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ミダス王の呪い

ミダス王は黄金が欲しくて娘に触れてはいけない。
同じように、「ただ、いる、だけ」の市場価値を求めてはいけない。
      ――東畑開人『居るのはつらいよ』

▼▼▼幸福の資本論のつづき▼▼▼

さて。
昨日は出勤の話をしようとしていたところで脱線し、
昔通っていたジムの話になり、
そこでなぜかジムのおじさんの話しになり、
そしてなぜか投資の話になった。

資産の話を少しだけ続けよう。

橘玲さんは『幸福の資本論』で、
人間には3種類の資本(資産)があると書いた。
「金融資産(お金)」
「人的資本(能力)」
「社会資本(友人)」

そして、それら三つの資本は、
3つの人間の幸福の条件と対応している、
と続ける。

→Kindleの位置No.217 
〈ここではまず、幸福の条件として次の3つを挙げます。
1.自由
2.自己実現
3.共同体=絆
 この3つの幸福の条件は、3つのインフラに対応しています。
1.金融資産
2.人的資本
3.社会資本〉

『幸福の資本論』橘玲

、、、人間の幸福には3つの条件がある。
1.自由、2.自己実現、3.共同体=絆だ。

そして様々な研究が示すのは、
幸福の直接の源泉は「3」の共同体=絆からだけだ。
ハーバードの有名なコホート研究が実証している。

われわれが通常「労働」と呼んでいるものは、
2の人的資本(能力)を、
1の金融資産(お金)と交換する行為なのだ。
つまり「能力の換金」が労働だ。
これはマルクスが言った「労働価値説」をなぞっている。
正確を期するためここに時間という概念を導入すると、
ややこしい話になるので割愛しよう。

さて。

お金が幸せに影響を与えるのは、
「限界効用」があることが分かっている。

再び橘玲さんに登場いただこう。

→位置No.651 
〈お金の限界効用が逓減するというのは、
いったんお金から「自由」になると、
それ以上収入が増えても幸福度は変わらなくなるということなのです。
、、、このことから、お金と幸福に関する
次のようなシンプルな法則が導き出せます。

1.年収800万円(世帯年収1,500万円)までは、
  収入が増えるほど幸福度は増す。
2.金融資産1億円までは、資産の額が増えるほど幸福度は増す。
3.収入と資産が一定額を超えると幸福度は変わらなくなる。〉

『幸福の資本論』橘玲

、、、要するに、
一定の収入(資産額)を超えると、
もうそれ以上増えても、
幸福度は変わらなくなるということが研究で分かっているということ。
幸福というパラメーターは「カンスト」するのだ。

だから、ジェフ・ベゾスの幸福度と、
年収2000万円、資産2億円の、
日本の小金もちは、
幸福度では変わらないのだ。
これを限界効用の逓減という。
良く言われる、
1杯目のビールはめちゃくちゃうまいが、
4杯目と5杯目のビールは1杯目ほどの幸福感をもたらさないし、
10杯目だともはや飲みたくもなくなる、みたいな話。
幸福は人間の生物的側面によって「てっぺん」がある。

とかいいながら、
私は1も2も満たしていないし、
生涯満たすことはないだろう。
年収800万なんて、私にとってはどこのセレブかと思うし、
金融資産1億なんて考えたことがないどころか、
そもそも貯金がほとんどない。

30歳で公務員をやめたときから、
そんなことは分かっていたので、
驚きもしないし不満もない。
そんなことは予測していて、
考え抜いた上で、意図的に選んだのだ。
それは自分が選んだ人生で、
その人生に満足するという術を、
僕は身につけてきたつもりだから。

お金がない人間は、
知恵を限界まで使うしかないのだ。
脳みそが引きちぎれるほど絞り出して、
お金を知恵で代替するのだ。

貧乏人のサバイバル術を、
僕は自分なりに磨き上げてきたのだ。
それについてもいつかまた話そう。

もういちど話を戻すと、
われわれは能力を換金する行為(労働)によってお金を手にする。
お金が重要なのは自由を手に入れるためだ。
その自由を今度は「関係」に交換することで、
われわれは幸福という、
わらしべ長者のゴールにたどり着く。
お金をゴールとしている人は、
わらしべをしこたま集めて、
牧草ロールに囲まれて生きているようなものだ。
それをあと2度交換した先にしか幸福はない。

