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2階に上る階段の無い家で着流しに三味線のお父さんが「これはゼニになる手じゃのう」と背後から麻雀牌を覗き込んでくる

長いタイトルになりました。
そして、長い間その正体が不明だったタイトル中の人物について謎が解けたのは、十数年前のことでした。

高3の時、たまに雀卓を囲む級友がいました。といっても日曜に友人宅で回り持ちのように打つだけで、彼の家に行ったのは、2,3度ぐらいだったと思います。

その家は古い住宅地にある木造二階建てでした。
表には『**工務店』と書かれた木製看板がありましたが、玄関の引き戸を開けた土間に机が1台置かれていたものの、仕事場のような気配は感じられません。

土間から上がった8畳間で麻雀を始めるのですが、部屋の隅には、椅子に座り煙草をふかせながら三味線を弾く中年男性がいました。
色は浅黒く、パンチパーマで室内でもサングラスを外しません。

ボクのお父さん、と彼が紹介するので、
「こんにちは」
「おじゃまします」
挨拶すると、
「おう」
と低音で応じつつ、変わらず三味線です。
父親にふたことみこと話すときの彼の姿勢は直立不動、話し方も「……です」「……やりましょうか?」と丁寧語。
雀卓を囲む別の友人は同じひとりっ子で父親とはタメ口、そんなものかと思っていたので、この家庭内言葉遣いは不思議の一歩でした。
母親は長い闘病生活に入っており、この時点では『お父さん』と二人暮らしだったと思います。

「……じゃ、やろうか」
同じ部屋に父親がいるのは居心地良くなかったものの、そこは若者、パイが配られると、次第に勝負に没頭していきました。

突然、背後で声がしました。
「── これは、ゼニになる手じゃのう」
(うわっ!)
振り返ると『お父さん』が背後で腕組みしています。
「……あ、どうも」
「で、アンさん、どれ切る?」
抑えた、けれど凄味のある声でした。
「あ……えーと、これかな?」
手牌から1枚、ホーに切ると、『お父さん』は、
「ほう?」
と、これもなんだか凄味のある笑みを浮かべ、三味線に戻っていきました。

麻雀を終えた後、レコードだったか本だったか借りるため、2階にある彼の部屋に行くことになりました。

廊下の横に半畳よりひと回り小さな空間があり、
「さ、この中入って」
と促されます。
それは扉のない押し入れのような空間で、4人入るともう身動きもならないほどでした。

「みんな手を引っ込めて」
と言い、彼自身は片手を出して、廊下側の柱についていたスイッチを押すと、その手を瞬時に引っ込めました。

ガガガガ-ッと不吉な音が鳴り響き、『押し入れ空間』は小刻みに振動しながら上方に動き出したのです。
「絶対に手や顔を出さないようにね」
それは、扉のない、木造のエレベーターでした。
中から眺めていると、上から1階の天井、そして1-2階間の木製構造物が降りてきて、最後に2階の床にたどり着く、という『経過』が全て ── まさに手に取るように ── わかりました。
首を廊下側に出していたら、一体どういうことになるか……。

「階段は使わないの?」
「この家に階段はないんだ。で、お父さんがこのエレベーターを作った」
「階段が、── 無い?」
3人は顔を見合わせました。
「もし、停電中に火事でも起こったら、2階からどう逃げるの?」
尋ねると、彼はなんでもなさそうに、
「飛び降りるだけさ。死ぬこたあないよ」

今、気になってネットで調べてみましたが、木造2階建ての家は階段の設置は建築基準法で要求されてはおらず、法令違反ではないようです。

── この『お父さん』の正体は何だろう? 
── どんな職業に就いているのだろう?

疑問を抱きながらも彼に尋ねるタイミングはなく、同じ大学に進学したのでキャンパスで顔を合わせたりすることはあっても、徐々にお互い、忘れた存在になっていきました。

30前後の頃、当時購読していた毎日新聞の2面か3面に彼の顔が大きく載ったのを見ました。
それは『宗教』を扱ったシリーズ企画で、その日は日本企業からタイ支社に駐在するその若者が、現地で『出家休暇』を取り、仏門に入ったこととその背景を取材した記事でした。

それからさらに時は流れ、彼は日本企業を辞めますが、タイに住み続け、いくつかの会社を興しました。

そして50代に入った頃、癌を患い闘病中の父親をタイに引き取って看取り、そのいきさつを本にまとめて上梓しました。
その本には、父親がどんな人物だったかが、いくつかの強烈なエピソードと共に書かれていました。
その中に、

どうも本物のやくざの皆さんを相手に、手練手管の限りを尽くして賭博で勝ち続けた、というのが、財産のかなりの部分ではないかと私は見ている。

飯田光孝「タイあたりターミナルケア」より

という記述も含まれていました。

尖った生き方をし、病に倒れた後も、日本では看護や介護の人たちと衝突していた『お父さん』が、タイのホスピスで現地の人たちに徐々に心を開いていく様子が、感動的に描かれていました。

一方の私は、あの階段の無い家で着流しに三味線の『お父さん』に背後からささやかれた声を想い出しました。

「── これは、ゼニになる手じゃのう」

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