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なんでnoteを始めちゃったのかなぁとぼんやり考えていたら、知的情熱を肉体的に表現するってことが推進力になっているんじゃないかと気づかさせてもらった件
最近読んだlifehackerの記事 北極冒険家・荻田泰永氏 の言葉、いっぱい刺さる言葉があったなか、ひとつ抜粋。
荻田さんの「原点」
「探検とは知的情熱の肉体的表現である」
『世界最悪の旅』(アプスレイ・チェリー=ガラード著)という本の中の一節です。…略…
後半に出てくるこの、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」という一文が、端的に冒険の本質をついていると思うんです。一般の人は「冒険」と聞くと、「寒いでしょ」「疲れるでしょ」という言葉をかけてくれるのですが、それはすべて肉体的な部分で表出する現象ですよね。
でも、じゃあなぜ僕らが冒険に行くかといったら、知的情熱があるから。「知りたい」「見てみたい」という想いです。「冒険」というものがこの短い言葉の中に表現されているし、自分自身、すごく勇気づけられます。
それに、これって冒険に限らず、「人間とは何か」を言い当てた表現でもあると思っていて。つまり、「人間とは、知的情熱を肉体的に表現する生き物である」ということです。
究極の自由は生死の責任まで抱えた先にある【北極冒険家・荻田泰永インタビュー後編】
萩田さんは冒険に限らず「人間とは、知的情熱を肉体的に表現する生き物である」と考えている。
人間は知的情熱を肉体的に表現する生き物である!
まさに、
写真を撮る人、
動画を撮る人、
絵を描く人、
楽器を弾く人、
歌を歌う人、
スポーツをする人
旅をする人、
料理をする人、
車をいじる人、
パソコンを自作する人、
プログラミングする人、
DIYに没頭する人、
セルフビルドで家を建てる人、
蒸気機関車を動態保存しようとしている人、
肉体的に汗かくことから指先動かすだけのことまで
その仕上がりのレベルに差はあっても、
どんなことだって知的情熱を肉体的に(肉体そのもの、または肉体を通じて)表現している。
あゝ、そうか、そうなのか。
こうしてnoteを書いているのもそれが推進力となっているのかも知れない。
仕上がりのレベルに差はあっても。
リンク:lifehacker 仕事は冒険だ。時代を生き抜くキャリアの描き方【北極冒険家・荻田泰永インタビュー後編】
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