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今、ミャンマーで何が起きている??5分で分かる基礎知識

こんにちは、shunGoです。

今回は、ミャンマーの軍事クーデター問題について記事を書こうと思います。

先日2/1、とあるニュースが飛び込んできました。

それは、ミャンマーのトップであるアウン・サウン・スーチーさんや大統領など国のトップ達が国軍に拘束されたというニュースです。

その事態を皮切りに、現在に至るまでほぼ毎日のようにニュースでミャンマー関連のニュースを目にしますよね。


政治的な話、しかも海外の話となると急に関心度が低くなる人も多いかと思いますが、「自分の生活と関係ないから」「なんとなく難しそうだから」というのが大きな理由かと思います。


私自身も政治の話は未だに難しそうという印象がありますが、今回のミャンマーの問題について基本的な情報を調べてみると、複雑な歴史はあるものの大まかな流れやなぜ軍事クーデターが起きているのか理解することは難しくありませんでした。

そこで今回は、今ミャンマーで起きていることを分かりやすく説明して欲しいという方のために、簡潔に、そして分かりやすく5分で解説したいと思います!

5分いただければ、今テレビやネット上で取り上げられている内容が頭に入ってきやすくなると思います。

それではいきましょう!!


①ミャンマーとはどんな国?


まずは、ミャンマーという国の基本的な情報について把握しましょう。


ミャンマーは東南アジアに位置しており、ラオスやタイ、バングラデシュと隣接している国です。

ミャンマーに行った事がある友人に聞くと、人が優しく食べ物も美味しいみたいです、、ああ、事態が収まったら行ってみたい、、笑

ミャンマーは元々長い間イギリスの統治下にありましたが、1948年に独立しビルマ連邦という国名になりました。そして1989年以降、現在に至るまでミャンマー連邦として独自の国家を築いてきました。

1940年代のイギリス統治時代、日本軍はミャンマー(当時はビルマ)の独立を支援していました。当時日本はイギリスと敵であり、イギリスのアジア進出を防ぎたかったためミャンマーに対し、イギリスを撤退させたら君達のの独立を手伝うよ、だから一緒にイギリスと戦おうと仕掛けたのです。まあ、この辺の話はまた追々。。。

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②全ての始まりはいつから?誰と誰が争っている?


もともとミャンマーは豊かな国でしたが、1948年に独立しました。しかし長い間イギリスの統治下にあったミャンマーは、誰も国のまとめ方が分からず国民同士の衝突が相次ぎました。

そしてその中で力をつけた軍が、1962年に軍事クーデターが起こしたことをきっかけに、社会主義的な政策が行われていきました。

”軍事クーデター” とか "社会主義的な政策" とか堅い言葉を聞くと頭痛がしてくるそこのあなた!!めちゃ気持ち分かります。笑


分かりやすく言うと、軍人達が「国を乗っ取れ〜!我らが国を動かすんじゃ〜!」って言って強引に国を支配して、国民の自由を無くして自分らが好き勝手に国を動かしていたのです。

そんな風に好き勝手に国を動かしていると、当たり前ですがみるみる国の経済や生活レベルは衰えていきました。。。

1980年代後半になると、国民の間でも社会主義政策や軍による独裁に対する不満が募っていき、民主化への意識が芽生えていきました。

そんな中で「このままじゃミャンマーがやばい!!」と言って立ち上がったのが、アウン・サウン・スーチーさんなのです。
彼女を中心として、1988年に大規模な民主化運動が起きました。

民主化運動って・・・??
軍が支配するような窮屈な国ではなく、もっと皆が自由に生きられる国に、皆の意見が政治に反映されるような国にしようと言って国を軍から取り返そうとしたのです。

ここまでで皆さん既に気づいているかと思いますが、このミャンマーの一連の問題は簡潔に言うと、国軍(軍事国家) VS 民主派組織(民主国家) という構図になります。

1988年の民主化運動の結果、アウン・サウン・スーチーさんは国軍により拘束されてしまい、民主化運動も鎮圧され軍が政権を握りましたが、国内ではその後も民主化運動がどんどん活性化していきました。

1991年には、アウン・サウン・スーチーさんはノーベル平和賞を受賞し、国際社会にミャンマーの実態を訴えかける事にも成功しました。

民主化運動が進み、2015年の総選挙では、NLD(国民民主連盟)と呼ばれる民主派組織が圧勝し、民主国家としての地位が固まってきました。。。と言いたいとこなのですが。。。

この流れだと、ミャンマーはかなり民主化が進んだと受け取れますが、実際のところはそういう訳でもなさそうで、至る所で軍事色は抜けきっていないと言われています。

実はまだ軍事国家だった時の憲法を継承していたり、連邦議会の25%は軍人であったり、軍の管理下に置かれた組織もあったりと、国軍の力はまだ密かに生きていたのです。


③ミャンマーの現状は?


民主派組織であるNLDと国軍のこれまでの歴史があった上で、2020年の11月に再び総選挙が行われました。国軍とNLD、どちらが国を率いる者としてふさわしいのか。

実はこの選挙、民主派組織は勝てないのではないかという声が一定数上がっていました。国軍の方が優勢と見られていたこの選挙は、蓋を開けてみると結果はNLDの圧勝。

この結果に対して、「選挙は不正があった」と主張しているのが国軍側であり、2/1にアウン・サウン・スーチーさんを拘束したのです。

これが今回の軍事クーデターです。
背景には、元々軍事国家だったミャンマーがアウン・サウン・スーチーさん率いる民主派に主導権を握られこのまま更なる民主国家になっていくのを恐れたということもあります。

国軍側は選挙の調査を求めている一方で、NLDは現在も調査を拒絶しているのです。潔白ならば調査に協力するはずではないか?と思ってしまいそうですが、、、こればっかりはなんとも言えませんね汗


そして国軍は、1年間の非常事態宣言を出しました。

国のあちこちに軍が配備され、民間人は軍事クーデターに対する抗議や活動を続け、軍との衝突により多くの犠牲者が出ているという大変な状況となっています。

④終わりに


いかがだったでしょうか?

今回は、ミャンマーの軍事クーデター問題について基本的な知識を共有してきました。少しでも、読む前よりも知識がついたと思っていただけたら幸いです。


決して遠くはない国で、こういった激しい衝突が実際の世界で起きていると思うと少し不思議な感じがします。

自分が自分らしく生きられるように、命をかけて国の政治や政治に関連するデモに参加するなどの行為はなかなか日本の政治では見られない景色でもあります。

一刻も早く事態が収束することを願います。


では、また!!!!!

【参考資料】
https://www.youtube.com/watch?v=XFhkBNBt_eI
https://www.youtube.com/watch?v=wa9By8HN1zo




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