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2021年 東京オリンピック訪問記

 東京都心へ足を運んだのはいつ以来だろうか。僕は今、横浜市内の自宅から電車を乗り継いで、湘南新宿ラインで東京へ向かっている。慣れ親しんだ横浜駅を出て多摩川を渡り、遠くに見える高層ビル群を横目に僕は東京都へ入った。西大井駅を過ぎると、閑静な住宅街から「都会の喧騒」の権化のような小綺麗なビルと駅舎が見えてくる。そんな品川駅を出発すると、オフィスと飲食店ばかりの似たような景色が流れていき、年齢も性別も出身地もバラバラな、数多の人々が歩いている。僕が大学時代に何度も見た、楽しくて汚くて物が密集している「東京」の景色である。しかしこの街は今、緊急事態が宣言されている。そしてそこで行われているのは、4年に一度、世界中のアスリートがやって来るスポーツの祭典、オリンピックである。

 僕は新宿駅で下車をし、徒歩で新国立競技場へ向かうことにした。南口を出ると、早速大型ビジョンには東京都からの新型コロナウイルスの感染防止を促す広報映像が映し出された。しかしそんな状況も何処吹く風、新宿駅前は歩く人全員がマスクをしていること以外は、以前の様相とほとんど変わっていなかった。

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 新宿駅から遠ざかり、明治通りをひたすら歩いて南下し、また別の都道へ入り、中央線沿いを歩いていると国立能楽堂近くの住宅街で「オリンピックが開催されている街」という光景が辛うじて見えてきた。

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 通称「商店街フラッグ」と呼ばれる、オリンピックの開催都市に掲げられる旗だが、何の変哲もない住宅街にそれが翻っているのは少々違和感がある。

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 上の2枚の写真は、競技会場から100〜200mほど離れた場所にある光景である。普段と変わらないであろう地元密着の中華料理屋や、以前ニュースで話題になった代々木病院では五輪反対を訴える日本共産党のポスターが掲げられていた。この地に至るまでも人の姿はまばらで、時折見える「オリンピックの風景」が虚しい。もしコロナ禍という状況が無ければ、無観客という条件が無ければ、こういった会場周辺の街は国際色豊かに、人の往来によって賑わっていたのだろうか。

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 しばらく歩くと、JR千駄ヶ谷駅に着いた。すると、この駅前から突如としてオリンピック会場が姿を現した。始めに目に飛び込んだのは、卓球が行われた東京体育館である。今大会のために2018年から改修工事が行われた歴史あるスポーツ施設だが、入口付近には白いテントが張られ、「関係者以外立ち入り禁止」という貼り紙と共に警備員と検疫作業員が立っており、物々しい雰囲気を帯びていた。

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 東京体育館に別れを告げ、道なりに歩いていると、いよいよメインスタジアムである新国立競技場が現れた。テレビで何度も見たスタジアムだが、実際目の当たりにすると、何だか有名人に会った時のような奇妙な感覚に襲われる。無観客試合という体制を取っているため、スタジアムを囲う道路のほとんどは一般人・一般車は通行が出来ない。ただ、たまたまこんな光景を見かけた。

警備員「ここからは通行できません」
Uber配達員「配達です」
警備員「配達か。じゃあいいよ」

 そんな短いやり取りがあった後、UberEatsのリュックを背負った配達員は、バイクをスタジアム内へと動かしていった。さらには、ノルウェーの国旗をルーフに掲げた車がやって来て、何やら警備員と会話をした後に中へ入っていく様子も見えた。恐らくノルウェー選手団の競技関係者だろう。
 スタジアム前の道路では開会式後も五輪中止デモが行われていたが、僕が行った時にはそういった人達はおらず、外国人も混じってスタジアムの写真を撮ったり、ラーメン屋やコンビニで食事をする人が多くいた。僕も、テナントに入ったばかりだというとあるオフィスで購入した瓶コーラを手に、周辺の散策を始めた。

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 まず目に入ったのは、渋谷区設置の「住居表示街区案内図」である。丁や番地といった住居表示制度による住所を表示し、道案内の機能を併せ持った看板であるが、これが新国立競技場のすぐ近くの交差点に立っている。入った年季やフォントを見るに昭和〜平成初期からある古いもののように見える。この案内図に書かれていない下部からが新国立競技場という事になる。東京体育館は特別感が無く描かれており、オリンピック用に新仕様になったインフォメーションサインばかりを見てきたため、昔から存在する案内表示は逆に新鮮な気持ちにさせてくれた。

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 コロナ禍かつ無観客ながら連日に渡って熱い試合が繰り広げられているオリンピックだが、メインスタジアムは、数歩進めばごく普通の住宅街、生活圏へと移り変わる。これはテレビ等では分からない、オリンピック会場のリアルである。1964年の東京オリンピックでは、競技会場のすぐ近くでは貧民街があり、ゴミが道に溢れ、急ピッチでの開発の影の部分を綴った手記や回想録が残されている。今大会の場合は、ある意味「開発しきった」街に新たな大イベントが開かれた訳だが、それでもやはり、新旧の混在、少し鳥瞰すればいびつな都市構造が見え、スタジアム周辺はまるで現代東京の縮図のようだった。観客を呼び込む事が出来れば、競技場内や敷地内は広報等にあるように、国籍・人種・性別・年齢に関係なく皆が笑顔で交流する光景が広がるという青写真を実現できたかもしれない。それでも、先に挙げたようないびつな都市構造は解消することは出来ないだろう。ブラジルでは2014年のFIFAワールドカップや2016年のリオデジャネイロオリンピックで競技会場とスラム街が目と鼻の先である事が話題となったが、そういった所も含めて「オリンピックを開催するに値するか」という評価基準になる。東京の場合はそこまで極端ではないが、メインスタジアムとその周辺がこれからどうなるのかは一抹の不安が残る。

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 最後は、千駄ヶ谷駅のすぐ近くの都営大江戸線 国立競技場駅から帰路に就いた。早くも明日(8/8)にはオリンピックは全ての実施競技を終え、閉会式が行われる。8/24からはパラリンピックが開幕し、また新たな戦いの火蓋が切って落とされる。コロナ禍で行われたこの世界的な大イベントは、東京という街に何を残すのだろうか。さらなるコロナウイルスの感染拡大か、だとか考えてしまうのが非常に悲しい。本来「平和の祭典」である筈が、その都市にさらなる「悪」を残してしまうことがある。コロナ禍に限らず最近の「商業主義化した」オリンピックではもはや珍しくない現象である。そんな開催都市が抱える光と影に、東京という街は、日本という国は立ち向かっていけるだろうか。

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