届くとか届かないとか。
「あの人は届かない存在だ」いわゆる高嶺の花だと思うことってありますよね。
で、そこで諦めたりするわけです。そこに到達したいはずなのに、現実に打ちのめされて。
それからはひどいですよ。「どうせ」と自分を責めたり「そもそもそんなにほしくなかった」と対象を否定してみたり。
高嶺の花、ってなんで存在すると思います?
そこに到達するためにあるんですよ。
ちょっと工夫して、努力すれば届くのであれば、そもそも興味を持たないわけです。例えば、僕がタワマンに住む事へ全く憧れがないのは、そこに到達するイメージが湧かないから、と、住む理由が全く無いからもありますが。
まぁ、高嶺の花というと、一般的には恋愛対象の人を指しますよね。どうにかしてあの人と付き合いたい、いやせめて視界には入りたい、興味を持ってもらいたい。
実際の高嶺の花と違うのは、その欲求?に対して行動がすぐ出来てしまうことです。話しかけてしまえるし、興味を持ってもらおうと色々とやってしまえる。特にSNSで繋がっている人であれば、気軽にリプを送ってしまえる。それで「やった!繋がれた!これでいつかは…」と甘い期待を持ってしまう。
でも違うんです。行動はもちろん大切だけど、それが「節度ある行動」なのか、ということは考えないといけない。恐らく寝てる時間帯なのにむやみにリプを送ってみたり、相手が興味あるかないか分からない事を話題にしてみたり。
花でいうと、その花を持ち帰るために必要な道具は何なのか?どうやって抜けばダメージが少ないか?持ち帰ったとして、どうやって育てればいいか?そういう事をイメージできないと、ちょっとね。
で、高嶺に登るのって勇気いるじゃないですか。恋愛対象にアタックするのに、躊躇することってよくあることです。そこで、唯一信じてほしいことは「高嶺に登ろうとした、登ったことを笑う人はろくでもない」ってことです。
よく「お前にあんな人届くわけ無いじゃん笑」とか言う人っていますよね。え、誰が判断してんの?届くとか届かないとか、なんでお前が判断できんの?こちとら必死になって届けと思って行動してんのになんでお前が判断できんの?判断するの相手なんじゃないの?と詰問したくなるような相手。
そういう人はね、総じてろくでもないです。届くとか届かないとか、そういう事を一方的に判断してくる人とは、距離を置いた方がいい。
「え、待ってあの人だよね?だったらまず…」とアドバイスしてくれる人は、逆に大切にした方がいい。高嶺に届けと思っている事を後押ししてくれる人の存在は、力になる。
全ては高嶺に到達して花を手にするために。まぁ、手にした後も大切なんですが、まずはね。
やれることはすべてやろうと思う僕でした。
それでは、また。
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