見出し画像

ぼくのおはなし 第一章 〆の段 其の一

皆様ご無沙汰しております。


2月10日より合同自主トレが始まります。大きく体制が変わる今シーズン。楽しみも不安も全部ひっくるめて抱えて走りたいと思います😊

では


第一章〆其の一。

ご覧ください!


_____________________________________________


2007年


彼は民謡「せり込み蝶六」の稽古に励んでいた。中3以下のクラスの団体戦で全国優勝を目指すことになったからである。


加えて初めて1人舞台をすることになる。演目は

「利家一代」

せり込み蝶六は北信越大会

利家一代は孝藤まりこ社中の発表会


どちらも5月に本番が控えていた。





水曜日と土曜の午前中のお稽古はせり込み蝶六



土曜の午後は利家一代の練習をしていた。



そして4月から誘っていただいた

スポーツ少年団「富樫クラブ」に入団する。


2007年4月2日。初めて試合を見にいく。

すると急に代打で試合に出ることになった。


初球、2球目と空振り。

「...コンパクトにしよっ」


頭で赤星をイメージして、外の球を強振。


(名前だけで赤星選手好きでした。赤い彗星なので)

三遊間を抜く。


ヒットだった。


ついに野球と日本舞踊ができる環境ができた。

始まった。そう思えた瞬間だった。


本当に周りの方に感謝である。


ちなみにこの試合大敗を喫したチームはグラウンドから学校まで走って帰ることになるのだが、



入団初日、しっかり走って帰ったのはいい思い出だ。車で帰っていいと言われたのだが我ながらストイックである。

(もう1人初日の子がいたが、その子は車で帰った。)


これから

火曜日 野球練習

水曜日 お稽古

木曜日 野球練習

土曜日 午前 野球練習

    午後 お稽古

日曜日 一日野球練習or試合


というスケジュールで小学校の卒業まで過ごした。

色んな事があったが本当に楽しかった。

この時のチームメイトとは今も連絡を取り合い、年末にはゴルフに行く。監督やコーチの方も頻繁に連絡を取らせてもらっている。今年は新型コロナウイルスのことも考えて行けなかったが、落ち着いた時は是非また集まりたい。

本当に富樫クラブに入れていただいて良かったなと思う。


踊り


一方で踊りの方はお稽古が佳境を迎えていた。


ゴールデンウィークにあった北信越大会に向けて仕上げの段階に向かっていた。


本番に近づくにつれお稽古が増えていく。



そんな本番3日前。家元チェックの日。


いつも通りに踊る。かなりいい仕上がりだと思ったが。。



ここで家元のお家芸が発動する。



直前、振り構成変更である。


...本番三日前である。



子供達の心は不安で襲われるのである。



本来終わるはずの時間は1時間2時間と過ぎていく。



しかしこんな子供達にも熱くあたってくれる

家元の本気度に感動した。



本来の終了時間が3時間過ぎた15時頃だったと思うが

完成する。



とてつもないクオリティになったと思った。

とてつもない空腹にも襲われていたが。



文化、芸術を作るとはこういう事なのだと

改めて思ったとともに家元の偉大さを実感した。

(未だに自分にとっては偉大すぎて、プライベートで会ったとしても背筋が伸びに伸びます。笑)



北信越大会本番。



踊って他の組の踊りも見て

ダントツだと思った。初めての大会だったのに不安もなく結果発表を聞いた。



そして見事北信越優勝を達成するのである。


これにより八月下旬の全国大会への切符を手にした。


その後は5月の下旬まで初の1人舞台の演目


「利家一代」の練習に励む。この曲は自分自身がずっとやりたかった演目でもあり、特別だった。



5月下旬。

七尾サンライフプラザ。


本番の日を迎える。

画像1


(わりとイケメンである。この時の近藤どこに行った。)


それはさておき、本番。


過去にないくらい入り込んだ。


一歩踏み出した瞬間の自分じゃない感。この感覚は最高に気持ちいい。頭の中に描く利家に憑依する。




公演後。見てくださったお客様、先輩方に沢山お声を掛けていただいた。


驚いたのは涙を流して感動したと言って下さった方が数人いらっしゃった事だった。


やっぱりこの演目は特別だ。そう思えた。


この公演以降様々なところでご依頼を頂いた時はこの利家一代を踊っている。本当に特別なのだ。

画像2

(2019年雪吊りベーブルース リハーサルより)




公演後全国大会に向けて




8月の全国大会に向けてせり込み蝶六の稽古を積む。

夏休みは合宿を組んで、2日間踊り込んだ。

野球の方は夏休みは朝の6時から8時半まで毎日朝練があった。これがめちゃくちゃきつい。朝の6時起きて30分くらいから200mのグラウンド10周。30mのダッシュ30本。


これはまじで個人的トラウマレベルできつかった。2年間のブランクがダイレクトに効いた。



野球と日本舞踊。きつかったが本当に楽しかった。


8月。全国大会直前。



家元チェック。


もちろんお家芸が発動する。



合宿の二日目の午後だったと思う。

構成、振りの大幅な変更。



構成に千手観音を取り入れた。



踊りながら鏡で見て

本当にすごいものができた。絶対優勝できる。そう思った。怖いものがなかった。



本番。あれだけ猛練習を積んだ。あとはやるだけだった。全員が怖いもの無しに突っ走った本番。


踊りきった。勝った!そう思った。



青森代表が来るまでは。



青森はご存知の方も多いと思うが津軽民謡で有名だ。


その踊りを見て初めて



負けた。と思った。



結果はやはり2位。準優勝で幕を閉じた。

悔しさは全くなかった。完全に負けたと思ったから。

ただ目標ができた。


東北代表に勝って優勝する。



あと一年。中学に上がれば部活を中心にしようと思っていた事もあり、ラストチャンス。絶対優勝してやる。そう決意する。


新人戦


その頃野球は、6年生が引退して5年生中心の新人戦。


準決勝までコールドで進んで決勝。



その時にいた5年生はずっと試合で中心だった選手ばかりだったので試合慣れはしていた。



準決勝で先発して投げていた僕は捕手で先発。


序盤1-0で有利に進めていた時、同級生の1番打者がランニングホームランで3-0


さらに追加点で4-0



近藤は守備の2out3塁

監督が絶対後ろ逸らすなよ!の言葉の


次の球で後逸し、雷を落とされたが

タイムリーで取り返して5-0


5-1で迎えた6回、登板する。


6回を三者凡退


そして最終回。


1人を抑え


2人目を三振


2out



2-1。追い込んだ。



渾身の真っ直ぐをインコースに投げ込む。





詰まった打球はファーストのキャプテンの元へ。


そのまま一塁を踏んだ。



優勝。



初めての優勝で喜び方がわからなかったが


とにかくめちゃくちゃ嬉しかった。




野球で初めて優勝した大会になった。



優勝まで圧倒的に勝ち進んだ為、


絶対いける!


来年も沢山優勝してやる。そう意気込んだ。



日本舞踊は全国大会優勝。

野球は春夏秋全優勝


そんな目標を立てて2008年、




小学6年生を迎えようとしていた。



_____________________________________________

あとがき


いかがでしたでしょうか。


次回小学編最終です。


充実感、出てきましたねぇ。周りの方々に本当に感謝しか有りません。


大人になって歳を取るごとに、この頃の恵まれ方がいかにすごい事なのかをより感じることができます。


さぁ、全国大会での優勝は叶うのか!
野球は立て続けに優勝できるのか!

次回、第一章 終

ぜひご覧ください!

宜しくお願い致します。


近藤俊太郎

ご声援宜しくお願いします😊