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(今こそ聴きたい!)Los Campesinos!のリリシズム、およびその政治性について

 ここ数日、シカゴのインディーバンドFrikoが話題になっている。ブライトアイズやキンセラ兄弟(Joan of arc,American Footballなど)を受け継ぐ、裏がった声とハードコアとカントリーを掛け合わせた(ざっくりとエモ的な)コード進行、潰れたギターと太鼓の感触。絶妙なバランスのソングライティングに私自身も夢中になって、何度も聴いている。聴いている中で気づいたのは、ウェールズ出身のインディバンドLos Campesinos!との類似性だ。


 Los Campesinos!は2000年代後半に登場し、当時はインディ界隈で人気があった。今も活動しているが、最近はとんと名前を聞かない。しかし、私は彼等が非常に優れた表現を達成したバンドであると感じており、もっと聴かれてほしいとずっと思っていた。広がるタイミングを長年見計らっていたのだが、Frikoの登場で、もう一度こうしたひしゃげた音の感触のインディ/エモが日の目を見始めた。改めてその表現の内実を伝えたいという思いが沸々と湧いてきた。

 Los Campesinos!は、大人数でわちゃわちゃやっている男女混淆バンド、くらいの印象をもたれていると思う。もう少し詳しい人なら、ローファイなサウンドに泣けるメロディのバンド、といったところではないか。しかし、彼等の最も優れているところは、そのリリシズムにある。

 ボーカリストであり、作詞を担当しているギャレス・ペイシー(Gareth Paisey)は、メタファーを重ねながら多数の文脈をつなげる、多義的なリリックを書く人だ。故に、一聴/一読して何を言っているのかわかりづらい。言葉使い一つとっても、一般的なポップソングで使わない言葉を用意してくる。しかし、その言葉のネットワークを追っかけていくと、いつのまにか未知の場所に辿り着く。今まで知らなかった、だかどこかで出会ったことのあるような、新鮮で懐かしい感情を知ることになる。

 ギャレスのメタファーの使用法としてわかりやすいのは、"Avocado Baby"(2013)だろう。この跳ねるドラムと、多数飛び交うキーボードやシンセが特徴的なロックソングの後半、このようなかけ声が発せられる。「A heart of stone,rind so tough it's crazy/That's why they call me avocado,baby」(石の心、異常に固い外皮/だから彼等は僕を「アボカド」って呼ぶんだよベイビー)。ここでは、アボカドの外皮の硬さが、心を閉ざしている状態の喩として機能している。同時に、言葉にしていないが、アボカドの中身の柔らかさが、ナレーターの内面の脆さを示唆している。


 あるいは、"My Year In Lists"(2008)。速くつんのめったリズムに乗せて、男性と女性の勢いある声が、性的な関係を手紙の制作に例える。「You said "Send me stationery to meke me horny"」(君はいった、「ムラムラするような文房具を送って」)、「Decorating envelopes for foreplay」(前戯のために封筒をデコレーション)、といった言葉に合わせて、「natural disaster」(自然災害)、「the countdown to another owful day」(次のひどい一日へのカウントダウン)といった言葉が重なられる。そのことから、性的な二者関係が、ひどく屈辱的な失敗に終わったことが示唆される。このようにギャレス・ペイシーは、青果物や文房具などの具体的な物体を精神状態や人間関係のメタファーに用いることで、複数の意味を暗示させるような技術を駆使する作詞家なのだ。


 ギャレスのリリシズムが大いに発揮された代表的かつ決定的な楽曲として、ここでは「Death to Los Campesinos!」を取り上げたい。ファーストアルバムの1曲目、自らのバンド名を冠した楽曲において、すでにLos Campesinos!の優れた複雑さは完熟していた。ちなみに「Death to Los Campesinos!」という曲名は、80年代後半から活躍し、レディオヘッドやニルヴァーナやスピッツなどに多大な影響を与えたバンド、The Pixiesのベストアルバム「Death to The Pixies」のもじりである。バンド名からすでに、自らの出自を語る文脈をギャレス・ペイシーは用意している。



