販売をスタートし、販売から1年目で年商は5000万円を超えました。元々私自身がアスリートだったこともあり、周りの友達やその友達のアスリートが「美味しい、効果を実感した」と継続して購入してくれるのは、非常に嬉しい経験でした。

創業当時anomaプロテインの販売に奔走している中でも、いつも元気な中村君^^

P.S この頃の創業メンバーは、ACROVEとなった今でも活躍してくれています。そのうちの一人は、今度名古屋支部の立ち上げにいきます^^

【コロナがきた】

そんなワクワクした生活が一変したのが、今でも忘れもしない2020年4月。東京でもコロナが流行り始めました。当時千駄ヶ谷にオフィスを構えていましたが、時折用事があって新宿駅や渋谷駅に出かけると、本当に誰もいない光景がひろがっていました。スクランブル交差点を渡っている人の数が、数えられるくらい。とんでもないことが起きたな、と思いました。飲み屋もカフェも百貨店も全部閉まっている。東京の中心地がシャッター街なんて、戦争か大地震以外でありえるのか?と、自分の見る目を疑いました。
今までノリと勢いと、その場のワクワク感だけで生きてきた私が、はじめて「人生とはなにか?」、「私は人生で何を成し遂げるべきか?」を深く考えるきっかけになりました。

【創設理由は「人生とは、後世に何を残すか、である。」】

コロナ禍でひとけのない街の様子、あまりの衝撃的な光景に、私は三日三晩こもって考えることになります。
幸せとは、何か? 人生とは、何か? 将来もう一度、コロナのような疫病や社会の危機が訪れたとき、私はまた何もできずに指を咥えて待っているのか?
そこで出た一つの答えが、「人生とは、後世に何を残すか、である」ということです。
勿論、私利私欲がないわけではありません。これも欲しい、あれも欲しい、色んな夢がある。
けれど死ぬ間際の自分を鮮明にイメージした時に、一番後悔していることはなんだろう?とイメージすると
浮かぶ姿は「社会に、貢献できなかったこと」です。
そんな思いをして、死にたくない。
私は商売、経営は得意という自負がありましたから、「令和を代表する企業を創ろう。そしてそれを未来へ残そう。」と考えました。
一度志が決まってしまえば、あとは戦略を考えるだけです。四季報や過去のニュースを読み漁り、国内におけるこの30年間で急成長した企業を徹底的に調べ上げました。そしてある共通点を見出しました。

  • 10年で急成長し、30年生き残る企業で最も多いのは、ITコングロマリットの業態であること。(eg.ソフトバンク、サイバー、楽天)

  • 単一の事業は常に「賞味期限」があるから、100年、300年と拡大し、会社が回り続けるためには、創業者が不在でも事業がどんどん立ち上がる仕組みが必要であること。(eg.リクルート、三菱商事)

そこまで調べて、考えて、私の中でパッと道筋が開けました。そしてその開けた道筋を絵に描くと、たくさんの事業が立ち上がっている、カラフルな果実の集合体、まさに”果樹園”が見えたのです。
とても大きな果樹になる事業もあれば、花咲かずに”次の種”になる事業もある。しかし、グループとしての資源は果樹園の中で循環し、そして徐々に大きくなっていき、”誰かのためになる果実”が採れる量も増えていくのです。

循環を表す円の中に根付いた木に実る色んな果実。こういう社会にしたいと思いついた絵

私が人生で成し遂げたいのは、これだ、と。
みんな(個人や組織)の尖った長所(=ACRO)を生かして、沢山の事業が立ち上がる「果樹園(GROVE)を創ろう。
社名を株式会社アノマから株式会社ACROVE(アクローブ)に変更したのは、コロナが東京にきてからおよそ半年後。2020年の10月でした。
そしてミッションを「社会の果樹園を創造する。」ことに決めたのです。

創業当時から今も変わらないACROVEのミッションと思い

任天堂の本社が構える京(みやこ)である京都は、街としても1200年の歴史があります。何度も戦火で焼き尽くされた都市が、姿形は変わりながらも、いまだに残っている。それは京都の「想い」を紡いだ人たちが、ずっと存在するからだと思います。

ACROVEも、社会の果樹園となり、事業は変わりながらもきっと残っていく。それはすなわち、「社会のため」という高い志を持った同志が集まり、グループとしてのACROVEを一人一人が担い、支えることでACROVEという会社が「自律し、グループで循環し、そして未来へ紡いでいく」ということを意味します。

さあ、みんなで社会の果樹園を創ろう!

今日はACROVEのミッションの紹介でした。


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