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『春原さんのうた』のこと

 物語より詩が優っている。この映画についてそう言った人がいるらしいのだけど、その通りだと思った。物語的起伏がないからか観ている間は眠気に心地よく苛まれていて、しかし物語とは別に一本の筋が通っているように感じられて嬉しくて、その筋を今は「詩」としか呼ぶことができない。
 およそ130のカットに割られた120分の映画に長回しの感触は薄く、むしろずっと続いていく映画を仕方なく断ち切っているように思える。断ち切りはむしろ恩寵なのかもしれない。『春原さんのうた』では、パートナーの喪失が言外に示唆され続ける。あるべきものがなくなってしまったという実感が永続することと、持続する不在が遮れられること。その拮抗が、映画を観た後には何か尊いもののように残る。重なってそこにある何か。
 スクリーンに映された荒木千佳は5度もカメラに撮られている。彼女は二重に記録される。
 ナポリタンやどら焼きを食べる口元が繰り返し映される。他の映画ではあまり感じたことのない、食べることの現実感がそこにはあった。彼女は演者として食べているが、同時に生物としても食べている。二重に食べている。
 世田谷美術館『作品のない展示室』のイベントに、名児耶ゆり(おそらく亡くなったパートナーの母)と共に荒木千佳は参加する。この場面はパンフレットに掲載された脚本にはなかった。『作品のない展示室』は2020年に実際にあった展示で、クロージング・プロジェクトの記録を杉田協士は実際に撮影している。美術館は二重に存在している。


 『作品のない展示室』は私も観に行ったが、展示に言葉を捧げることはとても難しかった。作品の不在と、部屋の存在で、もう十分じゃないかとと思った。『春原さんのうた』にも同じ難しさがある。二重に存在している世界に対して、言葉が浮つくように感じてくる。

 二つ、思い出す瞬間がある。バイクの二人乗りを背中から映すショットはとても印象深いのだが、そのタンデムの後で、河口湖へのツーリングで雨に降られた金子岳憲と荒木千佳が、木の下で防水着に着替えるワンカットの場面。金子が荒木のヘルメットの水滴を拭くときに、映画館で少し笑いが漏れた。別におかしいところなんてこれっぽっちもない動作だけど、なぜか笑い声に納得した。
 もう一つは、苫小牧へ向かうフェリーのベッドで、荒木千佳が起き上がる時の、白い枕の皺。その皺に、「わぁ」という驚きが漏れた。生物が存在しているという感触が、枕を記録した映像から飛び込んできた。

 映画内で、汽笛のような音楽は三回ほど鳴り響いていた。SKANKという人が作ったらしい音は、最初「音楽」として感知されず、画面に映されていない場所から聞こえてくる何かの音かと思う。やがて、音が重ねられた音楽であることに気づく。その緩やかなオーバーラップに心動かされもしたのだが、あるシーンでは、楽器(どんな楽器だっけ?)を演奏するモヒカンっぽい髪型の男(この人がSKANKだよな?)が映されていて、そこでは汽笛のような音と映像内の動作が一致していた。日々の中に凝縮されて現れる「映画」を、この『春原さんのうた』は捉えている。私は、音と映像がズレたり重なったりする揺さぶりに揺れながら、そんなことを感じていたのではないか。ポレポレ東中野で『春原さんのうた』を満員の人々が観ている時間も映画だったし、私が寒い部屋で(暖房つけるの忘れてた)所在なくこの文章を書いている時間も映画だった。ヘルメットの水滴も、枕の跡も映画だった。ここでいう「映画」は、「詩」と同義だ。生存欲求と、怠けたい気持ちと、焦りと、後ろめたさと、その他あらゆる重みに縛られる社会生活とは別の場所に、体と言葉は存在できる。動物的でも人間的でもない場所。『春原さんのうた』は、この瞬間に二重に存在している場所についてうたっていた。私はこの映画を、「喪失」の映画だと思わなかったと思う。

※おまけ

深澤しほさんが出ていて、ヌトミックなどの劇で何度か演技を観ている人で、会話も何度か交わしているのだけど、久々に姿が見れて嬉しかったです。杉田監督がこだわりを持つ(学生時代に授業を受けたこともある)如月小春の芝居の脚本を深澤さんが荒木さんに読み聞かせるシーン。セリフを覚えるために聞いてほしいというセリフの後で、強い発話とたどたどしさが同居する時間が印象に残っている。荒木さんが演じる沙知はほとんど受動的な存在で、それはパートナーを失った喪失感の表れとも取れるんだけど、その受動性自体が何かの強さを持っているように感じされた。

沙知は小竹向原駅最寄りの自宅から、聖蹟桜ヶ丘駅最寄りのカフェに通っているのだけど、セリフにもあった通り、確かに遠いよね!

(お読みいただきありがとうございます。書いたものはこれで全てですが、もし何か面白いものを感じた、書き手に何かを返したいという思いが芽生えた方がいらっしゃれば、投げ銭していただければと存じます)

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