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キューバを旅して。キューバ回想②

待つということ

海外の友達に、日本人は待つのが好きだよなとよく言われます。皮肉混じりや規律を重んじるなどさまざまなニュアンスを込めて。そんな待つことに慣れてる日本人の僕ですら、キューバでの生活は辛抱を強いられるものでした。

空港でリカルドとはじめて会話を交わし、三日後にセントラルハバナで落ち合おう。そう約束をし、お昼の約束
にもかかわらず、当日の朝僕は10時ごろ家を出ました。

最初はタクシーを捕まえるのに不慣れなこともあるからと早めに家を出ましたが、これが思わぬ発見に繋がったのです。

バイパスに出てタクシーを捕まえようとすると、何十人もの数えきれない人が僕と同じようにタクシーを捕まえようとしてるのです。見様見真似で彼らと同じように立っていますが、なかなかタクシーが止まってくれません。炎天下の中時間だけが過ぎていき、時間に間に合うかどうかどんどんと焦っていきました。

そこでやっと止まってくれたタクシーがありましたが、値段交渉をするも否や「安すぎるダメだ」とあっさり断られてしまいました。目の前で何度もすぎるタクシーや、僕の真隣のキューバ人を乗せてくタクシーなど、こんなにもキューバでの移動は難しいのかと早速キューバの洗礼を浴びました。

やっとの思いでタクシーを捕まえ、かれこれ1時間弱出発から時間が過ぎようやく中心地へと向かうことができました。

この話のように、キューバでは「待つこと」がとても多く、滞在中こういった光景をよく目にしました。

まともなネット環境がないことから、リカルドたちと連絡を取ることも一苦労。集合時間と場所を決めたとしてもなかなか会えない。そんなことも何度も経験しました。

以前大人の方とお話をした時、携帯電話がない時代は、「何時にハチ公集合ね!と決め、案の定落ち合えず置き書きを残した」などそう言った話を聞いたことがありましたが、そんな体験をできたことも今となってはとても良い思い出です。

東京にいた時の僕は、あくせく過ごしてなるべく待たないよう無駄のないよう過ごしていましたが、それとは違った世界線には、とても豊かものもありました。

炎天下の中待つ間何度も飲んだリフレスコ、仲間と落ち合えず痺れを切らしてリッキーと共に街の探索をした夕暮れ時。タクシーを捕まえるために30分以上歩き、捕まえられそうな場所を見つけるまで当てもなく歩いていた瞬間など。時間通りに動いていては普段見逃していたものがあったのか。そういう気づきを「待つこと」を通じて得ることが出ました。

アリとリフレスコを飲んでる時

今キューバには急速に携帯電話が広がり、ほとんどの方がスマホを手にしていました。市民の時間感覚も、当然変化するだろうとも思いつつ、資本主義に壊されていない時間感覚を体験できた夏でした。

「不便さ」の豊かさ

また水が出ない。

一生分のこのセリフを僕はハバナで使ったかもしれません。しかし、「不便」の中に不幸はありませんでした。
もちろん、「不便」でない生活が恋しくなりますし、ストレスも感じます。ましてや日本出身の僕は、日本の綺麗なトイレが恋しく、紙なんてトイレにはない、毎回水が流れずシャワーも浴びれないなど、慣れるまで大変でした。

では、「不便」と「不幸」この等式が成り立たないことを僕はどのように経験したのでしょうか。そのお話を今回は最後にしたいと思います。

先ほど述べた話に繋がりますが、ネット環境が優れてないことから、(特に観光客である僕たち)意思疎通をしたい相手と自分自身がオンラインである状況はかなり限られてきます。そのためリカルドとも会う約束をしていた当日は全く連絡を取ることができませんでした。不便です。

やっとの思いでタクシーを捕まえ、ハバナの中心地に到着をしますが、具体的な場所は決めていません。そのため街を徘徊して探すしかありません。

こんな広い街の中でどうやって探そうか。会えることなんてないだろうと1ミリも期待することなく、待たされた焦燥に駆られる中、歩きながらふと覗いたレストランがありました。

ダイキリ発祥のレストランの横にあるレストランに、彼は居たのです。奇跡が起きました。僕はこの瞬間窓を外から叩き、再会をしました。当初は会えたことの嬉しさに高揚しましたが、後々振り返ると、「あれは不便さの中の幸福だと」そう実感をしました。

やっとの思いで再会を果たし、彼らの宿を記録するために撮った写真



普段ならば、「タクシーに降りてどこどこに居る」そうテキストを送り問題なく会えたでしょう。しかし通信環境が悪い中で再会できた時の喜びや、普段は実感することのできなかったことなど。不便がゆえに気づくことができたことがキューバの旅にはたくさんありました。

キューバは慢性的な物不足に悩まされている中で、現地の方は叡智を集約させものを捨てず、大切に売る文化を強く感じました。街を見れば至る所にある’50年代のクラシックカー。しか話を聞くこと、その心臓は日本のエンジンや英国、ドイツ製などなど。彼らは不便だからこそ修理の技術が磨かれているのではないか、そう感じました。不便であれば人は工夫をする。

リカルドたちと再会をしたレストランの前

僕もリカルドに会うために、無意識的に、「観光客がいそうなレストラン」「観光客エリア」「お昼時だからランチ中?」などなど会うために工夫をして街を徘徊していました。直感や運命的なもののおかげとも捉えることはできますが、不便がもたらしてくれた学びは他にもたくさんありました。

日本ではコンビニやレストラン、スーパーなどなんでも手に入ります。ましてや東京にいては、世界中のコアな料理も食べることができます。コンビニやスーパーで目当てのものがないと、「なんでないんだ!」そう感じたこともありました。物は揃っている方ががベターという認識をしていた中で、日本だけでは、不便さに眠る豊かさに気づくことはできなかったでしょう。全ては表裏一体であり、いいことだけではない。

僕は服が好きなため、毎年毎年、欲しい服が変わります。物欲にはキリがありません。消費社会論を専攻していることから、そんな消費生活は考えたことは何度もありました。物不足に悩んだ生活や、「不便」の中に少しだけでも身を置いたことで、僕の価値観は大きく変わりました。

そしてキューバにおいて、少しだけ消費社会が入り込んでいることも感じました。それが良いか悪いかは別として、消費社会に対する啓蒙を高校生の時に受け、大学生になり、消費社会を相対的に感じることができた。この経験は何物にも変えることができない貴重なものでした。

味噌汁と白米のありがたみを噛みしめて、今回のキューバ回想を終わりたいと思います。



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