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ハンバーガー=ラーメン説


マクドナルド化は道理性のもつ有利な点を提供し、
人々はその合理性に感情的にのめり込んでいく。
このコミットメントこそが、
人々がマクドナルドの不利な点を彼らに見過ごさせる結果となっている。
     ―――『マクドナルド化した社会』ジョージ・リッツァ 293頁


▼▼▼ラーメン→ハンバーガー▼▼▼


そう。ハンバーガーである。
昨日の日記で僕はラーメンについて語った。
ラーメンについて語った目的は、
「昔はラーメンが好きだったが、
40代になってラーメンはそんなに食べられなくなった」
と言いたかったからだ。

もちろん今もラーメンは好きである。

でも、今や、年に数回ですね、ラーメン食べるのは。
「そういえばもう半年ぐらいラーメン食べてないな」
ってこともしばしばで。

いや、嫌いじゃないのだ。
むしろ、好きといって良い。
時々無性に行きたくなるラーメン店というのが、
僕にも2つや3つ以上、あるのだ。
ただ、そのうちのいくつかは、
もう2年以上行ってないなぁ、ってだけで。

だけど、健康のことを考えると、
というか、自分の内臓の性能を考えると、
ラーメンはちょっと「トゥー・マッチ」なのだ。
代謝が落ちているから、
あんなカロリーモンスターを、
一日で糖代謝できるわけもなく、
当然体重が増加する。
翌日もちょっとお腹いっぱいで目が覚めたりして。

そんなヤワな胃袋なので、
20代のときのようにラーメンに没頭できない。
10代の代謝と消化能力があれば、
僕は毎日ラーメンでも良いぐらいなのだ。
それがもうできないわけじゃないですか。

そこでだ。
40代になって、けっこうハンバーガーを食べている。
ハンバーガーは僕にとって、
ラーメンの等価物だということに気付いたわけだ。

昨日の日記で速見さんの『ラーメンと愛国』を紹介した。
それによると、ラーメンはアメリカの食料帝国主義を糊塗した。
しかし、ハンバーガーとなると、もうアメリカそのものだ。
ここに欺瞞性はいっさいない。

イタリアを擬人化したらピザになるし、
韓国を擬人化したらプルゴギやキムチになるし、
日本を擬人化したらおむすびや寿司になるのと同じく、
もう、アメリカを擬人化したらハンバーガーになる。
ハンバーガーに目玉を付けて喋らせたら、
もうそれが食品界の「Mr.アメリカ」だ。

『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』という映画がある。
これが抜群に面白い。
マクドナルドのアイデアは「マクドナルド兄弟」という、
素朴な飲食店経営者に端を発するのだが、
そのアイデアをかすめ取って世界帝国を築いたのが、
レイ・クロックという元巡回セールスマンだ。
映画タイトルの「ファウンダー(創設者)」とは、
マクドナルド兄弟ではなくレイ・クロックという男のことである。

キリスト教でいうと、
マクドナルド兄弟がイエス・キリスト、
レイ・クロックがパウロ、といことになる。
ソクラテスが教祖でプラトンが開祖だ。
ギリシャ哲学の時代から、
教祖と開祖は違うのだ。
求められる資質も違う。
教祖は真理を探究し、
開祖はそれを大衆化し伝播させる。

『ファウンダー』を見ると、
ハンバーガーが「アメリカそのもの」であることがよく分かる。
まず、なぜ紙の包みに入れて手で食べられるか。
車を運転しながら食べるためだ。
アメリカという国はハイウェイと自動車の国だ。
それは銃と並んで、アメリカのアイデンティティなのだ。
そして、タンパク質と炭水化物を一緒に摂取するという効率性。
もうしわけ程度に食物繊維(レタスとトマト)が入っている。
食べることを「栄養補給」と考えている、
ピューリタン的禁欲主義の話を先週したが、
まさに効率性を求めた栄養補給、
これがハンバーガーに結実している。

ハンバーガーはアメリカそのものだ。


▼▼▼ローカル手作りハンバーガーショップ▼▼▼


そんなハンバーガー、
僕はマクドナルドはもちろん好きだが、
年に一、二度、行くかどうかという感じ。
あと、マクドナルドで一番美味いメニューは、
朝マックのソーセージマフィン(180円)だと思っている。
マクドナルドフリークなら分かると思うが、
年に一、二度行くかどうか、というのは、
あまり積極的に好きというわけではない。
いや、好きなんだよ。
ポテトなんて無限に食べられるし、
ダブルチーズバーガー、年に一度ぐらい食いたくなるし。

でも、
たとえば松屋とマクドナルドが並んでいたら、
僕は10回に8回は松屋を選ぶってだけで。
予算はだいたい同じようなものでしょ。
松屋を僕はカレー屋として認識しており(これはいつかまた話す)、
松屋のカレギュウは、ファストフード界の「王」だと僕は思っている。
だから、8割松屋を選ぶ。
マクドナルド好きなら、
もうあの赤と黄色の「M」の看板見ただけで、
目の奥がピカーっと光って口半開きで、
10回に10回マクドナルドを選ぶ。
たぶん子どもの頃にハッピーセットの中に入っていた、
マイクロチップが脳内で何かを放出しているのだろう(陰謀論)。
僕の目は光らないし、脳内で何かが起きている気はしない。
僕はやはり、マクドナルドがそこまで好きではない。

ただ、この10年ぐらいの傾向だと思うのだけど、
全国のそこかしこに、
いわゆる自家製ハンバーガー的な店ができてきたでしょ。
多分先駆けになったのは、
新宿にも店舗がある「SHAKE SHACK」あたりだと思うんだよね。
あれはアメリカからのフランチャイズ店だけど、
ようは100%ビーフパテ、
バンズも自家製で、
その店オリジナルのソースとかで、
アボカドとかパイナップルとかベーコンとか、
クリームチーズとかのアレンジもできて、
価格帯がハンバーガー単品で1000円を超え、
今だとセットで1500~2000円ぐらいのやつ。

