八日山の火事

 八日山ホテルの部屋に入ると、テレビのスイッチをつけた。どこかの山が火事だった。レポーターがヘルメットを被って何か言っている。イヤホンでノイズキャンセルされ、何を言っているのかわからない。スポティファイで中森明菜を聞きながら、荷物を床に置いた。ベッドに腰かけ、スマホを取り出し、あすけんに昼食を打ちこむ。ランチパック小倉&マーガリン、国産鶏肉使用糖質0サラダチキンハーブ、スープマロニーちゃんまろやか鶏白湯、7プレミアムかぼちゃサラダ、あんバタ飴。朝食は大きな大きな焼きおにぎり、アサリの旨味!海鮮スンドゥブ、五目ひじき煮、ストロベリーヨーグルト脂肪ゼロ。合計で千四百三十六キロカロリーだ。摂取カロリーの目標は二千百三十五キロカロリーなので、残り約七百キロカロリーくらいだ。あすけんはタンパク質と脂質、炭水化物のバランスを重視するため、シュークリームを何個か食べて数字の辻褄合わせをしても点は低い。いつもなら冷蔵庫にあるものを確認しながらメニューを決めるのだけど、外出先だとそうはいかない。部屋に入る前に一階のセブンイレブンはチェックしていた。メモを見返しながら、どれとどれを組み合わせたら高得点になるか試した。

 昨日は百点だった。朝食は、おかめ納豆極小粒ミニ・ご飯二百グラム・味付きめかぶ・梅肉と大葉のアジフライ・キャベツの千切り・ストロベリーヨーグルト脂肪ゼロ。昼食は野菜の炊き合わせ・ご飯二百グラム・ブロッコリー・さやいんげん・蒸しささみ・あんバタ飴。夕食は広島お好み焼き肉玉そば大盛。間食があたりめ、バナナ、冷凍ブルーベリー、チョコレートケーキで、歩数は一万千七十六。それで百点。百点はなかなか出ない。一度出ると、同じようなメニューで毎日百点を狙ってしまう。

 三十分ほど奮闘した結果、九十六点になった。何度やっても九十点止まりだったのに、1日分の野菜食物繊維キャップ付き紙パックを飲むことにしたら六点プラスになった。後で買ってこなくてはと思いながらスマホを置いて肩の力を抜いた。どこからか焦げ臭い匂いがした。テレビではまだ山火事の放送をしている。映像が切り替わって見た覚えのあるホテルが映し出された。このホテルだ。八日山ホテルとキャプションが出て、息が止まる。イヤホンを外す。非常ベルが鳴り響いている。私は勢いよく立ち上がり、そのまま動けなくなった。あまりにも一気に情報が流れこんできて、レインボーサークルがくるくる回っている。あ、でも、と私は思った。もしかして徳島市内には八日山ホテルがいくつかあるのかもしれない。そうに違いないと半ば信じながら窓辺に駆け寄った。煙が雲のように空を覆い、空は赤く燃えている。立ちこめる黒煙の反対側は青く、それが日没の光景ではないことを教えてくれる。もっと慌てるべきなのに、心が躍っていた。そんな風に感じる自分が浅い人間に思え、ほんのわずかでも良心の痛みがないか探したが、どこにも見当たらなかった。心臓が興奮に早くなっているだけだ。私はきっと、何かが麻痺しているのかもしれない。

 床のバックパックを肩にかけ、廊下に飛び出すと、すでに人でごった返していた。エレベーター前に人が溜まり、押し合いが始まっている。非常階段に向かうと、こちらも人が殺到していた。エレベーター前よりはましで、手すりを離さないようにしながら慎重に歩いてロビーに出ると、ホテルのスタッフが入口近くに数人並んで説明をしていた。火はホテルを迂回するように進み、国道沿いを走っている。そのため、通常の下山ルートは取れず、バスや車は使用できない。このホテルの地下道を利用すれば、後世山の山腹近くに出るのだという。八日山は上空から見ると紅葉のような形をしていて、いくつかの山と尾根で繋がっている。後世山はそうした連山のひとつだ。「後世山の山腹まで行けば、DМVに乗せてもらえるはずです」四角い顎をしたスタッフが、歯切れよく説明を続ける。ずいぶんと落ち着いていて、それは浮足立った私たちの心を鎮める効果があった。「現在、後世山では採掘した赤褐鉱をDМVで運んでいます。その貨物車に乗って脱出いたします。案内は私どもが行います。走る必要はありません。地下道ですので燃える心配はありません。繰り返します、走る必要はありません。必ずスタッフの指示に従ってください」

