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神のために死ぬことよりも、神のために生きるほうが多分、難しい





終末的苦難を生きる教会に求められているのは、
証言のゆえに死をも覚悟する殉教的信仰である。
「殉教」とは、死の賛美や自決ではない。
キリストとともに「世」に死ぬこと、
地上的な価値への執着を捨てることであり、
それによって真の自由を得ることである。
     ――――『小羊の王国』91頁(岡山英雄 著)


▼▼▼笑って人類!▼▼▼


太田光さんの『笑って人類!』を読んだ。
内容どうのこうのというよりも、
あの忙しいスケジュールの中、
原稿用紙1088枚、ハードカバーで500ページを超える小説を書き下ろす、
そのエネルギーに僕は舌を巻いた。
たくさんのテレビ番組に出演し、
レギュラーのラジオ番組が2本あり、
二ヶ月に一回事務所のライブで新ネタを下ろす。
あのキャリアでそんなことしてる芸人さんはほぼ皆無な上に、
小説まで書く。

アウトプットの量が尋常じゃない。
僕はアウトプットは「質」も大事だと思うが、
生まれた時から人よりエネルギー量が少なく、
体力のなさには自信がある僕には真似できないという意味で、
「量」をこなせる人を本当に尊敬する。
ちなみに太田光さんはスマホを持ってない。
もしスマホを持っていたら、
多分小説を書く時間は捻出できないと僕は思う。
因みに僕がスマホを持っていたら、
このメルマガを書けない。

さて。

『笑って人類!』である。
全体の感想はここでは掘り下げないが、
登場人物のひとり、アフマルというテロリストの少年が言った言葉が響いた。

→P498~499 
〈「殉教とは、神の為に死ぬことだと言ったな」
 「ああ」
 「生きることはどうだ?」
 「……何?」
 「神のため、いや、何かの為に生きること。それも殉教か?」
 アフマルはジッと考えた。
 生きることか。なぜ今まで自分は考えなかったのだろう。確かに単純な疑問だ。神の為に死ぬことが殉教ならば、神の為に生きることはどうか?〉

『笑って人類!』太田光


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