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お『沖縄』

沖縄が好きだ。沖縄に生まれれば良かったのに、と時々思うぐらい、沖縄が好きだ。人生のどこかで沖縄を訪れ、沖縄と恋に落ちた大和人(やまとんちゅ)は、その後沖縄以外のどんな場所で人生を送っても、心の中に沖縄が棲み続ける。

はじめて沖縄に行ったのは2007年、来年の4月からNGOに加わる、と決意した後、市役所の職員だった僕は有休を消化して神田英輔師の宮古島の教会や学校での奉仕に同伴した。カバン持ちの心持ちで。そこで出会った人々、食べたソーキそば、見たエメラルドグリーンの海は、僕の中の何かを完全に虜にした。その後、何度か神田師に同伴して沖縄本島・宮古島・久米島などの教会で奉仕をした。年に1回か2回、そんなふうにして沖縄に行く年が続いた。2011年の震災以降は福島に行くのに忙しく足が遠のき、2013年に鬱病を発症してからは別の理由で行けなくなった。

それでも沖縄が好きすぎる僕は、新婚旅行は当然(?)沖縄を選んだし、実は子どもが生まれた後も一度家族の夏休みに石垣島を訪れている。妻もまた沖縄が大好きで、A&W、Jimmyのアップルパイ、ソーキそば、魚の天ぷら、スーパー「サンエー」で買うサーターアンダギーをこよなく愛している。吹く風の匂いが違う。海の色が違う。町並みが違う。石造りの塀が違う。台風に備えるために、沖縄には「看板」がない。風で飛ばされて凶器になるから。なので多くの場合、コンクリートに直接ペンキで宣伝文句だとか建物の屋号が書かれている。植物が違う。ガジュマルの木は「台風には負けないぞ!」と、取り組み前の力士のように、四つ足を地面に付けて頑張っている。薩摩藩に酷い目に遭い、明治政府に酷い目に遭い、陸軍の日本帝国にも酷い目に遭い、米軍にも酷い目に遭い、津波や台風にも酷い目に遭ってきた。それでも沖縄の自然は、沖縄の人々は、どこまでも強く、しなやかで、そして美しさを失わない。

沖縄を歩いているとサトウキビ畑での農作業を終えたのか、おじーやおばーが道を歩いている。肌は健康的に黒く、背は低く、顔つきはどこか本州の人と違う。何より目が違う。その目の向こうには海が広がっている。ニライカナイが広がっている。沖縄に行くと僕は「永遠」を感じる。泣きそうな悲しみと、走り出したい喜びを同時に感じる。そして彼らの、彼女らの、その自然の生き様に畏敬の念を抱くのだ。魂をそっと慰撫し、なおかつ激励してくれるのだ。沖縄の海は母であり、父なのだ。こんな場所は世界のどこにもないと、僕は思う。


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