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新しい生活様式 1日目

テレビでは「新しい生活様式」という言葉が盛んに見られるようになった。
この災禍を機に僕たち人間は、これまでとは異なったニュースタンダードな人生を送らなきゃいけないらしい。僕は逸早くこの世の雰囲気を感じとったので、早速「新しい生活様式」を策定することにした。作りながら自分の生活や未来が大きく変わる気がしてきて、ゾクゾクしたことを覚えている。
せっかくだし僕が決めた新しい生活様式の一部をみなさんにご紹介したいとしよう。

僕の新しい生活様式                          その1 花を買って飾ること
その2 あまり大きいものよりか小さい、もしくはやらかいものを選ぶこと
その3 人の悪口は言わないこと

翌日から僕は「新しい生活様式」に沿って暮らし始めた。
僕はあまり計画性のない人間で、一晩かけて作った計画でも次の日には遂行できずにおじゃんにしてしまうことばかりだったので、今回も心配していたのだが、未曾有の事態といった環境の強制力もあって計画通りに1日目を終えることができた。それはとても自信になったようだった。

花はそれ自身が美しいから価値があるのではない、花を見る者を美しくすることに価値があるのだ               フランソワ・バザン

1日目に最も難しいことは、花を買うことである。
これまで花を買ったことなどなかった僕は、近所の花屋を知らない。
いま日本では(ああ、これは僕のいた日本という国での話なのだ)緊急事態宣言の最中ではあるけれど散歩は許されているので、人々は田無から高田馬場くらいまでは平気で歩いていた。世は健脚自慢で溢れ、人々は毎日何キロ歩いたかを競い合っていた。それでも物には限度があって板橋から沼津まで散歩した人は、さすがにこれは散歩の域を超えているのではないかと物議を醸し、大田区からならわかるけど板橋からはないだろうとか、伊藤に向かわず沼津に行ったのはなぜか、などとブーイングを浴びていた。そういったご時世であったから僕の散歩なんてのも特段目をつけられるもんじゃなく、この日僕は花屋を探して10㎞ほど歩いたのだった。なぜそんなにも歩く羽目になったかというと、そりゃ花屋が見つからなかったからで、必要な時に限って見当たらないということは店でも物でも皆さんご経験があるのではないか。


ただ物事というのは嫌なことばかりではなくて、いいこともある。だからこそ人は人生なんてものをたらたらと生きることになるわけで、住宅街を歩く私の眼前に突如パン屋が現れたのである。特段パン好きというわけではないが、依然より朝の食パンくらいはパン屋で買いたいと思っていたのだ。これ吉日と私はパン屋の自動ドアの前にたった。


あ、もちろん開く。何もしなくても開く。自動ドアだから。押しも引きもしない、ノックすることも叩くこともしない、自動ドアというのは何とも文学泣かせではないか。文筆家たちは自動ドアが開いて入ることを何と表現したのだろう。たぶん「自動ドアが開いた」とか、自然現象みたいに書いてるんじゃなかろうか。でも、それはおかしい、だって個人名は出せないけれど自動ドアを開ける係りの人もいるから。


私が店に入るとおそらく店主であろうでっぷりとした男が、こちらを見ていた。まあパン屋の店主がでっぷりとしてるのは当たり前のことなので、何の気にすることもなしに私は店内を見渡した。8畳程の狭い店内に積まれたパンはどれも個包装してあり、香りを確認することはできない。私好みの古風なクリームパンを1つと6枚切りの食パンを1つトレーに乗せ、レジへ運んだ。


帰り道、私は少し高揚していた。明日の朝が楽しみで仕方なかったが、家が近くにつれ気が滅入り始めた。泥を歩くように足取りが重くなり、息が上がっていくのがわかった。だって花買えなかったから。ついには疲れ果て、気力も失い、これまでだって計画通りにできたことなんて一度もないじゃないか仕方ない仕方ないと自分を慰めながら、スーパーに立ち寄った。暑い日だったこともあり、酸っぱいものが食べたくなって、普段は正月しか食べない酢だこを買って帰ろうとすると、出口付近に花が売っていた。
「なんだ、こんなとこにあったのか。」
安堵した僕は、名前を知らない一輪を手に取り、もう一度レジを待つ長蛇の列に並んだ。

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