見出し画像

ぼくのおはなし 第一章其ノ三

遅くなりましたが、更新です。

そろそろシーズンが始まります。

今年はどんなシーズンになるのかな。楽しみです!

では



_____________________________________________


野球がしたい。。



おれはやっぱり野球が好きだ。。


そう思いながら小4になり、新しいチームを探し始める。


しかしあまり遠いチームに行くわけにもいかず。





知り合いに頼んだり、探してもらったり



色んなことをしたが見つからない。



かなり難航し1年間野球がやりたくてもできない状況になっていた。




やりたくてもできない。そんな葛藤と戦っていた。



そんな中、日本舞踊は順調で



2006年


京都は高台寺において、ねねと北政所の奉納舞に出演することになる。



この時は豊臣秀頼公(秀吉公の息子)の役を頂いた。



この役は台詞付きで


その台詞は短いながらもかなり重要な一言だった。



なぜなら大阪城炎上と豊臣家の栄華の終焉を「母上!」の一言で表現する必要があったからである。




客席はかなり高くほぼ目の前。それを考えた時、表情、声色、振り、全てを三位一体として表す必要があった。



お稽古が始まる。



相変わらず猛稽古に励んだ。



今回は深夜1時が最高記録だった。



母上!






この一言の合格がもらえない。



かなりきつかった記憶がある。

だが彼はプライドを持ってその練習に励んだ。



これを決めたらかっこいい。


そう思えたからである。



そして本番。



大阪城炎上の場面。



袖から出てゆく。



元服後とはいえまだ14歳の役。


武士として戦う意思を見せつつも、その栄華の終焉に抗うことはできなかった悲劇の偉人。



「母上!」



正直わからなかった。ただ無我夢中に頭の中で思い描いた景色に沿って出た言葉。



奉納舞は無事に成功し、終演後。



本当に感動した!!!



こういった声を本当に沢山頂いた。



発した言葉はたった一言である。



手ごたえも分からなかった。



しかしそれは人の心を動かすに十分な言葉であったことを知った。




練習は嘘をつかなかった。



演技ってすごいなぁ。。



心の底からそう思えた。



京都、高台寺。



本当に特別な場所になった。

善通寺より思い入れは強いかもしれない。



そんなこんなで終わった2006年。



そして新年が始まってすぐ。



中三以下が資格の民謡の大会に出てみようか。

そんな話がでる。



目標は北信越で優勝。

そして全国の頂点だ。



そして野球の方も、



「うちで野球と舞踊の両立をやってみないか?もちろん舞踊優先でいいよ。」



そんな話が舞い込む。



彼の人生が少しずつ動き出した。



2007年が






始まる。





_____________________________________________



いかがだったでしょうか。

正直前回に組み込もうと思っていたんですが微妙に合わず少し分けました。



谷間みたいな回になってしまったのでつまらなかったらすみません。あんまり納得はしてないです笑


色々考えて作って時間もかけたのですがここ以上の出来にはなりませんでした。修行が足りませんね笑


京都の高台寺は昨年はコロナのことも考え行きませんでしたが、毎年訪れています。それだけ思い入れの強いお寺です。



次回。

「新たな挑戦。そして...」


是非暇つぶしにでも読んでいただけると幸いです。



近藤俊太郎






ご声援宜しくお願いします😊