 4度と1度メジャーを繰り返す軽快なバンドサウンドに乗せて、当時の女性ボーカリストのひとりAleksandraが、優しく歌い出す。「Broken down like a war economy」(戦争経済のように壊れてる)。そこに、ギャレスの引き攣った声が続く。「Father,Fuhrer,don't be mad at me」(お父さん、総統閣下、ひどいことしないで)。つまりこの曲は、いきなり歴史的なモチーフ、第一次世界大戦後ドイツ経済の崩壊的インフレーションと、その後のアドルフ・ヒトラーの台頭から語り出しているのだ。しかも、そこに「Father(お父さん)」のひとことを加えることで、虐待や体罰を恐れる子供の姿が重なる。歴史的な出来事と、個人的な出来事が二重写しになっている。

 そのあとで、「Peasant child,you're into botan/Splitting necks and calling it dichotomy(農民の子よ、君は植物学に夢中/首を二つに割って、それを二分法と呼んでいる)」と語りを続ける。ここだけを読むと意味は取りづらいが、前のヒトラーへの言及を重ねると、「二分法」がユダヤ人とアーリア人の分割を意味していることがわかる。さらに、農民の子孫が植物学という近代学問に目覚める姿が描かれており、この冒頭のリリックは、学問/技術の進化と人間の残酷さが同時に押し寄せた20世紀という時代の戯画としてイメージされる。最初の4行の歌詞だけで、ギャレス・ペイシーは、メタファーと文脈の交差によって、多数のイメージと意味を呼び込んでいる。

 この後には、「I'm better off with artificial intelligence(僕が人工知能だったらまだ良かったのに)」というリリックが続き、コンピューターやAI技術の進化が示唆される。私にとって非常に印象的だったリリックが、「I'll be Ctrl-Alt-Delating your face with no reservations」という箇所だ。「Ctrl-Alt-Delate」は、PCキーボードで強制終了を行うときの言葉だが、「何のためらいもなく君の顔を強制終了する」という言い方は、いくつもの意味を直感的にリスナーに伝えている。人工知能であれば他人の顔のメモリーをすぐに消せるのに、人間にはそれができないこと。にもかかわらず、現代のネットの人間関係が、強制終了を可能にする不思議なものになっていること。他人との関係に最低限の責任を持てない、脆弱な精神の持ち主が語り手であること。「Ctrl-Alt-Delate」の一語が持つ強烈な印象喚起力を知ったことで、私はギャレス・ペイシーが、稀代のリリシストであることを直感したのだ。 

 コーラスのパートで繰り返されるリリックはこうだ。

And if you catch me with my hands in the till/I promise,sugar,I wasn't trying to steal/I'm just swimming in copper /To smell and pretend like a robot
 僕がレジに手に入れているところを見つけても/わかってほしい、僕は何も盗む気はなかった/僕は銅の中を泳いでいるだけなんだ/匂いを嗅いで、ロボットの真似をするために

 なんとも胡散臭い、盗癖への言い訳。Smell(匂いを嗅ぐ)の一語は語り手の幼児性を匂わせつつ、「銅の中に泳ぐ」で、iPhoneなどのガジェットと戯れる21世紀の人間の姿が二重写しになる。嘘か本当かわからない語り手の弁明のなかに、社会の有様が透けて見える。他者と望ましい関係を持ち得ない個人の、しょぼい人生像。植物学からAIに至るまでの、技術の異常な進化。人間と機械の、拭いきれない差異。そうしたものがコーラスのリリックから浮かび上がる。ヒトラーと植物学への言及は、差別と虐殺の度し難い残酷さを伝える。この、騒がしくて元気なパーティーチューンは、技術と殺戮、機械の台頭と個人の崩壊という二律背反的状況を、何の答えもないままリスナーに差し出している。それは、AI技術とソーシャルメディアに翻弄されながら、地球各地で行われる国家的残虐行為のニュースを知らされる私たち自身の現状に、驚くほど重なっている。

 私たちの現在の生活は、目の前の他者との関係だけでは完結しない。同時に、数万キロ離れた場所での問題にフォーカスしつづけることも難しい。その解決しえない矛盾は、本当は古くから人間の条件だったのかもしれない。しかし、今はそうした解決不能の困難さに、誰もが意識を持たざるを得なくなっている。個人の脆い精神に、常に負荷がかかり続けている感覚を表す表現としてLos Campesinos!の音楽はある。"Death to Los Campesinos!"というタイトルは、ピクシーズへの言及であると同時に、近代以前のLos Campesinos(スペイン語で「農民」)と、今の私たちとの距離を表している。
 Frikoの躍進に合わせて、Los Campesinos!の音楽が深く聴かれることを、私は切に願っている。


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