では、自由を関係に交換するとはどういうことか。

M-1グランプリ2021のオズワルドの1本目のネタで、
ボケの畠中くんが言った、
「お前の親友とサイズが合わない俺のズボン交換して」
という話ではない。
親友はお金では買えない。
親友をお金で買えると思っているそのクズ性こそ、
畠中くんに友達がひとりもいない理由であることに、
本人が気づいていないというのがあのネタのおかしみなのだ。

そうじゃない。

お金を得ると「自由」が得られる。
たとえば喫茶店でコーヒーを飲めるし、
居酒屋で個室が取れるし、
飛行機に乗って離れた地域に移動し、
ホテルをブッキングして数日滞在もできる。
あと、お金を得ると、
週に2日、あるいは年に2週間、休暇を取れる。
これが自由だ。

この自由を使って、
友人と喫茶店でコーヒーを飲み、
居酒屋の個室で親密な対話をし、
飛行機に乗ってかつての友人を訪ね、
その親交を深めることができる。
妻とデートすることもできるし、
買った車と獲得した休暇で、
子どもとドライブすることもできる。

このように僕たちはお金を関係に変換するのだ。
そして何度も言うが、
幸福はお金から直接は得られず、
関係からしか来ないのだ。
だからわらしべ長者のゴールは関係なのだ。
なぜならそれが幸福の源泉だから。

「触れたらすべてが黄金になるという呪い」を、
ミダス王は当初祝福と勘違いした。
億万長者になれると。
一生食うには困らないと。

彼が愛する娘に触れた瞬間、
その能力が祝福でなく呪いだとミダス王は知る。
この物語が古代ローマの詩人の詩集に収められていることが、
人類が昔から金融資産をゴールと勘違いしやすいことの証左だ。

ゴールはいつだって「幸福」なのだ。
『北の国から 2002 遺言』で、
五郎さんが純と蛍に遺した遺言にもあるじゃないか。
せっかくだから全文を引用しよう。

〈純、蛍、  

俺にはお前らに遺してやるものが何もない。
でも、お前らには、うまく言えんが、
遺すべきものはもう遺した気がする。
金や品物は何も遺せんが、
遺すべきものは伝えた気がする。
正吉や結ちゃんにはお前らから伝えてくれ

俺が死んだ後の麓郷はどんなか。
きっとなんにも変わらないだろうな。
いつものように、春、雪が溶け、
夏、花が咲いて畑に人が出る。
いつものように白井の親方が夜遅くまでトラクターを動かし、
いつものように出面さんが働く、
きっと以前と同じなんだろうな。
オオハンゴンソウの黄色の向こうに、
雪子おばさんやすみえちゃんの家があって。
もしもお前らがその周辺に
“拾って来た家”を建ててくれると嬉しい。
拾って来た町が本当に出来る。
アスファルトの屑を敷きつめた広場で
快や孫たちが遊んでたらうれしい。

金なんか望むな。
幸せだけを見ろ。

ここには何もないが自然だけはある。
自然はお前らを死なない程度には充分毎年食わしてくれる。
自然から頂戴しろ。
そして謙虚に、つつましく生きろ。
それが父さんの、お前らへの遺言だ

黒板五郎〉

『北の国から 2002 遺言』倉本聰

、、、金なんか望むな。
幸せだけを見ろ。

当たり前に見えて、
できている人は案外少ない。
だから「ミダス王」なのだ。

、、、あれ。

何の話だっけ?

マジで忘れた。

忘れたので、明日に続く。

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参考文献および資料
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・『幸福の資本論』橘玲(ダイヤモンド社 2017)
・『LIFE SHIFT』リンダ・グラットン(東洋経済新報社 2016)
・『おとなの教養』池上彰(NHK出版 2014)
・M-1グランプリ2021
・『居るのはつらいよ』東畑開人(医学書院 2019)
・『北の国から 2002』倉本聰 脚本

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