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【日記】アイドルのVRコンサートに行ってきた感想


新しいメディアの衝撃

新時代が来たかもしれない。

昔、NHKの「映像の世紀」で映画から列車が飛び出てくるのではないかと避けようとした男の映像を見たことがある。彼が生きたのは19世紀末、映像というメディアに初めて接したわけである。驚かないはずはない。当時の人々にとっては仕方のない必然的な反応なのだと思う。

しかし、現代の立場からそれを見ると、その動きはどうしても滑稽に思えてしまう。少なくとも中学生の頃の私は滑稽だと思ってしまった。鉄道がスクリーンから飛び出るわけでもないし、何ならモノクロでリアリティにも欠けるだろうし、大袈裟な反応をするものだなと笑うわけである。

その19世紀末のフランス人と同じような体験を、すなわちメディアからそれほどの衝撃を受ける体験を、21世紀の自分もまたすることになったのである。

それはアイドルaespaのVRコンサートの中でのことであった。

aespaというのは、韓国発の四人組のアイドルグループである。ただ、正直なところK-popに詳しいわけではない。友人に布教されて少しわかるようになったというだけである。

とりあえず友人かは画像を送られ続けた結果、沼に片足を引きづり込まれたというのが正しいところだろう。用語とかはよく知らないし、aespa以外は無知と言っても過言ではない。(ちなみにK-popというのは韓国発のポップミュージックという意味だが、最近のアイドルは多国籍で多様である。)

そんな調子だから、当然ライブとかコンサートとかそういう類のものに行ったことはない。グッズを買おうとしたこともない。今回は行こうと誘われて、気が向いたから着いて行ったというのが正直なところである。

そんな軽い気持ちで行ったわけだが、予想以上に濃い体験をしたし、予想以上に衝撃を受けたわけである。

aespaのVRコンサート

とりあえずアイドルとの距離はかなり近い。

まず何より、それに尽きる。アイドルがそこにいる。そこで踊っている。

大袈裟な表現ではなく、本当にカリナが目の前にいる。肌のキメや、髪の毛の一本一本がはっきり見えるほど近くにいる。とんでもない美の圧力に思わず息をのむほどだ。

しかも楽曲が始まれば、当然目の前までやってきて踊り出す。さらに左右でズレのある映像を流して、立体視が可能になるようしている。あのダンスが目の前まで迫ってくるのである。往年の3D映画みたいなわざとらしさはまるで無い。だからこそ迫真性がある。本当に目の前で踊っているのだ。思わず軽く「おお」と声を出してしまった。(大きな声を出すのは禁止されている。)

ただ流石にメタバース空間を自由に動くことは出来ないので、カメラワークに従ってメンバーを見ることになる。首を上下左右に動かすことは出来るのだが、単純な位置移動は出来ない。だから縦に一列に並んだ時、後ろのカリナが見たいんだけど、といって首を傾けても見える角度は変わらない。それから当然ではあるが手を伸ばしても触れることはできない。だから触れそうなのに手を伸ばしても触れない、不思議な感覚である。

ただ自分の手の位置をマッピングする技術があり、それで目の前にあったアイテムを掴む(物理的には掴めない)というアクションを行う場面があった。掴むのはリストバンドと、ペンライトだったが、ちゃんと目の前に置かれたものを掴む、掴むと手と一緒に動く、手放したら消える、掴み直すとまた現れる、というもの。講演中はこれを振るように言われるのだが、あまりの滑らかさに本当に握っているような感覚が湧いてくる。どうせなら適当な棒でも持たせてみたらいいのではないかとも思った。

さらに言えば、このマッピング技術を応用すれば適当な演者にマッピングしてバーチャル握手会をすることは可能な気がする。それが握手会の体験として成り立つかは不明だが…。(同じことはアダルトなコンテンツに応用(悪用)もできるだろう。その際、視覚(顔)と聴覚(声)が触覚(身体)から切り離されて利用されるという倫理的な問題が発生する。)

しかも、これだけ迫真性のありながら恐らく場所を選ばない。使われていた機材はMeta quest3だったので家電量販店で普通に購入が可能である。あとは中身のコンテンツさえダウンロードができれば、自宅でも同じものを楽しむことができるはずだ。VR機材が普及すれば、その手のDLCが活発になるのではなかろうか。実際、自分もこれならもう一回体験してみたいと思ったほどである。

それに、この技術は結構の人数の人を救うのではなかろうか。少なくとも高校時代の自分はこれがあったらのめり込んでいた自信がある。

高校時代に欲しかったVRコンサート

というのも自分が高校生だった頃というのは、AKB48がまさに全盛期だった頃である。CDを買ったり、YouTubeでPVやライブ映像の切り抜きを見たり、写真集を買ったり、割としっかりとファンというものをしていた。

しかしながらライブというものに行ったことがない。なぜならお金も時間も全くなかったからだ。地元の静岡は、東京にも名古屋にも1時間ちょっとで遊びに行ける。ただそれは新幹線を使った場合の話である。往復で1万円弱などかけられるはずもない。在来線や高速バスを使ったなら、往復4〜6千円に3時間強はかかる。しかし、そんな時間もお金も高校生には存在しない。

当然ながら、秋葉原や栄に行くことも無かったし、ドームコンサートに行くことも無かった。こういうのは、地方民にとっての悩みでもある。いや、静岡はまだマシな方ですらある。それくらい機会チャンスの格差は広くて深い。今回も京都に住んでいて、大阪でやっていたから出向いただけで、東京でやっているだけなら多分行こうとしなかっただろう。(去年にも東京ドームに行くかと誘われたが断った。)

VRが各地方に、というか各家庭にあったなら、こうやって参加する機会チャンスが大量にあっただろう。VR技術は、お金のない若年層地方民にこそ必要な福祉である。そう言っても過言ではない。

大袈裟な話ではなく、大規模な移動が必要な人や、そもそも移動が困難な人に機会チャンスを与えるという意味で福祉そのものであると思う。劇場や映画であれば箱のこだわる必要はもはや無い。充分に代替可能であると言えるだろう。

本当に良い時代になったものだ。VR技術はあと10数年早く浸透して欲しかった。

ライブコンサートは終わらない(と思う)

さて、そうかと言ってライブコンサートは無くならないだろう。何故ならVRは孤独だからだ。

基本的にヘッドセットをつけている間は孤独である。観客の準備が出来次第、設定が始まり、設定が完了すると、そのまま映像が始まるため、端末ごとに始まりと終わりのタイミングは異なる。さらに言うと大きな声を出すことは禁止されているので、その他の迫力あるいは一体感と言ったものは全く感じられない。

立体音響技術は実際にあるのだから、メタバース上に擬似的に並べることは可能かもしれない。同時性という意味での一体感は生まれる可能性は十分にある。ただ純粋に大きな音が作るある種の音圧というべき迫力は再現できないだろう。そういう意味で、如何に近くで見られようと、如何に迫真性があろうと、現実でのコンサート体験とは差別化されるだろうから、ライブコンサートの価値は失われないと思う。同じことはスポーツ観戦でも言える。

個人的にはVRの方が好みだけど…。

終わりに

そんなわけでVRコンサートに行き、アイドルそのものにも感動したが、それ以上にテクノロジーに感動したという話でした。

割と真剣にMeta quest3を買おうかどうか迷ってる。どうしようかなぁ…。

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