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半生を自己分析も兼ねて(中学生時代)

はい。今年は「いける!辛くない!」と思っていた花粉症がここ2、3日めちゃくちゃしんどくて作業効率がガタ落ちのさらしなです。

前回、「半生を自己分析も兼ねて(幼少期・小学生時代)」という投稿をしました。せっかくなので、もうちょい頑張ってそれ以降の自分も振り返ってみようと思います。

今回は、中学生時代のさらしなです。
(見出し画像はBECKです。中学生のときハマってました。)


中学生時代


中学・高校生時代が特に、今の自分を形作っていると思っています。

まず、中学1年生として入学式とか、クラスでのガイダンスとかに参加するのだけど、本当に周りの人が濃い。なんだこいつらは、変人ばっかじゃないか。そんなふうに思いました。名大附というのは、名古屋大学教育学部の実験校という立ち位置で、その年によっていろんなトピックを持って受験を行う学校でした。とりあえず変な子供がたくさん集まっていました。


そしてもう1つびっくりしたのは、この学校、サッカー部がなかったんです。もともとクラブチームでサッカーはやっていたので、ないことにびっくりしただけで終わるかと思っていたら、サッカー部の代わりにこの学校には「ハンドボール部」というものがあって。その出会いがまた自分を大きく動かします。
その時初めてその競技を目撃したのですが、めちゃくちゃかっこよくて、ダイナミックで、心がとても熱くなりました。この瞬間、「あ、やってみたい」と思いまして。
体験入部というものがあったので、ちょっと参加してみると、面白いくらいに上手くできないのです笑。サッカーは足、ハンドボールは手、みたいな単純そうな話だと思ったら、運動音痴かってくらいボールが投げられなくて。でもその時、「この面白いスポーツができるようになりたい」と感じました。その想いは次第に膨らみ、ついには9年間ほどやっていたサッカーを辞めて、ハンドボール一筋にシフトチェンジしました。


こんな感じが中学生の始まりでしたが、中学生ライフをまとめると主に
「演劇で目覚める演出への興味」「ハンドボール、部活への葛藤」「中二病こそ、目立ってこそロック」
ですかね。3つ目、恥ずかしいですね。


演劇で目覚める演出への興味

この学校、中学生は文化祭で演劇をやります。結構本格的で、60〜90分くらいの尺のものを、あるクラスは台本から作ったり、大道具、照明、音響、全て学生が手がけるのです。ステージが結構でかくて、今振り返ると結構すごいものやってたなと思います。実家帰って見返したいな。

中学3年間で3回演劇はやったのですが、2回監督、1回準主役をやりました。キャストをやったときはマジでセンスなかったです笑。俳優塾みたいなのに通っていた友達と役の取り合いになって、アイデアでぶん取った(キレキャラだったので黒板を叩いて印象つけた)のですが、全然活躍できず。
監督をやりたかったのは、毎度のこと目立ちたい、人の上に立ちたいみたいな感覚でしたが、やっていく中、「演劇って面白いな。演出って面白いな。」と感じるようになりました。自分の予想を裏切られるような感覚、普通のものを普通じゃなく魅せる力、自分の頭の中のカオスなものが実現する瞬間の快感、そんなような感覚をここで経験して、今の軸にも通ずる「感動こそが生きがい」ということを強く思いました。今でもあの経験は強く自分の軸を支えています。本番終わった瞬間、ステージの上でみんなで大泣きしました。

あと、今書きながら思ったのは、自分はあの頃の「文化祭前の独特の空気感」が好きだったんだなぁと。みんなそれぞれいろんな思いを抱えて、時にはぶつかって、時には泣いて、そんな慌ただしいけどワクワクするあの感じ。そんな風に残りの人生働けたらいいなぁ。


ハンドボール、部活への葛藤

先述したようにハンドボールを始めた晒名少年。なかなか芽が出ませんでした。サッカーみたいに全然思ったようにいかず、元々やっていたポジションを外されたり、経験者やセンスのいい同期に圧倒され、部活に自分の居場所が見つけられませんでした。同期のみんなが、先輩が好きだったので3年間続けることができましたが、ハンドボールと、チームにはとてもネガティブな感情を抱いていました。中学3年生までで部活を辞めようと、結構堅めの決心をしてもいました。スポーツでこんな挫折したのはこれが初めてだったなぁ


中二病こそ、目立ってこそロック

中学時代強く思っていたのが、「自分はなんてつまらない人間なんだ。器用貧乏で辛い」ということ。名大附、本当に個性的で素敵な、才能溢れる人ばかりで、小学生までは勉強もスポーツもできる出木杉くんキャラだったのが、勉強も勝てない、スポーツも勝てない、何にも勝てない、そんな風に思ってしまって。
そんな時、自分のアイデンティティだったのが、音楽の趣味でした。元々好きだった音楽で、みんなと差別化を図ろうとしたのです。当時、ちょうど出て来始めたRADWIMPS、BUMP OF CHICKENや、名古屋の活発なインディーズロックを聴き漁り、「オレこんなの知ってるんだぜ」みたいな、全然すごくないマウントを取っていました笑。でも周りからしたら「なにこの音楽、中二病やん」って感じで。そこでまたセンチメンタルになるような、か弱い存在でした。でもそこから「音楽は晒名」みたいなキャラはでき始めた気がします。
要は、器用貧乏だったのがめちゃくちゃコンプレックスでした。その頃から、「人と違うようになりたい。オンリーワンになりたい。」と強く思うようになります。今でもこの想いは自分の根っこにあります。


今回もなかなかひねくれた内容が続きましたが、高校生時代もひねくれていた気がするので、気合い入れて書き続けようと思います笑
ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。是非あなたの昔の話も聞かせてください。

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