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サッカーワールドカップと天邪鬼な僕

大衆とは、みずからを、特別な理由によって
――よいとも悪いとも――評価しようとせず、
自分が「みんなと同じ」だと感ずることに、
いっこうに苦痛を覚えず、
他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、
そのような人々全部である。
     ――――オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』


▼▼▼サッカーワールドカップ開幕▼▼▼


サッカーワールドカップが開幕した。
もう、これは楽しくて仕方がない。
僕はJリーグどころか、
チャンピオンズリーグとか、
欧州のクラブチームのビッグマッチすら見てない、
サッカーのライトファンだが、
ワールドカップだけは毎大会、
わりと熱心に見ている。

日本代表を応援することはもちろんだが、
世界の強豪国の試合は見ていてゾクゾクする。

多分今世界最高峰のフォワードであろう、
フランスのエンバペ(ムバッペ)とか、
彼をフィニッシャーとする、
ベンゼマ、グリーズマンあたりの連携とかはヤバイ。
ベルギーの攻撃陣にも言えるけど。
ワンタッチ、ワントラップで相手ディフェンダーを置き去りにし、
最後は圧倒的なスピードでぶち抜いて、
針の穴を通すようなコントロールで、
相手ゴールに突き刺す。

もう、ライオンが獲物を仕留めるような、
電光石火の攻撃は、
見ていてうっとりとしてしまう。

ブラジルのディフェンダーの、
鋼鉄のフィジカルと柔軟な身体の使い方が融合した、
「え、その切り返しからのセンタリングを、
 ブロックできるの?」という、
自分の脳みその常識を、
目の前のプレイが上回っていく快感は、
ドーパミン出まくりだ。



▼▼▼マキタスポーツさんの「国民」▼▼▼


問題はどうやって見る時間をつくるかなのだが、
僕の場合、録画しておいて、
安息日の土曜日にイッキ見、
というのが多いかな。

結果を知ってしまうことも多いが、
それはもう仕方ない。
結果を知っててもなお試合内容が面白いのが、
ワールドカップサッカーなのだし。

あと、ダイジェスト番組も、
わりとチェックする。

今大会は本当にどうなるのか分からない。
ここ数大会、南米勢がベスト4前に負けてしまうことが多いので、
準決勝や決勝で戦うアルゼンチンやブラジルを見たい、
というのもあるし、
アフリカ勢とかアジア勢で、
大会を引っかき回す存在が現れたら盛り上がるだろう。
日本がそんなチームになったらもう、
興奮が止まらない。

絶叫する。

サッカーのゴールは、
どこか「美しい」。
それが危険な香りでもあるのだが、
美しいものは美しい。

とにかく僕は、
サッカーを思う存分楽しむ所存です。
僕の場合、世間が盛り上がってなければないほど、
自分が盛り上がるという、
天邪鬼な性格なので、
今回ぐらいの温度感はとても良い。

東京オリンピックのときの、
「もりあがらないなんて信じられない」みたいなのは、
マジでテンションが下がる。
応援したいものも、
それが原因でしたくなくなる。

僕は「集団の熱狂」が、
とても嫌いなのだ。

全体主義国家で真っ先に殺されるタイプ。

普段から僕は、
日本が全体主義国家になったら、
「あいつは周りに同調してませんよ」と、
勝ち馬に乗るタイプかどうかで、
ひそかに人を二種類に分類している笑。
これは僕の一種の背徳的なゲームなのだ。
真剣にしてるわけじゃない。
電車で目の前に座っている人の家族構成を想像したりして、
楽しむような種類の遊びだ。

だれをどう判断しているか?
言えるわけねーだろ。
口が裂けても言えない。
墓場まで持っていく。

テレビでコメンテーターが訳知り顔で言ってた、
「そりゃそうだろ」という意見を、
次の日にさも自分の意見かのように言うタイプや、
「やっぱ日本人で良かったよね」と、
日本以外に出たことがないのに迂闊に発言するタイプ、
「東京オリンピック、盛り上がるっしょ!」タイプは要注意だ。

そういった人々のことを、
僕は心の中で「国民」と呼んでいる。
そして警戒している。
警戒してるんであって、
見下しているのではない(ここ重要)。
恐怖している、といってもいい。
この人は日本が全体主義国家になったら、
僕のような人間をまっさきに
国家公安局にチクる人間だ、と。
もちろんそんなこと本人には言わないし、
態度にも出さないのだけど。

ちなみにこれは芸人マキタスポーツさんがラジオで言ってたのを、
さも僕の持論かのように書いている(自爆)。

マキタスポーツさんの近所には、
「国民」が住んでいるそうで、
彼が朝ドラに出ている期間だけは分かりやすく話しかけてくるが、
その他のマキタスポーツさんのピン芸人の活動や、
味のあるバイプレイヤーとしての映画での演技、
著述家やミュージシャンとしての活動や、
ラジオパーソナリティとしての一面には、
気持ちが良いほど興味がないのだとう。
「朝ドラ」という記号以外、
彼らのアンテナには引っかからないのだ、と。

マキタさんはでも、
さらに突っ込んでこうも言っていた。
「国民」を俺は大事にしているんだ、と。
彼らが「面白い」というものはたいてい、
国民的人気を博するのだ、と。
彼らの物事を見る解像度(の低さ)とか、
彼らの感情のシンプルさとか、
そういうものって、
実は「国民」の最大公約数になっていて、
彼らにハマるものは、
「メジャー」になるんだ、と。

マキタさんはメジャーを目指すタイプの芸人ではない。
本人もそれは分かっている。
だから「国民に寄せる」ということはしない。
そういうことをすると、自分の芸が死ぬことは分かっている。
だから寄せることはしないけれど、「国民」を観察し、
彼らのアンテナに何がひっかかるかをモニターすることが、
マキタさんの芸を、
どう世間にプレゼンするかということの、
ある種の「参照点」になってるんだよ、
みたいなことを、マキタさんはラジオで語っていた。

僕は「とてもよく分かる」と思った。

マキタさんの言う「国民」を、
電通は「B層」と呼んだ。
これは電通のマーケティング用語で、
まさにマキタさん的な内容の洞察をデータ化し、
電通はマーケティングに応用したのだ。
詳しくは『日本をダメにしたB層の研究』という本に書いてある。

この「B層研究」を熱心にしたのが、
郵政選挙を主導した小泉政権であり、
7年8ヶ月続いた第二次安倍政権だったのだ。
自民党一強はマーケティングでつくられている。
B層について先の書籍はこう解説する
〈・行列ができる店に「行列ができているから」
  という理由で並ぶのがB層
 ・コストパフォーマンスはB層の行動原理
 ・成功者の体験を一般化できると思うのがB層
 ・「何を言っているのか」ではなくて、
  「誰が言っているのか」で判断するのがB層〉

『日本をダメにしたB層の研究』適菜収

めちゃくちゃ分かる。

そして、僕はB層が怖い。

中高生のとき、
クラスの影響力ある奴が言ってることや、
流行っているスタイルに付和雷同する奴が苦手だった。
今でもハロウィンに渋谷で仮装する人間が苦手だし、
行列ができているという理由で行列に並ぶ人間が苦手だ。

僕はひねくれている。

何の話だっけ?

あ、そうそう。

サッカーワールドカップ、
マジでぶち上がる(自爆 2度目)。


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参考文献および資料
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・「東京ポッド許可局」TBSラジオ
・『日本をダメにしたB層の研究』適菜収
・『逆境芸人』槙田雄司(マキタスポーツ)
・『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット

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