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井の頭自然文化園


動物の言語が言語として存在するために、
動物は何も新しいことを学ぶ必要はない。
人間が、彼らを違った目で見るようにするだけで良い。
彼らはずっと話をしているのだから。
 ――――『言葉をつかう動物たち』エヴァ・メイヤー


▼▼▼井の頭自然文化園▼▼▼


先日、次女を連れて井の頭自然文化園に行った。
自転車で家から15分。
わりと便利だ。
東京に住む人からすると、
「はな子」で有名な動物園です。

はな子は1954年に井の頭自然文化園に来て、
2016年に亡くなるまで62年にわたって飼育されていたそうだ。
飼育された象の最長年齢になるのだという。
吉祥寺駅のロータリーには、
はな子の銅像が建てられている。

さて。

そんな井の頭自然文化園なのだけど、
僕は初めて行ったのですよね。
妻は何度か子どもを連れて行ったことがあるし、
そもそも妻は高校生のころからこのあたりに住んでるから、
高校時代から吉祥寺は「ホーム」で、
井の頭自然文化園は「庭」のようなものだったのだそう。

僕のような岡山で中高生時代を過ごした田舎者にとっては、
吉祥寺といえば『ろくでなしブルース』なのですよね。
前田太尊がいる場所。
三回留年して20歳の輪島先輩がいる場所。
なんか、OBの坊主の人が、
井の頭公園でたこ焼きの屋台やってたり、
太尊と千秋が井の頭公園でデートしてたり、
誰かが誰かを殴っていたり、
誰かが誰かにローリングソバットしてたりする場所。

そんな場所。

渋谷には鬼塚がいて、
浅草には薬師寺がいて、
池袋には葛西がいる。

東京に住んでみると、
輪島先輩も鬼塚も葛西もいないのね。

びっくりしたけど。

池袋には西武と東武とビックカメラはあるけど、
どこを探しても葛西はいないし、
浅草に行っても薬師寺はいないし、
吉祥寺に共栄高校もないのね。

びっくりしたー。

っていうか、
吉祥寺ってこの界隈ではかなりオシャレな街で、
短ラン・ボンタンで、
いかついソリ込み入れて歩いてる人なんて皆無です。
みんなファッション誌の街角スナップみたいな格好して歩いてます。
ヤンキーファッションの前田太尊は
恥ずかしくて北関東あたりに引っ越したのかもしれない。
あ、楳図かずお先生は、赤のボーダーで歩いてるらしいよ。
目撃情報をたまに聞く。


▼▼▼動物園が好き▼▼▼


そんなわけで吉祥寺です。
井の頭自然文化園です。

あの近くに僕の好きなアウトドアブランドの
『patagonia』の店舗があるから時々行きます。
あと、10年ほど前は、
あのあたりで教会の仲間と「聞き屋ボランティア」もしてました。
鬱を患ってから、「脳の体力」がなくなってしまい、
ずっとできてないのだけど。

初めて入った井の頭自然文化園は、
とても可愛いサイズの動物園で、
とても気に入った。
「ちょっと自転車で行くのにちょうど良い動物園」なんて、
よく考えると大都会にしかないよね。
上野動物園はでかすぎるし、
旭山動物園は一大イベントだし、
東山動物園にしても、
かつての僕の同僚の獣医師が働いている、
豊橋の「のんほいパーク」も、
休日一日使って自動車で行く「イベント」ですものね。

ちょっくら自転車で、
午前中だけ過ごすような動物園って、
井の頭自然文化園だとか、
(いったことないけど)ニューヨークの、
セントラルパークにある動物園とかですよね。
大阪住んだことないからあまり詳しくないけど、
天王寺動物園ってそんな感じなのかな?
いつも通天閣いくと見えるんですよね。
かなり都会ですよね、あれ。

よくよく思い出してみると、
僕は動物園がとても好きなのだ。
まぁ、獣医師になろうとする人間なんて、
動物園が好きに決まってるんだけど。

小学生のころ、
動物園で2時間サルを見てたら周囲に誰もいなくなって、
迷子センターで泣きじゃくった記憶がある。
母親によれば、僕は動物を見るとき、
もう、「ゾーン」に入ったように見入っていて、
その集中力および集中の持続力は、
常人の域を超えていたのだそう。
「生き物」に魅了されてきたのだ。
大学に行って獣医学科のクラスメートが、
ほぼ全員僕と同じような思い出を持っていて、
「なーるほど」と思ったけど。

そういうわけか。

とにかく動物園が僕は好きだ。
好きすぎて、アメリカのサンディエゴ動物園にも行ったし、
海外で機会があれば動物園をけっこう探す。
「檻に閉じ込めてどうなの?」
みたいな意見もあるのだろう。
でも、動物園が世界になかったら、
獣医になりたいという人間の数も減るし、
野生動物を守りたい!
って人の数だって減るんじゃないかな。
あと、この30年ぐらいで、
各国の動物園は昔のような、
「檻にとじこめてりゃいいだろ」
という発想ではなくなってきている。

「動物福祉」ということを考えながら、
飼育されている動物が幸せであるほうが、
見る人にとっても「見応えがある」ということに気づいている。
「行動展示」とかってまさにそういうことだから。

