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と 「豆腐屋」


豆腐屋が好きだ。そんなに頻繁に行くわけではないが、商店街的な場所を歩いたり、見たことない路地に迷い込んだりして、発見すると嬉しいのは豆腐屋だ。同じようなジャンルにパン屋があるが、パン屋よりも僕は豆腐屋のほうがテンションが上がる。時間があったりするときは、じっさいに店先で新鮮な豆乳を買ったり、さつま揚げを買ったりすることもある。豆腐屋には「ロマン」を感じるのだ。

買うときに作業場が一瞬のぞけるのも良い。年中水仕事の豆腐屋の床はコンクリの打ちっぱなしでちょっと勾配がつけてあり、大きな水槽の中にホースで水を灌流させ、そこで見たことないような大きな包丁で角刈りのおじいさんが豆腐を丁寧に切っているのを見たりすると、なんか静謐さというか神聖さというか、そういうちょっと厳かな気持ちになるのだ。

「北の国から92’巣立ち」の、菅原文太のイメージに引っ張られているのかもしれない。穴の空いたスーツを着て高円寺に現れた五郎さんが紙袋にカボチャを5つ入れている。付き合っている彼女を妊娠させてしまった純は彼女の叔父さんに謝罪に行く。叔父さんこと菅原文太は豆腐屋の作業場で白い長靴を履き、馬鹿でかい四角い包丁で豆腐を切っている。顎で案内された小上がりで五郎さんと純は土下座をし、かぼちゃを5つ紙袋から出す。「受け取れん」と菅原文太は言う。「誠意って何かね」という日本ドラマ史に残る名台詞が生まれたのはそこでの話しだ。

豆腐屋に対する僕のフェティシズムは、多分昭和へのノスタルジーも関係している。発達が遅かった僕の記憶は小学校3年生ぐらいから始まるのだが、母親から聞かされて脳内で造られた映像としての「記憶」がある。それが僕が2歳ごろの話しで、家族でシカゴに行く前にひばりヶ丘の団地に住んでいたとき、僕は軽トラックで豆腐を売りに来る豆腐屋さんに「お豆腐ください」と頼む係だったのだそうだ。それはそれは可愛かった(本当だ)2歳の僕のことをいつも豆腐屋さんは覚えてくれていて、何かしら毎回サービスしてくれたのだという。

なんか、豆腐屋ってそういう「昭和の象徴」のひとつだと思うのですよね。今の家の近所に「三河屋」という名前の豆腐屋がある。以前Podcastで話したこともあるが、僕は「三河」と名のつく店を発見すると吸い込まれる習性があるから、去年自転車でそこに言ってみた。菅原文太が奥から出てくるんじゃないかってぐらいあのイメージそのままで、売り場のおばあちゃんは近年あまり見たことないぐらい腰が曲がっていて、キャッシュレスなんてものはないどころか、電子レジすらなく、会計はなんと「そろばん」だった。そろばんを久しぶりに見た。はい(パチパチパチ)、370円だからおつりは130円ね。豆乳と豆腐ドーナッツを買って、僕はほくほくしながら家に帰った。豆腐関係の食べものは僕以外の家族はそんなに好物ではないので、ほとんど一人で全部食べた。「三河屋」にまた行きたくなってきた。


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