 誰もが固唾をのむようにして聞いている。玄関ホールがいっぱいになるまで、四角い顎のスタッフは辛抱強く同じ説明を繰り返した。私たちもまた辛抱強く待ち続け、やがてスタッフが動くと後に続き、ホールを後にした。裏口からホテルを出る。私は目を細め、燃え盛る八日山を仰ぎ見た。灼熱する空は目視するのが辛いほど光っていて、たまらなく熱かった。麓を回れば八日間かかることから八日山と呼ばれ、阿波の国を治めた蜂須賀公のお気に入りで、そのくせ借金の形にされることもしばしばだった、とガイドブックにはある。その名山が巨大な松明のように燃えている。焦げ臭い。ぱちぱちしゅうしゅう音がする。火の粉が綿毛のようだった。

 地下への通路は、駐車場の最深部にあった。ペンキを塗られた白いドアがあり、開けると細い通路が伸びていて、奥に螺旋階段があった。私たちは順番に、規則正しく、螺旋階段に飲みこまれた。みなが小声で何か話しながら降りていて、誰かが私の名前を呼んでいるような気がして落ち着かなかった。このあたりに知り合いはいない。名前を知っているものなどいるはずがない。それなのに長谷川積(つもる)とフルネームで呼ばれているような気がする。

 もともと私は色んなことにハマりやすい。中森明菜。あすけん。一時期など、みんなが私の名前を呼んでいるような気がして、そわそわするのにハマっていた。

 あのときは誰に相談しても気のせいだと決めつけられたものだ。産業カウンセラーだけは違った。どうして誰もがあなたに注目するのでしょうかと質問した。その点は私にとっても不思議だった。ただ、私がネットで何かを書き込むと、「教えてあげましょう」という人々が集まり、あれこれと言ってくる。私は自分で思っているよりも注目されやすいのかもしれない。カウンセラーにそう伝えると、黙ったまま私を見ていた。やがて、私もよく考えてみますので、積さんもそのことについて考えてみてくださいと言った。

 次の予約日カウンセリングルームへ行くと、担当者はいなかった。別のカウンセラーが椅子に座っていて、前任者は辞職したのだと説明し、これからは私があなたの担当ですと言う。私への伝言はなかったのかと質問した。何もなかったというのが答えだった。私は机を叩いて立ち上がり、今すぐ前のカウンセラーと連絡を取るよう要求した。連絡先を教えるように怒鳴りつけ、足を踏み鳴らし、せめて電話だけでもしてみてくれ、そうすればおとなしくカウンセリングを受けてもいいと取り引きを申し出た。新しいカウンセラーはどうしてそこまで連絡を取りたいのですかと質問した。私は椅子を持ち上げ、カウンセラーの背後に回り、窓ガラスに思いっきり投げつけた。分厚い透明なブラスチックがガラスとガラスの間に挟まっているタイプだったので割れなかった。罅が入っただけだ。椅子は跳ね返って私の額に当たった。大きな瘤ができ、その後しばらくは、痛むたびに惨めな気分を味わった。

 階段が終わった。目の前に伸びているのは大人が三人並んで歩けるような通路だった。天井は低い。手を伸ばせば届きそうだ。足元に側溝があって、かすかに淀んだ匂いがしたが、それほど酷くはなかった。壁には一メートルごとに照明がついていた。よく見ると蛍光灯には白いカバーがかけられていて、蜘蛛が巣を張っていた。壁にはひび割れ、水が沁みた跡が残っていた。すべて丁寧に修復されている。空気は少しひんやりしていて、火照った肌に心地よかった。誰かが質問したのか、先頭を進んでいるスタッフの説明が木霊して聞こえてきた。この地下道はもともと蜂須賀公が作った抜け道で明治の初め赤褐鉱の鉱床にぶつかっていることがわかったため、鉱業会社に買い取られた。諸外国との競争に敗れ、閉山した後、観光資源として再開発され、こうした通路が作られたのだという。「当時はいくつかの分かれ道や展示室、広場などがあったそうです」ひと息つくように黙りこみ、それから付け足すように続けた。「当ホテルのオーナーはここを避難経路に利用できると考え、保守点検を行ったということです。そのころには各地で山火事が頻発していましたので」地下通路の輪廻転生話が終わると、スタッフは黙りこみ、もう誰も質問しなかったため静かな行進が続いた。道は緩やかに左へと曲がっていて、いくら歩けば出口に到達するのか予想もつかなかった。いくらか下り坂になっているようだ。しばらくするとあまりに遠い道のりに飽きてしまったのか、再び話し声が聞こえてくる。今度は先頭だけではなかった。あちこちで話している。低い、あまり聞き取れない声で、前も後ろも話をしている。私の名前を呼んでいる。

 口の中が渇いていた。乾燥した口腔に舌がくっついてもつれる。唾を飲みこんだ。何か言いたいのに、何も言えなかった。この地下通路はいつまで続くのだろう。湿気が増しているようだ。誰もが私の名を呼んでいる。耳を塞いでも聞こえてくる声はキャンセルできない。よく、形あるものは滅びるという。つまり、形のない声は滅びない。不滅の声だ。だが、形のないものは本当に滅びないのだろうか。壊れないのだろうか。

