ウクライナ編②ウクライナで過ごした日々と、少し大人になった話

前回書いたように、俺は、ウクライナで環境案件を実現させるべく、2011-12年はキーウとウクライナ東部を彷徨っていた。

まず、そもそもどのようにプロジェクトを探すかと言えば、
日本政府による数百億円の資金給与が行われるという話はとっくにウクライナ中に回っており、
ウクライナ環境投資庁にはウクライナの地方自治体から大量にプロジェクトの候補が提出される。

例えばとある地方では学校の窓枠を全て二重にする(=暖房代が浮くので省エネ)、

キーウではメトロにインバータを入れて省エネ化する、等。

補助金の枠は決まっており、奪い合いなので皆必死だ。
我々も環境投資庁にそのリストを貰い、うまい具合に日本の技術を入れられそうで、かつウクライナ政府内を通すだけの有力者の案件(例えば、大臣のファミリー企業の案件だったりするとすんなり通る可能性が高い)を選別していく。


数か月程かけて、ウクライナ側と日本のメーカーを色々と回った結果、
ウクライナ東部(今はロシアに一方的に併合されたルハンスク、ドネツクの2州)で
炭鉱排水の水処理案件と地方の冷暖房の省エネ案件に取り組む事になった。

当時は課長が東京で経産省と日本メーカーの対応をしつつ、俺がウクライナに張り付いて環境投資庁とウクライナ東部の現地パートナー対応という分担だった訳だが、
特に大変だったのは、案件の選別を行う権力を持っている環境投資庁との付き合いだ。

現地支店のスタッフで同年代のタラス君と共に毎日環境投資庁に向かい、ゴッドファーザーを彷彿とさせる上層部だけではなく(こいつらは会っても滅多に本当の事は喋らない)、真面目な下っ端官僚とも仲良くし、

我々の他にどのような案件に日本の商社が取り組んでいるか、それは有望なのか、等を探る。
それを日々東京にリポートし、

「他社はいくらの金額で出されてるか調べろ!」

等の無茶ぶりを受け、環境投資庁にお土産を持っていき、ヒントめいた情報を貰う。

一方でウクライナ側のパートナー達とは日本側との所掌分けや、金額の割り振りでバチバチ交渉する。

特に、ドネツク地域冷暖房を担う会社の部長であるヴィクトリアと、ルハンスクで水処理設備の据え付けを行う予定の建設会社社長のナタリアの2人の事はよく覚えている。

二人とも、その辺にいる太ったおばちゃんという風体で、近所のスーパーに行って帰ってきたような服装をしておきながら、
交渉の際はとてもロジカルで異常に記憶力が良く、数か月前にこちらがポロっと喋ったことを細かに覚えており、手強い相手だった。

正直、ウクライナの片田舎にある公営団地の中に入っているような中小企業にいるおばちゃんが、たまに東京に帰った時に話す、日本を代表するようなメーカーの管理職の人間よりも遥かに鋭く感じ、世界の広さとソ連時代の教育レベルの高さを思い知った。
また、男女平等という観点では、大学進学率や就職率という意味でもソ連時代の方が今の日本よりも遥かに進んでいる事も肌で感じた。

まぁざっとこんな感じで、
課長からは、案件の目途が立つまで日本に帰ってくるなと言われていたので、キーウ支店には俺の机を用意してもらい、土日はタラス君と同年代のスタッフ達と共にコンサートに行ったりショッピングモールでアイススケートをしたりして過ごしていた。

また、丁度ポーランドウクライナ共催のサッカーEURO2012が開催されており、
ドネツクでこけら落とし直後の巨大な最新サッカースタジアム・ドンバスアレーナでウクライナ対イングランドの試合があるというのでタラス君と俺で試合のチケットを取り、無理やりドネツクでヴィクトリアと面談を入れ、大して内容もない面談をそそくさと終わらせようとしたところ、にやにや笑いながら「あんた達今日はサッカー見に来ただけでしょ?」と言われたのも良い思い出だ(ちなみにその試合はウクライナの英雄シェフチェンコの最後の雄姿が見られたものの、ルーニーのゴールでイングランドが勝利した)。

ロシア語話者が多く、今ではロシアが一方的に併合した訳だが、少なくともその日のドネツクではウクライナの国家代表を応援する熱気で溢れていた。
そして、ドンバスアレーナはその後国際大会で使われることなく、数年後に戦場となることになる。

そうこうして取り組み始めて1年くらい経ったのだが、とある理由(話すと長くなるので次回)で案件は暗礁に乗り上げる事になり、俺も人事異動で環境関連の部署から石油、天然ガス関連の部署に異動することなった。

俺としては、実現まで辿り着かなかったのは残念だが、案件も下手すれば数年動かないかもしれないという状況だったので、自分のキャリアも考えるとこれで良かったのかもしれない、と思っていた。

しかし、実際には、奇妙なことに、案件が俺ごと異動する事となった。

つまり、新しい部署で俺は石油、ガス関連の仕事をメインにしながら、(上司含め周りの誰も案件の中身を知らない)ウクライナの環境案件を続ける事になったのだ。

普通、こういったこと、つまり案件ごと人が異動するというのは、課長レベルならともかく、20代中盤の若手社員では起きない。

理屈でいえば、課長が個別案件に責任を負っているので、課長が引き取った上で新しい担当を割り当てる事になる。 

これは後で知ったのだが、当時既に、社内ではウクライナ環境案件は実現しないものとしてお荷物扱いされており、ただ経産省の手前簡単に止める訳にもいかない、課長としては厄介な案件だった。

そこで、俺が石油、天然ガス関連の部署から求められている事を知った課長は、俺を差し出す条件として、お荷物のウクライナ案件とセット販売にしたのである。

実際、(特に)若手が、新しい部署で、その部署の誰も知らない仕事を一人でやっているのは想像以上に肩身が狭いものだ。当然、上手くいかない案件に時間を取られていては評価も上がらない。

そこまで分かっていて、課長は俺ごと案件を異動させた。


まぁ、それだけならまだ良い。俺も思い入れがある案件ではあったからだ。

だが、異動後は、新課長もこの案件には興味も知見も無かったので、経産省対応も俺一人でやる事になった。対経産省は相手が偉いので、面談は元課長に顔だけでも出してもらい体裁を保つよう頼んだが、

「もう違う部署だからそれは無理」と言われた。

まさに切り捨てられたというやつだ。

経産省の実務担当トップ(定年間近のキャリア)も、ある時から俺だけが面談に来るようになり全てを察したようで、「もう会社としてはやる気なくなったんですね」と、しばらくまともに相手をされなくなり、みじめな思いをした。

俺は最後まで責任を取らない元課長への怒りを覚えると同時に、元課長にも家族がおり、出世の為には実績が出そうもない案件を切り捨てるのも理性では理解は出来た。


これからは金輪際上司を信じるのはやめよう。
全員が俺のキャリアに興味はなく自分の将来の事だけを考えている、そう考えた方が後で失望しなくて済む。

25歳、擦れた大人への一歩を踏み出した瞬間だった。

次回は逆境からの逆転劇と、利権の闇に触れた話をしようと思う。




















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?