ついでなので、
去年からFVIと自分の興した事業でエチオピアの支援活動をしている、
動物看護師でもある湯本さんと一緒に、
動物についてのポータルサイトを作っていて、
それが公開されたのでシェアします。

▼『Sorores Terra』


▼▼▼動物の知性▼▼▼


さて。
井の頭自然文化園である。
次女は動物にも興味を示すが、
コーヒーカップとかメリーゴーランドとか、
そういったアトラクションのほうが楽しいみたいだ。
あと、ジュースが飲めるのがうれしいみたいだ。

動物に関しては僕の方が次女よりも楽しんでいた。

2008年にNGOの活動に身を投じてから、
獣医師の現場からは遠のいている。
だからあんまり同窓会にも出られない。
なんか、申し訳なくなっちゃうから。
獣医師の連帯って職業の連帯だから、
なんか、現場から退くと顔出しづらいんですよね。

でもこの数年、
唯一、獣医師としてしている仕事がある。
それが帝京科学大学の非常勤講師で、
年に2回ぐらい、外部講師として単発の90分の授業をする。
大講義室で大学1~2年生に、
国際的な動物の事情について話す。
学生たちは将来、動物看護師になりたい子たちで、
毎回熱心に耳を傾けてくれる。

この仕事のおかげで、
僕は動物に関して再びインプットをし始めている。
職業として獣医師をしていたときって、
本当に「狭く深く」という感じで、
論文を書くにしても、
それはそれはニッチなものだった。
そういった研鑽が、
巡り巡って分野を前進させ、
僕の前職ならば公衆衛生に資する、
ということもあるだろう。

しかし、今はもっとジェネラルに、
「動物」というカテゴリについて、
分野横断的にインプットをするようになった。
そこには思想や宗教も関わるし、
哲学や社会学、歴史や言語学も関わる。
でも、この分野が本当に面白くて、
そこで出会った本たちを、
さっきの『Sorores Terra』で紹介したりもしている。

この数年で知って驚いたのは、
プレーリードッグのコミュニケーションを音声解析した
スポロドチコフという人の研究だ。
どうやらプレーリードッグは「文法」をもっていて、
それらを組み合わせることで、
副詞や形容詞や動詞などを組み合わせて
コミュニケーションしているらしい。

〈侵入者を詳しく描写することもできる。
侵入者が人間なら、それは人間であり、
その人間はどのぐらいの大きさか、何色の服を着ているか、
傘や銃を所持しているかどうか、といったことを表現する。
犬なら、大きさと色、かたちについて述べ、
さらにどんなスピードで近づいてきているかにも言及する。〉

『言葉をつかう動物たち』68頁

、、、あと、
ゾウはどうやら、「死」という抽象概念を理解しているらしい。
 

〈長年、オスだけが土地やメスを巡って
互いに社会的接触をすると推測されていたが、
ゾウたちは親しい友達関係も作り、
もっと大きな友達グループで暮らしていることが最近の研究で示されている。
そうした関係は死ぬとなくなるわけではない。
ゾウが死にかけているとき、
グループ内の他のゾウたち(多くの場合は家族)が、
死んでゆくゾウの周りに集まってきて、それぞれが鼻で優しく慰める。
ゾウが亡くなると、彼らは亡骸を抱きかかえたり、
抱き上げたり、あるいは背中を押し上げたりしようとすることもある。
そして土と葉で覆うと、それから何年もの間、亡くなった場所を訪れる。
ゾウの墓だ。
彼らは知らないゾウの骨にも興味を示す。
記憶力の良いことと、
亡くなった家族へ係わり続けると言うこととを考え合わせれば、
彼らは死という抽象概念を理解していると言える。
彼らの言語についての研究が進めば、
このテーマはさらに解明されていくだろう。〉

前掲書 47頁


、、、僕は東山動物園で迷子になった頃から、
ずっと動物に魅了されてきた。
動物を穴が空くほど見てると、
彼らが僕たち人間と同程度か、
もしかしたらさらに頭が良いんじゃないか、
と僕はその頃から思っていた。
ただ「人間のような性質の言語」を持っていないだけで、
彼らは絶対にコミュニケーションをしている。
あぁ、彼らと話せたらなぁ、と僕は思っていた。
だから『ドリトル先生』が大好きだった。

人間が「動物は話す」っていうとき、
オウムが『オハヨウ』と言ったり、
犬が「1足す3は?」
「ワン×4」と鳴かせたりをイメージするが、
そんなことじゃない。

バカにすんな。

そうじゃない。
動物はすでに話している。
それをやっと人間が理解し始めただけだ。
キリスト教神学はアリストテレスの影響を受けすぎて、
人間を「被造物の頂点」だと考える
途方もない傲慢を内在させているから、
僕はこれを変えたいと思っている。
獣医でなおかつキリスト教徒だから、
それは僕の使命だと思っている。

終わり。


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参考文献および資料
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『ろくでなしBLUES』森田まさのり
『言葉を使う動物たち』エヴァ・メイヤー
『聖書とエコロジー』リチャード・ボウカム


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