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サッカー人生とブラインドサッカー人生


記念すべき1発目はなぜブラインドサッカーを知り、ブエンカンビオ横浜に加入したのかについて書いてみようと思う。


まず、ブラインドサッカーとはその名の通り目隠しをして行うサッカーのことである。視覚障がいを持つ人でもできるサッカーで、国内大会では健常者でも出場することができ、自分も実際に大会に出場したことがある。


最初にブラインドサッカーを知ったのは高校3年の秋。大学受験の小論文対策でさまざまなニュースを見ていた時に、ちょうどブラインドサッカーの世界大会が天王洲で行われるという内容の記事を目にしたことがきっかけだ。

この時はそんなスポーツがあるのかくらいの認識で、将来自分がプレーヤーとなってブラインドサッカーに携わるなんて1ミリも思っていなかった。


そこから約4年の月日を経て、僕とブラインドサッカーは「運命の再会」を果たす。


「これからサッカーとどうやって関わっていこうか」

2018年の10月に大学の体育会サッカー部を引退し、約16年間のサッカー生活から解放されたときに頭に浮かんだことである。


高校3年の選手権県予選準決勝、決勝でゴールやオウンゴールを決めて飛行機パフォーマンスしたこと。

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全国大会でフクダ電子アリーナのピッチで数千人規模の人たちの前で僅かながらプレーできたこと。

反対に毎日キツい練習が行われることから長期休暇をアホほど嫌がっていたこと。

小5と小6のクリスマスには必ずトレセンの合宿が入っており、

「なんでこんな時まで、、、」

そう思って嫌々ながら極寒の合宿地に向かったこと。

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そんな喜怒哀楽の全てを十分すぎるほど味合わせてくれたサッカー。

当たり前のように生活の中心になっていたものが目の前からなくなるとどうしていいのかわからないものである。

大学卒業後はは社会人チームに入ったり、草サッカーをしたりして過ごすんだろうなぁと思っていた一方で目標のない、ただ楽しむサッカーに果たして満足するのかとも思うようになった。

そんな僅かな違和感を抱えながら、大学へ向かう電車の中でふとYouTubeを見ているとひとつの動画に衝撃を受けた。

それはブラインドサッカー世界選手権の日本選手権ダイジェストである。

アイマスクをしてるとは思えないありえないスピードでのドリブル
満員にもかかわらず奇妙な静けさのまま行われている試合。
そして1番鳥肌がたったのは日本チームのゴールの瞬間だ。


これまで静かに戦況を見つめるだけだったサポーター達が一斉に歓喜の声をあげた。

「なんだこのサッカーは、、、」

約15分ほどの動画だったが、その日から僕はブラインドサッカーの虜になった。

その後、Twitterなどでブラインドサッカーを調べていく中で出会ったのがブエンカンビオ横浜である。

当時、日本代表として僕がはじめに見た世界選手権にも出場していた「おっちー」こと落合啓士が代表を務めているチームである。

「実際にプレーしてみたい」

僕はすぐにTwitterのDMからチームに加入したい旨を送っていた。

住んでいた神奈川県のチームであること、そして何よりおっちーと一緒にプレーできることが決め手だった。

大学サッカーを引退してから1ヶ月のことである。
素晴らしい行動力だったと当時の自分を撫でてやりたい。

そして2018年12月にはじめてチームの練習に参加し、無事にブラインドサッカー人生の一歩目を踏み出したのである。



ここまで長々と過去を振り返ってきた。実際にブラインドサッカーをプレーしてみて感じたことや今後の目標については次の機会に書いてみたいと思う。


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いや、どこ見てんねん

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