あれが僕はとても好きなのだ。

だから、知らない土地に行くと、
けっこうその手のハンバーガー店を探すぐらい。
特にひとりでいると、その手のハンバーガー店が、
ファーストオプションになる。
フランチャイズには目もくれず、
そういった、地元の自家製ハンバーガーショップを目指す。
オーナーはたいてい、昔ラーメン屋をやっていたか、
これからラーメン屋をやりそうな世代の人がやってる。
30代~40代が多い感じ。
9割の確立でヒゲを生やしており、
9割の確立でキャップをかぶっており、
9割の確立でTシャツハーフパンツにエプロンをしている。
多くの場合ジーンズ生地だ。
そして店内にはEaglesとかがかかっていて、
「ルート66」の看板とかが置かれていて、
ミスターポテトヘッドとかバズライトイヤーの人形が置かれていて、
もう「これでもか」というほどのアメリカがそこにはある。

仮にアメリカ人がその店内に入って、
「アメリカだなぁ」と思うかどうかは謎だが。

アメリカにある和食料理店「Kobe」に、
20年ほど前に行ったことがある。
中に入ると京都にあるみたいな赤い傘があったり、
枯山水的なものがあったり、
書道の掛け軸がいろんなところにかけてあったり、
鯉が泳いでいたり、
琴の演奏のBGMがあったりした。
「でも、なんか違う気がする」と思った。
こんなに「日本の全部盛り」みたいな場所は、
日本にはないのだ。
日本のハンバーガー店も、
これと同じことをしている可能性はある。
「こんな漫画みたいなアメリカ、
 USAにはないヨ、ユー、クレイジーね」
ってこともあるわけで。

ちなみに、くだんの「Kobe」では、
テーブルにフォーチュンクッキーがあり、
注文を取りに来た女性はチャイナドレスを着ていた。
方向は合ってるんだけど。
「東のほう」ってことでは。
僕はそういうのおおらかなので、
「惜しい!
 でもルーツは遠からずかもね」
ぐらいに笑った。
ちなみに味の解釈も間違えていた。

「Kobe」は、「日本の解釈を間違えた」のだ。
日本にある無数のそういったハンバーガー店も、
「アメリカの解釈を間違えている」可能性は、
十分にあり得る。

それでも、
日本の中の小さなアメリカみたいな、
自家製ハンバーガーショップが僕は好きなのだ。
『孤独のグルメ』よろしく、
僕は無言でハンバーガーにぱくつく。
たいてい、美味い。
っていうかあんなもん、
まずく作りようがないのだけど。

それでも味には差がある。
めっちゃくちゃ美味くて驚くのもあれば、
あー、これなら俺でも作れる
というのもある。

そう。
僕はこの2年ぐらい、
自家製ハンバーガーを作るのに凝っている。
牛肉の挽肉、バンズ、レタス、トマトを買ってきて、
パテを作って炭火で焼き、
それらを挟む。
けっこう美味い。
その辺の店で出せるぐらい美味い。
まぁ、誰がつくってもそれぐらいにはなる。

でも、自家製ハンバーガーショップに入ると、
ちょっとヤバいぐらい美味くて驚くこともある。
孤独のグルメよろしく、僕はつぶやく。
バンズとパテのバランスが非常に計算されている。
パテはあくまでジューシーで、
ソースがスモーキーだ。
なんだこれは?
あぁ、なるほど、ピクルスの代わりにわさび漬けか?
考えたな。
それをクリームチーズでマイルドにしている。
やるじゃないか。

ブツブツ

ブツブツ

みたいな感じで。

気持ち悪い客だ。

キモ客だ。

でも、これがやめられない。
ちなみに僕もキャップをかぶっていて、
ヒゲを生やしている。
「偵察にきたハンバーガー屋」だと思われているかもしれない。

でもさ。

ハンバーガーとラーメンが等価物、
ってそういうことだと思うんですよ。
たぶんやっている店主の「層」みたいのが似ているし、
あと、「大喜利」的な楽しさも似てるんですよね。
こだわるポイントがいくつかあって、
それらの組み合わせで「こんなのどうですか?」とやる。
ラーメンなら麺、スープ、チャーシュー、煮卵、めんま、ネギ。
ハンバーガーならビーフパテ、バンズ、チーズ、ピクルス、レタス、トマト。
これらの組み合わせに「縛り」があり、
この縛りの中で問題を解いていくのが大喜利であり、
5・7・5・7・7というレギュレーションの中で創造性を発揮する、
「短歌」とかにも似ている。
ラーメンならばどんぶり、
ハンバーガーならプレートに、小さな宇宙が広がる。

ラーメン店だとミニ丼とか、
ハンバーガーショップならオニオンリング/フレンチフライが、
さらに面白さを加える。

そういった「楽しみ方の構造」が、
とても箱庭的で、
日本的だと思うのだ。

こうやって日本は、
全世界を「日本化」し、
日本的解釈のもと、
他の国の人が考えもしないような楽しみ方を、
まさにクリエイティブに生み出していく。
日本の一番すごいところって、
たぶんこういうところなんだと思うんですよね。

そもそも「ひらがな・かたかな」って、
もう、斜め上の発想ですからね。
本当に凄い。
どうかしてるほど凄い。
日本人のどれだけが、
このすごさに気付いているのだろう、
と僕は思うのだ。


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参考文献および資料
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・『ラーメンと愛国』速水建朗
・映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』
・『マクドナルド化した社会』ジョージ・リッツァ


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