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地獄への道は安心で塗り固められている



なぜか日本人は、常に"小さな安心"を得ることに汲々としていて、
"大きな安全"を得ることに目が行かないんですね。
    ――――『国が滅びるということ』佐藤優×竹中平蔵(130頁)


▼▼▼地獄への道▼▼▼


「地獄への道は善意で敷き詰められている」
という西洋の諺がある。

12世紀の十字軍の指導者が書いた言葉が元ネタなのだけど、
ものごとの真実を言い当てていると思う。

同じ元ネタの諺に、
「地獄は善意で満ちているが、
 天国は善行で満ちている」
というバージョンもあるらしい。

つまり「善意 good intention」というのが、
世の中ではとかく疑わしく、
不特定の「善意」が集合すると、
「合成の誤謬」みたいな現象が起き、
破局に一直線につながる、みたいなことだ。

東京オリンピック2020や大阪万博も、
ある種そういうものとして理解できるし、
ある種の教会の役員会や総会、
中小企業の経営など、世の中って結構、
「善意で舗装された地獄」に枚挙に暇がない。

「善意」ってのがけっこう味噌で、
「善行」だと違う。

「善意」ってつまり、
「良い意図」ってことで、
良い意図にはコミットメントが伴わない。
善行にはコミットメントとリスクが伴うけれど、
善意は「よかれと思って」だからたちが悪い。
よかれと思っているけどリスクは取らない人が、
何かを言い始めると途端に事態は最悪に転がる。

今の世の中、そんなことばっかりだ。

皆さんも経験したことがあるだろう。

今日はその話をしても良いのだけど、
半年前からずっと僕が考えていることがあって、
そちらの話をしようと思う。

先ほどの諺の別バージョンをひとつ思いついたのだ。

僕はこう言いたい。

「地獄への道は安心で塗り固められている」と。


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