 私を置き去りにして辞職したカウンセラーは、あれが最後になるとは思いもしなかったセッションで、こんな話をした。存在しないものは燃えるのだろうか、と。彼は徳島県の生まれで、八日山という言葉について教えてくれた。阿波の国の領主である蜂須賀公は借金の形として八日山の話を商人たちにした。庭に作ってある山を担保にしながら、それをもっと大きな山であると言いくるめて金を借りたのだという。その際に、山の麓をまわると八日間かかるから八日山というのだと説明したことから、徳島の人は、小さなことを大きく言いふらすような話を聞くと「八日山をいいなはんな」と窘めるのだという。想像上の産物である八日山は、燃えるだろうか。なぜそんな話をするのか質問すると、カウンセラーは、こう答えた。「存在とは何なのでしょう。存在しないとはどういうことなんでしょうか」と。真剣な声で。

 あの人は、あまりカウンセラーらしくなかった。子どものころにどうだったのかという話は一切しなかった。箱庭も作らせず、絵も描かせなかった。その代わり、声について私に質問した。声は存在すると思うか。声は確かに存在すると私は答えた。しかし声は目に見えませんが、とカウンセラーは口をとがらせる。私はこう答えた。目には見えないけれど、存在するものはある。中性脂肪や悪玉コレステロールだ。目には見えないけれど、血液検査をすれば数値ははっきりする。正常の範囲内なのか、正常から逸れているのか。それらは存在するからこそ、あすけんでコントロールできるのだ。カロリーもまた目には見えないが数値化でき、コントロール可能だ。人間は心拍数や脳波の数値をモニターで確認できるようにすると、簡単な訓練で上げたり下げたりできるようになる。数値は科学的な事実であり、想像の産物ではない。私がそう伝えると、カウンセラーは怪訝そうに、それは確かな記憶ですか、と問いかけた。私とカウンセリングをしていたとき、あなたはあすけんをやっていたのですか。そういえばそうだ。そのころの私は健康診断の血液検査で引っかかったりしなかった。数値の異常はなかった。

 これはどういうことなのだろうか、とカウンセラーに聞くと、記憶は混乱しやすいものですと落ち着いた表情で答えた。あなたの記憶に存在するカウンセラーである私もまた、本物の記憶ではないんです。あなたは他の人と同じように、記憶を改竄し、混ぜ合わせ、つけ加え、創造している。新しい偽の記憶を作り上げる材料は、無意識や記憶から持ち寄ってくるので、現在と過去が入り混じり、混乱しがちなんです。よくあることですよ、ところで火事になったとき、少しだけわくわくしませんでしたか、私は無料のアトラクションみたいだなって思っていました。私も同じだったけれど、外に出てこんなに熱いんだと思った途端にすごくこわくなった。死が迫るのは誰でも怖いものです、カウンセラーはうなずいた。私、最初はテレビ騒ぎすぎだと思っていたのです、あまり大きな声では言えませんが。記憶の中にあるカウンセラーの声は囁き声に近かった。メディアというものは小さなことを大きくしてしまうなと、気候変動のときもそう思っていたんですけどね。カウンセラーは気味が悪いくらい私と同じだ。私は豪雨災害が増え、いくつかの島が海に沈み、山火事が頻発するまで、そういうニュースは針小棒大だという思いを抱き続けていた。なんでも大げさに考えすぎるのだと。今日と同じ一日が、明日からも続くのだと、そのころの私は信じていた。何もかもが急に変わるなんて思ってもいなかった。人の適応速度は驚異的だ。もちろん人によっても適応の速度は違うし、一人の人間の中であっても、適応するところと適応できないところがあって、速度差によるギャップが生じる。例えば人間関係には適応できても、仕事内容には不適応だった、というように。

 私はすでに果てしなく続く通路に適応しかけていて、これがずっと続くように感じ始めていた。記憶が信用できないという状況にも慣れつつある。馴染めないのは、ひとつだけだ。誰もが私の名を呼んでいるような気がして仕方ない。不滅の声は、八日山のように、燃え上がることはないのだろうか。声を焼き尽くすことは、できないのだろうか。私は記憶の中にいる、私を置いて行ってしまったカウンセラーに話しかける。「形あるものは壊れるのなら、形のないものは壊れないことになります。でも、もしそうなら心は壊れないのでしょうか。心が壊れないのなら、私にはどうして不滅の声が聞こえるのでしょう。私はずっとあなたにそれを聞いてみたかったのです」私は足を動かしながら、記憶の中に、カウンセラーの答えを期待した。もしかしたら、待っていれば、いつの間にか新しい記憶が捏造されるかもしれない。私はずっと聞きたかったカウンセラーの返事を覚えているのかもしれない。待っていると、遠くから歓声が聞こえた。先頭が出口に近づいたらしく、明るい声が聞こえ、波のように連鎖する。私は口を閉じ、思い出すのを待ちながら耳をすました。

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