未来の街には《空き地》が欲しい
「確か、……ここだったよな」
自分が生まれ育った街を歩いていると、変化に気付く。
子供の頃、近隣の遊び場は、家の中や庭を除けば、
➀遊具のある公園
➁空き地
➂近くを流れる一級河川の河原
の3種類だった。
➀は、ほぼそのまま残っている。
遊具は、ブランコと滑り台だけだったが、グローブジャングルが加わるなど、多少の《進化》が見られる程度。
➂の《河原》は大きく変わった。
川幅が50~100 mの大きな川のため、河原も広く、かつてほとんどは一面の葦原で、一部は低木や雑草がジャングルのように茂る、ワイルドな場所だった。土手は、シロツメクサでびっしり覆われていた。
マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」で川を下るシーンを読みながら頭に描いたのは、この場所だった。
今は整地され、ランニングコースやサッカー練習場、そして、ゲートボール場などに変わった。
そして、➁の《空き地》は、完全に消滅した。
「サザエさん」や「ドラえもん」で定番の、土管や廃材が積んである《資材置き場》、子供の背丈以上に雑草が生い茂り、高い木の上からカラスや百舌鳥が辺りを見回している《遊休地》が、街のブロックにはひとつ以上、かつてはあった。
けれど、冒頭のように、《空き地》だったはずの場所を訪ね歩くと、多くは、マンションか駐車場に変わり、残りは戸建て住宅が建っている。
➁の《空き地》はもちろん、➂の《河原》に茂る葦原の中央を足で踏み固めた場所も、重要な《秘密基地》だった。
➀遊具のある公園では遊び方が限定されるが、➁《空き地》➂《河原》では遊び方は無限に広がる。しかも、水たまりのオタマジャクシ、バッタ、カナヘビなど、多種多様の生き物が泳ぎ、走り回っていた。《遊び》には、《狩り》も含まれていた。
《空き地》の多くは誰かの私有地で、子供たちは勝手に入って遊んでいたためだろう、例えば、野球とかサッカーの練習のように、秩序だった遊びではなく、そこにある材木や土管を勝手に使って基地を作ったり、野良猫やカナヘビを追い回したり、蟻の巣に水を流し込んで溺れさせたり、粘土質の土で団子を作って戦うような、《ゲリラ的な》遊びを考えた。
遊具によって遊び方が限定されない ── だから、《想像》も限定されず、無限に拡がることができた。
《空き地》が多かったかつての街は、《無駄》も多く、《安全》上の問題もあっただろう。しかし、多種多様な生物や資材廃材などを組み合わせて遊びを考える生活は、子供の想像力、そして、創造力を育むのに、重要な役割を果たしていたように思う。
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さて、政府が進める《スマート・シティ》構想である。
ICTを活用してマネジメントを高度化、課題を解決し、持続可能な都市を作る──マネジメントを高度化して行政の《無駄》を削るのには大賛成だけど、《空間的な無駄》をさらに削っていくのには反対だ。
むしろ、空間的には、《空き地》のような《無駄》を増やして欲しい。
それこそ、《遊休地》を活用しなくてはいけない《民間》には無理で、行政にしかできない《ワザ》だ。
そこは、遊具が整然と置かれた公園ではなく、雑草が茂り、水たまりの水面をアメンボが滑り、夏は木々にセミがとまり、秋は虫が鳴く。
そして、子供たちが自分の《アタマ》で《遊び》を考える、《想像》の楽園である。
<このエッセイの初出は2021年9月です>
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