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AI絵師と反AIの不毛な戦い

ちょっと前に、AI絵師を反AI、イラストレーターの方々の議論が話題を呼びました。

http://dararitabi.com/archives/32218618.html

全くの不毛な議論。どっちとも考え方が違います。

AIの進化は止められない

結論としては、クリエイティブのAI化は止められないのです。日本は著作権を意図的にゆるくしており、AIに対応する以外の選択肢はありません。これを止めれば、Uberを禁止した日本のタクシー業界と同じ道を辿ることになります。

コロナ前にマーレーシア、クアラルンプールを訪れ、帰ってきた時、絶望的な気持ちになりました。マレーシアではGRABというuberと似たサービスがあり、いつでも気軽に車が利用できます。しかし、日本では手を上げてタクシーを捕まえたり、並んだり…ようやくアプリができたと思ったら全然こない上に馬鹿みたいに高いサービスだったり…

反AIの方々は馬車の仕事がなくなるから車を廃止しろと言っているようなものであることを自覚してほしいと思います。

「いらすとや」によって、イラストレーターは既に駆逐されている

勘違いとしてAIによって絵師の仕事が奪われる、、、うんぬんという誤解があります。とっくの昔に、一部のイラストレーター以外は仕事が奪われています。「いらすとや」です。


例えば地下鉄のよっぱらい注意のいらすと、例えばマスク着用のいらすと。
目にするもののほとんどが「いらすとや」ではないですか?

知人のイラストレーターは「いらすとや」の登場によって仕事が激変したと言っておりました。私も仕事で絵を発注することがあるのですが、よっぽどの仕事以外は「いらすとや」を使っています。高い金を払ってイラストレーターを使う意味はありません。

発注側に回るとわかりますが、「いらすとや」のほうが人の注意をひくんですよ。いつも見ている絵だからですかね。なんてことないイラストなんて「いらすとや」の価値の10分の1もありません。

イラストレーターの価値は「いらすとや」に出来ない絵の価値を生むこと。それが出来ないイラストレーターに価値がありますか?

著作権問題

生成AI(人工知能)による著作物の使用に対して、日本は先進諸国で最も法規制が緩く、AIがほぼ無条件に著作物を「学習」できる状態となっています。これに対し、イラストレーターや音楽家らは著作権が侵害されるとの懸念を強めており、専門家らは新たなルール作りが必要だと指摘しています。

著作権法の現状と問題点

日本の著作権法では、AIが文章や画像を学習する際、営利・非営利を問わず著作物を使用できるとされています。違法に取得した著作物でも、AIが学習すること自体は「合法」です。しかし、この法規制の緩さが問題となっています。権利者から事前に許可を得る仕組みがないこと、権利者が希望すれば学習対象から除外できる「オプトアウト」もないことなどが、クリエイターたちからの批判の対象となっています。

先進国の対応

日本に対して、欧州の先進国や欧州連合(EU)では、権利者を保護する方向で法整備が進んでいます。例えば、英国では合法的に取得した著作物であれば、非営利目的の研究に自由に利用できますが、商業目的の場合は権利者の許可が必要となります。

しかし、ここで重要なのは、AIの進化は止められないという事実です。AIによる著作物の使用は、クリエイティブな作業の新たな形を生み出し、その可能性を広げています。

私は10数年以上のクリエイティブ業界にいました。断言できます。

人に真似されて価値が下がったものは山のようにあります。第一人者が必ず儲かる・評価されるわけではありません。AIによって真似されたからといって価値がなくなるものは、そもそも価値がないのです。

「真似」からの保護という著作権の考え方はいりませんし、即刻排除すべきです。

ジブリの絵っぽく写真を加工できるアプリが流行ってますよね?あれでジブリの絵は価値がなくなりましたか?モナリザの模写なんて腐る程ありますが、モナリザの価値はなくなりましたか?

なくなっていません。真似されて値段がつかなくなったのではなく、もともと値段がつかない絵なのです。

クリエイティブの歴史

クリエイティブの歴史を見てみましょう。といってもコレは私の業界で昔から言われいることなので、すべてのジャンルに当てはまるものではないですが。

  • 70年代まではは0→1の創造の時代

  • 80年以降は編集の時代

  • 2010年代以降はアーカイブと編集の時代

厳密に言うと色々あるんですが、ざっくり説明します。
70年代から80年代初頭にかけては0→1が生まれた時代でした。まさに無から1が生まれた時代。
しかし、80年代後半から90年代にかけてクリエイティブがやり尽くされ、アレンジやカウンターの時代になります。お笑いで言うとんねるずやダウンタウンはこの世代でした。

しかし、この時代はYou Tubeがなかったため、過去がアーカイブされなかった。過去の名作と競う必要がなかったのです。

特に2010年代からはYou Tubeなどの動画メディアが発達。アーカイブされたものの方と今の作品が競う時代になりました。

印象的だったのはクリードという映画です。ロッキーの続編的立ち位置ですが、主人公のボクサーがプロジェクターに写った昔の試合を背にシャドーをするシーンです。


つまり、今の試合より面白い試合が、すごい試合が過去にあって。それを誰でも手軽に見られる時代に自分たちが何をすべきなのか。

そんな葛藤がこのシーンには込められていました。


2020年以降は編集やアレンジすらもAIが担当する時代となりました。その先に何があるのかはまだわかりませんが、AIの進化とともにクリエイティブの形も変わっていくことは間違いありません。

クリエイティブの新たな形

やや大げさに書きましたが短期的にはアニメや映画の時代、というよりはそれが氾濫する時代がくるのではないかと考えています。

ストーリーは自分で書き、絵はAIが描く。またその逆。絵や詩だけでのクリエイティブは突き抜けたものでなければ難しい時代になりつつあります。絵や言葉をかけあわせた総合エンターテイメントが誰でも簡単に作れる。そんな時代になります。

ここで一つ強調したいのは絵を書ける人はその絵を発着点とした物語をAIに考えてもらうことが出来るということです。「何も出来ない人がすべてAIに任せてエンタメが作れる」のですが、それをバズらせようとすれば一要素でもオリジナルがないと厳しいと思います。

だからこそ絵が書ける人、ストーリーが書ける人は自分の足りない部分が補える良い時代に生まれた。そう考えてはいかがでしょうか。

あなたの作品の価値を最大化する方法を考えてほしいです。

AI絵師は絵師ではない

最後にAI絵師という戯言について。AI絵師という概念は、一見すると新鮮で革新的に見えますが、実際は滑稽なものです。AIが絵を「描く」ことはありません。AIはプログラムによって指示された規制やアルゴリズムに基づいて、データから絵を生成するだけです。絵を「描く」という行為には、想像力や表現力等の人間的要素が含まれています。したがって、AIによって生成された絵は「描いた」とは言えません。

さらにいえばプロンプトを書くのが大変と主張してますが、絵を描くほうが何10倍も大変に決まっています。圧倒的に大変です。その程度で俺は頑張ったとかほざかないでいただきたい。

AI絵師とか名乗っているアイコンは即座にアカウントを閉鎖するかcahtGPTに慰めてもらっててください。

うまく言葉にまとまらない部分もありましたが、AIは敵ではありません。きっと新たなクリエイティブを作り出してくれる伴走者だと思います。


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